経営戦略の理論と実務

慶應義塾大学 総合政策学部 准教授 琴坂 将広 さんのharvard business reviewでの連載をmemoします。

第1回  経営戦略は 実学であり、科学である

経営の実務と学問(経営戦略)の間に大きな隔たり
[-] 経営戦略の理論 → 短期的な売上には貢献しないかもしれない

1 「最適な処方箋」と「普遍的な法則性」の二兎を追う

経営学は:
【1】形成当初から、日々の経営に資するノウハウ(Knowhow)を提供することを目指 (実学)
【2】現代はそれ + (社会、経済、人の心に多大な影響を与えうる)経営行為 +(それを行う個人と組織が)どう変遷し、どう存在し、どう動くかの「普遍的な法則性」を解明 (学問:理論やフレームワーク)

「普遍的な法則性」=> できる限り多様な産業、企業、製品、時間軸に応用できるよう一般化され => しかし必ずしもある特定の個人や企業に対する「最適な処方箋」にはなりえず
(e.g.1 Porterの3つの基本戦略は「コストリーダーシップ」「差別化」「集中」だが、それを理解しただけでは自社がどう明日から行動すればよいかはわからないだろう|ある産業の、ある企業の、ある製品の、次の1週間の販売計画に対する「最適な処方箋」はきわめて特異性が高く、個別の状況に最適化され)
(e.g.2 初代iMacがフロッピーディスクもシリアルポートも廃止したのは、結果的に「最適な処方箋」ではあったものの、それを予測できる「普遍的な法則性」は存在しなかった。世の中を変えるような製品やこれまでにない産業領域は、すでに確立されている「普遍的な法則性」からは生まれない)

2 実務の常識は研究の非常識だった

 

給料日に現金を用意できるか悩み、1ヵ月先の受注を確約できるか苦闘する中で、きれいにまとまった理論は大きな意味を持たない。それよりも先輩経営者のノウハウや体験談のほうがよっぽど役に立った。またコンサルタントとして経営支援に携わるようになってからも、教科書に載っているフレームワークや理論をそのまま使うようなことは一度としてなかった。

実務家としての経験を活かせば、研究者としての研鑽も順調に進むだろうという甘い考え。研究書を手に取れば、そこに書かれていることは複雑すぎて、明日からの実務にはとうてい関係があるようには思えなかった。いまでこそ、それらの議論の匠と学術的な価値は理解できる。しかし当時の私には、言葉遊びにしか見えなかったというのが正直な感想である。

コンサルタント時代:判断を下すために必要な情報を限られた時間で取りまとめ、たとえ不十分な情報や不確実性の中でも、できる限り最善の判断ができるように尽力するのが仕事だった。厳密性や網羅性はそこまで求められておらず、8割わかっているならば2割はわからなくていい、という世界である。また、過去がどうであったかもそれほど重要ではない。未来を正しく洞察できるか、その一点のみに価値を見出していたからである。

学術の世界:科学的なお作法:「インタビュー」:どのような人物を対象に、どのようにコンタクトを得た、事前にインタビューの構成を詳細に煮詰め、当日は誘導なきよう客観的に、すべてを記録しながら、相手のありようをそのまま引き出す。結果はすべて文字に起こし、その分析の過程も詳細に記録することで、第三者が分析を検証し、できる限りの再現性を担保できるようにする必要がある。=> その結果として何を主張するかについても、自由度がほとんどない。 他の研究結果や論文を洗い直し、自分の発見がどのように解釈できるかを、研究の系譜の中に編み込み直さなければならないのだ。そこには、厳密性、網羅性、理論的な複雑性という三重苦が存在していた。

3 実務と理論の極めて大きな断絶である(特に「経営戦略」という領域)
この問題意識は、経営学者が共有、永遠の課題:e.g. 経営戦略のトップジャーナル『strategic management journal』は、実務的な貢献と意味合いをより全面に押し出す編集方針に転換した

[+] 財務、税務、会計、生産管理、在庫管理、配送管理という領域:相対的に「最適な処方箋」と「普遍的な法則性」の隔絶が小さい ← 数字を軸にした論理的かつ構造的な検討が可能であり、個別の事象間に存在する差異も考慮可能な範囲に収まる傾向にある

[-] 経営戦略、マーケティング、リーダーシップ、イノベーション、アントレプレナーシップという領域:相対的に隔絶が大きい ← 多様な要因が複雑に絡まりあいな → そのプロセスや成果が決定され → 個別の事象間の差異が大きく、さらには再現性の担保が極めて難しい

(e.g.1 経営戦略:「創発的な戦略」= 意図されない成果 ← 伝統的な理解が通用しなく +経営戦略:環境の分析、戦略の立案、その実行から、さらには成果に繋がるまでのプロセスがさらに複雑かつ長い)

(e.g.2 古くから存在の競争、たとえば寡占化した市場における、代替材のない単純な商材をめぐる競争のように、「普遍的な法則性」に近いものも存在する | しかし、産業成長の中核に存在するような産業や、商品・サービスにおける勝利の方程式を説明しようとすると、ギャップが大きくなる)

4 経営戦略の領域における実務と理論に橋をかける

社会科学としての経営戦略の理論的な議論を紹介+実務家に対する意味合いを問い直す

=>経営戦略の「流れ」を重視:考え方の間に存在する相互のつながり、遷移、歴史的文脈という流れ、理論的発展の経緯という流れ ← 社会と経済が発達するにつれて、経営戦略もその姿と形を変えてきた(理論が生まれるの支持応用=その理論の限、新しい理論の台頭)

(e.g. Poterの競争の戦略(産業構造を分析→企業の戦略行動)=> Gary HamelのCore competence経営(自社の競争優位の源泉→事業領域や戦略の方向性)
←理解するには:SCP(Structure-Conduct-Performance)理論に対するPoterの貢献、その説明能力の限界に対する実証研究 + 歴史的文脈:第二次世界大戦後の大量生産時代への経済成長→安定成長期における企業間競争の時代→消費者の成熟に伴う市場の細分化と流動化→それに伴う産業構造の不安定化)

大枠:

「経営戦略」とは何か
1. 経営戦略とは何か:定義、系譜、応用範囲
2. 起源を追う:経営戦略の前史
3. 経営戦略の原点:戦略計画と予実管理
戦略立案の基礎となる情報の分析
4. 外部環境から考える:SCPの発展と事業環境の分析
5. 内部環境から考える:RBVの発展と経営資源の分析
外部環境と内部環境の現状把握に基づき、単一の事業戦略と複数の全社戦略を立案
6. 事業戦略を立案する:外部から考えるか、内部から考えるか
7. 全社戦略を立案する:どこまで社内に取り入れ、どこに投資するか
経営戦略の実行、実践:「数値の管理」+「考え方の管理」
8. 戦略の実行:事業計画、管理会計、進捗管理、KPI設計
9. 戦略の浸透:インセンティブ、組織フィールド、リーダーシップ
現代の経営戦略となっている課題
10. 新興企業の戦略:意図されない戦略を、どう意図的に作るか
11. 国際的な事業環境 :国境を超える経営に、どう戦略的に取り組むか
経営戦略のフロンティア分野
12. 経営戦略の未来:人工知能、ロボティクス、VR/AR、IoT

 

第2回  「経営戦略」をいかに定義するか

第2回は、「経営戦略」という言葉の定義に関する議論を通して、実務と学問の間に存在するギャップの一因を明らかにする。

いったい、「経営戦略」という言葉は何を示すのだろうか。

経営戦略は、同床異夢の巣窟である。どちらも経営戦略について議論しているはずなのに、実際は、相手が自分と違う前提をもとに議論していることが多々ある。

本記事では、その「ズレ」の原因になっている「経営戦略」の多義性を議論する。まず誰もが認める、経営戦略の骨格ともいえる要素を抽出する。そして、見解が多岐にわたる具体的な要素に踏み込みたい。そのうえで、実務家の視点から見た経営戦略の課題にも言及しよう。

経営戦略の多様性

経営戦略は極めて広範な学術分野であり、経営に携わるすべての人間が、何らかの関わりを持つと言える。そのため驚くべきか驚かざるべきか、それを一言で表そうとしたとたんに、多様な表現が提示される(表1参照)。

表1:「戦略」の定義の例

上記はあくまで例の一部にすぎず、これ以外にも無数の定義が乱立している。これが、経営戦略とは何かという問いに対する答えを掴みにくくする要因であろう。

戦略論の大家である、ユタ大学のジェイ・バーニー教授は、「戦略について書かれた本の数だけ戦略の定義は存在するといっても過言ではない」(ジェイ・バーニー『企業戦略論 基本編』ダイヤモンド社、2003年、p.28)と言及している。事実、私が図書館で関連文献を洗い出した際にも、一つとして統一された定義に出会うことはなかった。

なぜこれだけの異なる表現が乱立し、それが一つに収束することがないのか。それは、これらすべての定義が間違っているとはいえず、また一つの定義が他の定義を否定することもほとんどないからであろう。

総論としての経営戦略のあり方について、それぞれが他者を否定することはほとんどない。しかし各論としての戦略を語り始めると、互いのズレが顕著に現れ始めるのが現実である。総論同意・各論異論の状態なのだ。

こうした状況を指して、一橋大学の沼上幹教授はこう記している。

「『環境の機会と脅威に対応して、自社の強みと弱みを、時間展開の中でマッチングさせていくパターン』というような抽象的な言葉のレベルでは、強調点の相違がある程度存在するにせよ、それほど議論が分かれることはない。しかし、具体的なレベルに下りようとすると、(中略) 見解が多岐に分かれていく。」

(沼上幹『経営戦略の思考』日本経済新聞出版社、2009年、 p.3)

経営戦略の定義をつかむためには、まずそのズレがほとんどない骨格部分と、ズレが存在する周辺部分に切り分けて考える必要がある。それはすなわち、誰もが同意できる経営戦略の基本的な定義と、異論も存在する新領域・先端領域に関する定義である。

経営戦略の骨格は
「組織」「目標」「道筋」

では、何をもって経営戦略の骨格といえるのだろうか。

私は、経営戦略の骨格が「特定の組織が何らかの目的を達成するための道筋」であることに異論の余地はないと考えている。すなわち、主語としての「組織」があり、到達すべき「目標」があり、それを達成するに至る「道筋」がある。

まず主語としての「組織」は、伝統的な定義では全社戦略(Corporate Strategy)、事業戦略(Business Strategy)、機能戦略(Functional Strategy)の3つの階層に要素分解される。研究開発や製造物流など一つひとつの「機能」が横串で存在し、テレビ事業や携帯電話事業などの「事業」が機能の縦串となり、その集合体として「全社」がある。古くは営利企業を主語とした議論が中心であったが、現在では、非営利組織や政府など多様な組織体も含めることに異論はないだろう(人によっては個人を含めるかもしれないが、それは極めて例外的である)。

次に到達すべき「目標」は、主語が何かによってさまざまである。主語が営利企業の場合、売上や利益の絶対額、成長率や顧客数、継続率や課金率などの先行指標が含まる。組織のビジョンや行動規範も目的となるだろう。主語が非営利組織となれば、マラリア撲滅や待機児童解消など、一企業の枠組みを超えた目標設定も行われる。主語が政府であれば、経済活性化や貿易振興などが目標となる。

そして達成するための「道筋」は、狭義では指針、方法、計画、設計図、見取り図と表現され、事前に決定される集団の行動方針である。組織が活動を行う場所(特に市場)においてどのような行動をとるべきか。それが古くから議論の中心であった。現在では新興国や移行経済の台頭により、「非市場戦略」とも呼ばれる、政府や業界団体などを巻き込んだ市場外での組織の行動も盛んに議論されている。

このように経営戦略を「特定の組織が何らかの目的を達成するための道筋」と捉えたうえで、その道筋がどのようにつくられるのか(How)までを含めて定義とする主張も多くある。たとえば、上智大学の綱倉久永教授と東京大学の新宅純二郎教授は、経営戦略の定義として以下を採用する。

「企業が実現したいと考える目標と、それを実現させるための道筋を、外部環境と内部資源に関連づけて描いた、将来に渡る見取り図」

(綱倉久永・新宅純二郎『経営戦略入門』日本経済新聞出版社、2011年、p.3)

ここでは「外部環境と内部資源に関連付けて」という要素と「将来に渡る」という要素が付け加えられており、両教授はこの2つの要素も多様に存在する経営戦略の定義の共通項であると解説する。

外部環境とは、組織の境界の外側に存在し、組織の行動に影響を与えうる要因すべてを対象とする。最も広く知られる考え方が、マイケル・ポーターの「ファイブ・フォース」であろう[注1]。まず、外部環境の状況を理解する。そのうえで、自己の最適な立ち位置(ポジショニング)を考えるなど、その外部環境に適応する最適な戦略を考えることが、外部環境からの「How」の典型的な導き方となる。

また内部資源とは、組織の境界の内側に存在し、組織の行動に影響を与えうる要因すべてを対象とする。代表的な考え方は、ジェイ・バーニーによって取りまとめられた「リソース・ベースド・ビュー」である。これは自社の持つ経営資源と、その組み合わせによってもたらされる競争力、さらにはその経営資源の組み合わせを刷新していく能力の特性に基づいて、戦略を立案する考え方を総称している。

外部環境の分析と内部資源の分析の2つを主軸として戦略の「How」を考える方法は、シンプルであり、理解しやすい。実際、欧米で利用されている教科書の大半は、道筋をどうつくるかの方法論を外部環境分析と内部環境分析の2軸から同様に解説している。

たとえば、多くのビジネススクールで採用されている経営戦略の3つの教科書、ジェイ・バーニーの『企業戦略論 上・中・下』(ダイヤモンド社、2003年)、ロバート・グラントの『グラント 現代戦略分析』(中央経済社、2008年)、そしてマイケル・ヒットの『改訂版 戦略経営論』(センゲージ、2014年)のすべてが、名称の違いはあれども、一様に外部と内部の2つの切り口による解説を行っている。また、その分析は現在よりも未来を見据えた分析であり、その結果生み出される道筋も、まだ実行されていないこれからの見取り図として提示されている。

これら代表的な著作以外でも、経営戦略の教科書として流通している書籍の大部分は、外部と内部の切り分けから解説を始める。すなわち、経営戦略をつくる「How」として、外部環境と内部環境の2本柱から考えることは、広く一般的だと言えるだろう。したがって、経営戦略を「特定の組織が、何らかの目的を達成するために、外部環境分析と内部環境分析からつくり出す道筋」と定義することも、確かに広く受け入れられる。

ただし、「経営戦略」という言葉が指し示すのはこれだけではない。特に実務家と研究者の間で生じるズレは、以降で議論する、より広い「経営戦略」の定義を捉えたときに初めて明らかになる。

[注1]ファイブ・フォースでは、外部環境を主に産業構造を特徴付ける5つの要因の分析から理解する。なお5つの要因とは、競争業者、新規参入業者、代替品、供給業者、買い手である。詳しくは、マイケル・ポーター『競争の戦略』(ダイヤモンド社、1985年)を参照のこと。

ミンツバーグが拡張した
経営戦略の定義

戦略論の大家であるヘンリー・ミンツバーグは、1987年、「戦略の5つのP」という概念を『カリフォルニア・マネージメント・レビュー』に発表している。彼は「戦略とは何か」という議論に対して、5つの定義を提示した(表2参照)。この5つのPはさらに磨き込まれた形で、戦略論の名著である『戦略サファリ』(東洋経済新報社、1999年)の冒頭でも紹介されている。

表2:ミンツバーグの戦略の5P

ミンツバーグの考え方を援用すれば、これまでに解説した経営戦略の骨格は、さらに2つの方向性から拡張できる。

第1は「パターン(Pattern)」、つまり過去の行動の事実としての経営戦略を含める拡張である。これまで紹介してきた定義が、未来予測、これからの行動、計画、すなわち「プラン(Plan)」を骨格として議論していたのに対して、ミンツバーグが説明する定義は、第三者的視点から観測される、過去の行動の傾向としてのパターンの戦略である。

未来の見取り図としてのプランと、過去の行動の集合であるパターン、この2つは必ずしも一致するとは限らない。なぜなら、未来の行動指針たる経営戦略(プラン)を明確に定めてそれを実践しようとしても、その結果として観測される過去の行動の集合たる経営戦略(パターン)は、予測不可能であった要素や、頓挫して観測され得なかったプランの欠損により影響を受ける。したがって、プランとしての経営戦略とパターンとしての経営戦略は噛み合わないことがある。

第2は「プロイ(Ploy:策略)」、つまり外部要因とも内部要因とも関連付けが困難な策略とも言われる戦略行動を「How」に追加して拡張できる。

前述の通り、外部環境分析と内部環境分析は戦略立案の基本として理解されている。これはマイケル・ポーターのファイブ・フォース分析を古典とするような、産業構造などの外部要因から経営戦略を検討する系譜と、ジェイ・バーニーらの資源ベース理論に基づいた、内部資源の分析から経営戦略を検討する系譜の2つの方向性から発展してきた。この2つの理論体系は影響力が特に強いがゆえに、経営戦略の定義の骨格に近い主流を構成している。

しかし1970年以降、認知心理学の知見であるヒューリスティック(人間が短期間で判断を下す際に、厳密な理性と理論よりも経験値や直感を重視して結論を得る傾向)が広く応用され始めたことが、経営戦略の議論にも影響を与え始める。もちろん、よりミクロな意思決定当事者間の読み合いのゲームとして、経営戦略を議論する動きも進展している。こうした議論の発展を経て、戦略形成における交渉、政治や権力を含む属人的な影響力や権力の行使が、必ずしも外部環境や内部環境に関連しない戦略行動につながることが再発見されてきた。

これらの発見は、当事者間の読み合いを科学する「ゲーム理論」の発展や、一見すると合理的には思えない人間の経済的行動を現実の事象から分析する「行動経済学」の発展と、相互に密接に絡み合っている。これにより、外部環境の分析から見出される「ポジション(Position)」とも、また内部要因から見出される「パースペクティブ(Perspective)」とも異なる、意思決定当事者のプロイが再度着目を浴びつつある。

このように、およそ30年前に提示されたミンツバーグの戦略の5Pは、長い時間を経て、現代でも戦略論に貴重な視座をもたらしている。

第1に、未来の見取り図としてのプランと、過去の行動の集合であるパターンの狭間に存在するギャップは、研究者にとって未開拓領域であり、計画し得ない戦略をどう捉えるかという解決し難い疑問を投げかけている。

そして第2に、外部環境に関わるポジションでも、内部要因に関わるパースペクティブでもないプロイの重要性は、まさに実務家と研究者の間に横たわる溝に直結したズレであり、こちらも未開拓領域が残る研究領域である。

「プラン」と「パターン」の
ギャップとは何か

では、「プラン」と「パターン」のギャップには、何が存在するのだろうか。

特にスタートアップの経営戦略をめぐる議論においては、この問いは非常に重要な意味を持つ。なぜなら、特にスタートアップのようにダイナミックに成長する企業では、プランとしての経営戦略は曖昧にしか策定しえない。逆に、柔軟性と機動性を持って臨機応変に環境変化に対応する企業のほうが往々にして、結果としてパターンが優れている。むしろ、計画に固執することは失敗につながる可能性すらある。

事実、スタートアップ企業で、年次計画や中期経営計画に長時間を費やす企業はそれほど多くない。もちろん、予実管理の必要性は否定しない。しかし、それを実現させるための道筋たる経営戦略を立案するにあたっては、産業構造の分析よりも、自社の組織構造を理解することよりも、もっと大切なことがあるからだ。一定の型であるビジネスモデルを定めると同時に、目の前のビジネスに逐一反応して変化することのほうが、遥かに結果としてのパフォーマンスに効いてくるだろう。

カナダ国立映画制作庁における詳細な事例研究は、その事実を示した。それは1985年、ヘンリー・ミンツバーグとアレクサンドラ・マクヒューが『アドミニストレーティブ・サイエンス・クァ−タリー』に発表した「臨機応変な戦略形成(Strategy Formation in an Adhocracy)」という論文である。

この論文は、それまで経営戦略が、実行される前に計画立案されるものであるという理解が一般的であったのに対して、経営戦略は実行の中から次第に形づくられていくものでもあることを示した。組織の個々人が現場で実践している方法論が先例となって組織の行動様式として定着していくことや、意図せずに現場から見出され、その効果によって組織に浸透した考え方が、結果的に草の根から組織の各層に広がり、全社の経営戦略として認知されるに至る過程を描写している。

ここで議論された概念は、より一般的には「創発的戦略」という言葉で知られている。創発的戦略とは、事前には計画されておらず、ときに偶発的な要因で生じる「意図されなかった行動の集合体」によって構成される。これが結果的に直接的な成功要因となり、さらに事後的なパターンとして観測され、経営戦略として認知されるのである。カナダ国立映画製作庁で確認されたのも、まさに臨機応変に行われた行動の集合体として、事後的に形成されたパターンとしての経営戦略であった。

スタートアップの経営者が、経営戦略の教科書を読んでもいまいちピンとこない一因は、経営戦略の創発的な側面が理解されておらず、またその解説も不足しているからであろう。

スタートアップ経営者の経営の根幹にあるのは、1日単位での試行と改善のプロセスであり、多岐にわたる試行の末にたどり着いた、結果としての経営戦略である。特に急成長を続ける企業は、劇的な変化を伴う外部環境にさらされており、成長に伴い刻一刻とその内部組織も変容している。

にもかかわらず、「経営戦略は外部環境と内部環境の分析から立案する」とだけ単純に講義されたとしたら、その講釈が腹落ちしないのも当然であろう。彼らの実務は、そのようには動いていない。たとえ動いているとしても、おそらく中途半端で結果にはあまり意味がない。なぜなら、大企業のように入念に外部と内部を分析したとしても、彼らの外部と内部環境ははるかに速いスピードで変容してしまうため、極めて高度な分析と立案の能力が必要となるからである。

また、経営誌に掲載されるケーススタディや、インタビュー記事で語られる「我社の経営戦略」が参考にならない理由もここに起因することが多い。その際によく見られるズレは、実現されたパターンとしての経営戦略のすべてが、意図されたプランとしての経営戦略であると誤って解釈される場合に生じる。

経営者も、広報担当者も、あたかもそれが事前に予期されたかのごとく、プランとしての経営戦略であったと語りがちである。しかし現実の経営には、経営者自身も把握していない現場での改善活動であり、競合の偶発的失敗に対する急場の対応策が、意図されなかった行動の集合体として大きな影響を与えている。そしてこれらが、当初意図されたプランと実現されたパターンとしての経営戦略の間のギャップを生み出している。そしてそれは、経営者が語る、パターンとしての経営戦略から見えてくることはない。

創発的戦略は、学習の過程で一貫性が醸成される。成功に至るための道筋が歩きながら見え始めてくるのだ。たとえば、スタートアップ企業が行うA/Bテストによるプロダクト開発や、UI/UXを基軸にした事業開発の手法は、まさに創発的戦略で説明される経営戦略形成の実践例といえるだろう。現実との対話を繰り返す連鎖の中で徐々に組織の行動様式が修正され、一つの型がつくり出され、一貫性が生じるのである。実はこれは、スタートアップのみならず、多くの企業における実質的な経営戦略が実際に生み出されている真のプロセスでもある。

遡れば、一橋大学の野中郁次郎名誉教授が1988年に『スローン・マネージメント・レビュー』で解説した「ミドル・アップ・ダウン」の概念は、中間管理職が実行の中核として創発的に戦略を前進させる姿を描いている。同様に、ハーバード・ビジネス・スクールのキム・クラーク名誉教授と東京大学の藤本隆宏教授が、1990年に『ハーバード・ビジネス・レビュー』で解説した「重量級プロダクトマネージャー」という概念は、外部環境からのインプットをプロダクト開発に導入し、内部環境における部門間の調節機能を担う、中核的な中間管理職による創発的な行動様式を明らかにしている。

それらの議論が解説するのは、スタートアップのみならず、多くの伝統的日本企業においても、狭義の経営戦略は重視されておらず、実践もされていなかった可能性である。伝統的日本企業の経営戦略の骨格は長らく創発的であり、欧米の経営戦略の教科書が語るような、外部環境と内部環境の分析からは生み出されていないのかもしれない。日本において特に、「経営戦略」や「戦略コンサルタント」という言葉が懐疑的に捉えられるのは、こうした背景もある。

プランとしての経営戦略のみを捉えていては、パターンとして経営戦略を掴むことはできない。そしてパターンとしての経営戦略のほうが、特に日本ではより一般的で重要な可能性が高い。これも大きなズレの一因だろう。

図1 :意図されたプランと意図されなかった行動

創発的戦略ともいわれる、経営と現場の中間で動的に形成されていく戦略の実態は、さらにその重要性が増している。しかしながら、いまだ未開拓領域の残る部分でもあり、近年でも活発な調査研究が行われている。

「プロイ」がもたらすギャップとは何か

では、経営戦略のもう一つの側面であり、1984年のヘンリー・ミンツバーグの論文がすでに言及している「プロイ」とは、どのようなあり方なのだろうか。

それを考えるうえでは、欧米で用いられる経営戦略の教科書の中でも、経済学の理論に立脚しているロバート・グラントの『グラント 現代戦略分析』が特に参考になる。この教科書は、外部要因を扱う第3章と内部要因を取り扱う第5章とは独立した、「産業分析と競争分析における追加的話題」という第4章を設けている。そして、個々の企業における動態的な状況に依存した意思決定の連鎖が、結果的に自社の経営戦略に大きな影響を与えている事実を詳細に解説している。

同書では、いくつかの寡占市場の事例が解説されている。たとえばペプシコーラの戦略は、自社の内部環境よりも、清涼飲料水産業の構造によりも、コカ・コーラの戦略とそれに対応するマーケティング戦術によって決められていると説明する。同様に、ロイターの競争戦略はブルームバーグの競争戦略に影響を受けており、ボーイングのそれはエアバスの競争戦略に影響を受けているという。

たしかに寡占市場で競争する大手企業の経営戦略は、産業構造や内部資源よりも競合の戦略に大きく影響されうる。そしてその行動は、比較的単純な要因で表現できることも多い。たとえば鉱物や化学薬品、農作物などのコモディティ商品であれば、出荷数量とその価格が重要となる。また携帯電話事業であれば、料金プランの設計が大きく影響を与える。

個別企業の意思決定に影響を与えうる競争環境の影響は、外部環境分析の枠組みに取り込まれている。しかしプロイが取り扱うのは、現実の経営戦略が、マクロ的な産業構造の力学の帰結であるというよりも、よりミクロ的な相互の読み合いと摑み合いであるという可能性である。

現実では、多くの実務家の意識は競合他社に支配されている。冷静で客観的、そして網羅的な既存企業の競争関係分析から、論理的に自社に最適な行動を描き出している実務家はどれだけいるだろうか。産業構造を意識するよりむしろ、競合の新製品にどのような機能が搭載されているか、その仕様が自社製品と比較してどうかの理解に多くの時間が割かれているのである。

意思決定者の決定は、現実的には極めてシンプルな誘引に大きく影響されており、個別の意思決定の集合である組織の意思決定においても、多かれ少なかれその傾向がある。したがって、ゲーム理論の知見と、それをもとに発展するマーケットデザイン研究やリアル・オプションの応用可能性は極めて大きい。

なおマーケットデザインとは、ゲーム理論の知見をもとに制度設計を行い、それが現実で想定通り機能するかをシミュレーションや実証実験で検証する、実践的な学術分野である。またリアル・オプションでは、たとえば競合との競争を時間軸上に存在する繰り返しゲームとして捉え、現時点で取りうる戦略オプションの価値を算出する。こうしたより数学的な考え方は、不確実性の高まった現代において、考え方の軸として有用となり得る。曖昧なものを算定可能なものとして捉え、論理的に議論することを可能とするからである(もちろん、現実的には発展途上の側面も否めないのは事実である)。

さらに、行動経済学で議論されるようなヒューリスティックな要因が意思決定当事者の判断に与える影響を加味すれば、外部環境と内部環境のシンプルな分析だけで立案された経営戦略を超えて、より質の高い経営戦略が立案できる可能性がある。これもプロイとしての経営戦略の立論である。

組織の経営戦略という文脈で属人的な要素を議論することは、一見すると非合理に見える。しかし、現実の経営戦略が限られた数の人間によって属人的に決定されている事実を加味すれば、これも不思議ではない。実際、経営戦略のフロンティアには、トーマス・パウルが「ニューロ・ストラテジー(Neurostrategy)」と呼ぶような、経営者個人の脳内の活動を分析することで、脳科学の知見を戦略研究に役立てようとする方向性も存在する[注2]。

これまで紹介してきたような、ミンツバーグの言う、ポジション、パースペクティブ、プロイの3つ、いわば経営戦略の「How」は相互に重なりを持ちながら共存している。そのためこうした多様な考え方は、それぞれが異なる見方を否定するものではない。

たとえば、競争戦略としてマイケル・ポーターらによって広められたポジションの議論は、のちにジェイ・バーニーらが理論化した資源ベース理論を中核とするパースペクティブの議論とともに進化してきた。外部環境分析を中核としたポジションの議論と、内部環境分析を中核としたパースペクティブの議論は、相互に両立可能であり、それをうまく組み合わせることでよりよい知見を得ることができる。たしかに現代では、ときに外部要因とも内部要因とも関連付けが困難な戦略行動をも取り扱うプロイが、次第に大きな潮流となりつつある。しかしこれも、ポジションとパースペクティブの議論を補完するものであり、否定するものではない。

すなわち、現代における経営戦略の「How」の全体像を捉えようとするならば、ポジション、パースペクティブ、プロイの3つの柱をすべて理解する必要がある(図2参照)

図2:現代における「How」としての経営戦略の探求

[注2]詳しくは、Powell, T. C. 2011. Neurostrategy. Strategic Management Journal, 32(13): 1484-99. を参照のこと。

実務家が最も知りたいことは
未開拓領域にある

「経営戦略とは何か」という議論において、経営戦略の書籍や研究で十分には取り上げられていない未開拓領域が数多く存在する。特にそれは、日々の戦略の実践であり実行である。なかでも個別具体的な事例においてどのように創発的な経営戦略を実践していくのかは、いまだ答えの見えないフロンティアである。

戦略の実行には、個別具体的な要素が多種多様に入り込む。そのため、ある産業の、ある企業の、ある事業の、ある商品の、ある側面に対する経営戦略に対して、一般化された理論で答えを出すことは極めて難しい。

伝統的な経営戦略の定義では、実行は「戦術」の範疇であり、定義の外にあると考えられてきた。一方で、経営戦略の書籍に羅列される「競争優位」「垂直統合」「多角化」といった用語だけでは、おそらく大半の実務家には遠すぎるのではないか。彼らが何よりも知りたいことは、具体的にどう実行するのか、だからである。

ただし、すでに戦略の実行におけるノウハウが浸透している部分もある。

たとえば、伝統的な戦略計画とそれに紐づく予実管理においては、各部、各事業に流し込まれた数字をどう満たすかに関して、半自動化された業務プロセスが完成している企業も多い。月次や週次を締める前に、期ずれや未達をできる限り未然に防ぐために、調整弁として機能できる細目を活用するような小技は、現場に太く継承されている。経営戦略の中でもプランの要素、特に予算計画や経営計画の立案の実行に関しては、ある程度一般化された回答が存在するのである。

しかし、特に創発的な戦略を議論しようとすると、その実行を担保する枠組みや考え方は十分に提供されていない。現実問題として、多くの経営戦略は具体性と細部を欠いて提示され、そして意思決定される。提示されたプランとしての方向性を、現実の事業や商品サービスに落とし込むまでには、果てしない距離があるのだ。

その溝を埋める創発的な戦略形成のプロセスは、その定義からして流動的であり、個別の学習プロセスの中から独自に生まれるものである。したがって、一様の理論的説明からその答えを提示することは難しい。結果的に、実務家は経営雑誌やケース討議資料から個別具体的な事例を学び、ときにコンサルタントの助言にも耳を傾けながら、ほぼ独自にそれぞれの実行策を試行錯誤の中から実践しているのが現実ではないだろうか。

こうした背景をもとに、実務家の間では、仮説思考計画法、デザイン思考、リーンスタートアップ、ストーリーによる戦略構築といった創発的な経営戦略につながる考え方が評価され、それが理論的な検証が不十分なままに実践されているという状況が生まれているのである。

***

本記事ではここまで、経営戦略をめぐる議論のズレの原因となっている、「経営戦略」という言葉が示す概念の多義性を議論してきた。

たしかに、経営戦略として最もオーソドックスなものは、事前策定される計画かもしれない。しかし実際のところ、それは経営戦略の骨格の一部にすぎない。これだけを指して、「経営戦略は役に立たない」「現実とはそぐわない」「意味がない」と否定するのは誤りである。

経営戦略を日夜考えるスタートアップや、日本経済の中核である伝統的な日本企業においては、草の根の実践の繰り返しで次第に形成される組織の方向性が、結果的に経営戦略と呼ばれる組織の道筋となることが多々ある。そのため、経営戦略を狭く捉える実務家の多くは「経営戦略は役に立たない」と言う。

しかし、経営戦略は事前に立案されるプランとしても存在するが、観測された行動のパターンとしても存在する。予算計画と予実管理のような数値で明確に示されるものもあれば、論理的に見えないような行動も含めて、創発的に草の根から形成されていく戦略も存在するのである。より広く経営戦略を定義して、創発的と呼ばれる戦略の形成プロセスも、またプロイと呼ばれるような戦略の考え方も、科学的かつ論理的に捉えることでズレを解消し、科学の知見を実学の実践に役立てることができるはずである。

次回は視点を変え、歴史的視座を通じて、経営戦略の発展を概観していく。時系列を追いながら、経営戦略がどのようにその議論を深めていったのかを考えたい。

【本記事の要点】

• 経営戦略の中核は「特定の組織が何らかの目的を達成するための道筋」
• これをつくり出すためのHowが、外部環境分析と内部環境分析の2本柱
• 「特定の組織が、何らかの目的を達成するために、外部環境分析と内部環境分析からつくり出した道筋」は広く受け入れられうる経営戦略の定義
• 「道筋」は、未来の見取り図とも、過去の行動の集合とも理解しうる
• 外部や内部環境の分析以外に、状況依存する意思決定が再注目されている 。そのため創発的な戦略や意思決定当事者のプロイ(策略)は、経営戦略の本質を議論するうえでも避けられない。
• 経営戦略が、戦略の実行、特に創発的経営戦略の実践については、依然として未開拓のまま取り残されている事実がある。

第3回  経営戦略前史: 紀元前からその歴史をたどる

第3回は、経営戦略の起源を紀元前まで遡ることによって、現代経営学に至るまでの流れを体系的に整理する。

経営戦略は、すでに確立された学術分野となりつつある。しかし、遠い昔から体系化された広がりを持っていたわけではない。長い時間をかけ、次第にその深みを得た経緯がある。

では、どこに経営戦略の起源を見出し、その進化をどのようにとらえればよいのだろうか。本記事では、経営戦略の前史を再整理する。通常の経営戦略の教科書では数行、長くても1ページ程度しか触れられない起源をできる限り遡りたい。

まず、その言葉とそれが意味する活動の起源を考える。次に、軍事を対象とした戦略論の中で現代経営戦略にも応用される古典的な考え方を中心に紹介する。そのうえで、現代経営学の黎明期の議論から経営戦略の源流を整理したい。

経営戦略の語源は
古代ギリシャにある

経営戦略の起源を、その語源から遡ろうとするのであれば、それは少なくとも紀元前501年のギリシャにまで遡る。

戦略は英語で“Strategy(ストラテジー)”と書く。直接の語源はラテン語の“Strategos(ストラテゴス)”であり、この言葉は古代ギリシャで生まれた。

僭主ヒッピアスを追放したアルクメオン家のクレイステネスは、各地の部族から選ばれた500名の委員で構成される評議会による民主的な改革を実行した。同時に、ストラテゴスと呼ばれる軍事上の指導職を設ける。各部族から1名ずつ、計10名のストラテゴス(複数形で“Strategoi[ストラテゴイ]”と呼ぶ例もある)が再任可能な1年の任期で選出された。そして、1名1票の平等な権利を持つ彼らが、アテナイの軍事的な活動について多数決で意思決定を行っていたのである。

時代の変遷を経て、ストラテゴスの部族代表としての性格は薄れ、部族にかかわりなく、ときには影響力のある政治家が選出されることも一般的となった。そしてギリシャがその支配圏を拡大するにつれて、全員が同等の責任を持っていたストラテゴスも、海外遠征担当や地域防衛担当など、それぞれ独自の管掌領域を受け持つこととなる。これは現代企業の取締役会に通じるところもあるだろう。

ただし、ストラテゴスは依然として軍事的指導者という役職を意味したため、現代的な意味でのストラテジーとは異なる。“Strategy”に最も近い表記のラテン語は、ローマの歴史家が生み出した“Strategia”という言葉であるが、これはストラテゴスが選出される各地域を指した言葉であり、その意味はさらに遠い。

現代の“Strategy”に最も近い意味を持つ言葉は、ローマ帝国のセクストゥス・ユリウス・フロンティヌスが紀元前1世紀の終わり頃に記した書籍の表題、『Strategemataton (ストラテーゲーマトーン)』として採用されている[注1]。これはまさに、軍隊の指揮法や戦術を表す名詞として用いられた言葉である。意義からすれば、これがより起源に近い(意義という観点で見ると、当時のギリシャ人の言葉では“Taktike techne”であるが、これも軍隊の指揮法や戦術の技術を指す言葉であった)。

古代ギリシャの時代にはすでに、軍事的な意味での戦略はすでに体系化された知識として専門家の間で共有されていた。大規模で長期的な集団行動を統率するための方法論として、そのノウハウは文明の黎明期から磨き込まれていたのである。

では、経営戦略の骨格を「特定の組織が何らかの目的を達成するための道筋」ととらえたとき、人類はいつ頃からそれをつくり出してきたのだろうか。

おそらく、その起源は有史以前まで遡ることができるはずだ。戦略が先史時代から存在したと考えてもなんら矛盾はない。もちろん、我々がいま想像するような戦略ではなかった。後述するが、それはパターンとしての戦略(第2回参照)の世界であり、ほとんど記録が残っていない太古の人間生活ではある。だが最も広く戦略をとらえるのであれば、それも戦略と言えよう。

[注1]『ストラテーゲーマトーン』は、一部にローマ時代の他の書物との類似性が指摘されているものの、ギリ シャ時代の戦略を具体的な事例から端的にまとめており、現代への示唆もある。日本語訳(『[新訳]フロンティヌス戦術書』PHP研究所、2013年)もあり、一読の価値がある。

戦略の起源を
有史以前に見る

組織とは、複数の人間が協調行動を行うときに生まれる。人間の意識が生まれ、何らかの目的を持って他人と協調行動を行った瞬間に、何らかの道筋がその組織に生じたと考えるのが自然である。

そして前史時代の壁画にはすでに、「特定の組織が何らかの目的を達成するための道筋」を実行しようとしている姿が描写されている(図1参照)。

図1:北欧先史時代の壁画

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(C)Dieter Lion via dreamstime.com, quoted under the royalty-free license

ここで行われていた戦略はむしろ現代に近く、おそらく創発的な戦略が実践されていたと考えらえる。ある程度の事前計画が行われていたとしても、それを高度化するための記録手段や意思伝達手段が限られていた。なにより人類としての思考や意識が未発達であったと考えられるため、プランとしての経営戦略を当時の人類が詳細に立案することは、ほぼ不可能であっただろう。

当時の戦略は、より創発的であったと考えられる。動物的な野性の勘であり、自然との一体感であり、日常の繰り返しから生じる組織学習が集団の共有知をつくり出し、次第にそれが組織の行動の一貫性につながったのだろう。だからこそ、それは体系化された知識にはなりえず、文字通り原始的な姿で表出し、先人たちの行動パターンから次の世代に伝承され、次第に磨き込まれたのではないか。

そこから時が進み、文明が黎明期を迎えると、それらは少しずつ高度化していく。たとえば、紀元前4000年ごろのレバント地方(東武地中海沿岸地方。現在のイスラエルやレバノンの地域)には、小規模ながら多数の工場が存在し、分業体制が確立されていたという。すなわち、そこにはすでに組織があり、営利を目的とする経営があった。いまから6000年前には、現在の我々が「企業」と呼ぶ組織の原型が活動していたのである。

また紀元前2600年頃から興隆したインダス文明では、陶器に製品のブランドやトレードマークを掲示することが一般的であったと言われる。モヘンジョダロやハラッパ、そしてロータルから出土した土器には、コブ牛(Zebu bull)やユニコーンの刻印が押されていた。これはまさしく、ブランディングによる商品差別化が行われていたことを示す。組織的な生産活動のみならず、販売活動の発展についても、いまから4600年前には始まっていたのである。

さらにこの時代、栄華を誇ったエジプト文明では、人間の組織的な行動はより大規模となっていた。運河やピラミッドなどの巨大建造物をつくるにあたって、数千人以上の人間による協調的な活動が行われるようになる。これは現代の感覚からしても大規模プロジェクトと言えるものであり、もはや事前の企画と計画なくしては実行が難しい。

たとえばクフ王の大ピラミッドは、紀元前2560年頃、延べ20万人が30年の歳月を費やして建設した一大プロジェクトであった。建設会社の大林組が昭和53年に面白い試算をしている。この建設には、1980年代の技術を用いても3500名の要員が必要であり、工期は5年、総工費は1250億円が必要であったというのである(表1参照)。

表1:大林組によるピラミッド建設費用試算

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出典:http://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/pyramid/p04.htmlを基に作成

人間の組織的活動は、文明が発達するに従って、その規模を飛躍的に拡大させてきた。しかしそれでも、現代的な意味での経営戦略が体系的な知識として整備されていたわけではなかった。職人芸の徒弟制度による伝承が、ノウハウの蓄積の主要手段として活用されていたのみである。

最古の戦略書とは何か

フロンティヌスによる『ストラテーゲーマトーン』は、紀元前1世紀の終わり頃に記されたと言われている。ただし、戦略について議論した最古の書物ではない。

戦略という言葉は用いていないものの、「特定の組織が何らかの目的を達成するための道筋」をどのように立てればよいかを体系的に議論した、それ以上に古い書物が存在する。それが「孫子の兵法書」として現代にも伝わる兵法の体系である。

同著は紀元前500年頃から、原著者である孫武や後継者と支持者の手により徐々に成立した。この書をもって戦略論の原点とする主張は多い。たしかに、少なくとも軍事の戦略という観点からは、間違いなく孫子の兵法書こそがその体系化の先駆けであろう。

孫子以前の戦いは、天運に身を委ねるという要素が強かった。生贄を捧げ、神に祈り、身を清めることこそが勝利につながる最短経路と見なされていたのだ。しかし、戦いの勝敗を人間の知識と行動により左右できることを明示的に主張し、その方法論を13編からなる一連の理論体系に取りまとめたことが、孫子と、その意思を継いで体系化に貢献した者たちの大きな貢献である(たとえば、三国志に登場する魏の曹操は現代に残る孫子の兵法書の底本『魏武帝註 孫子』を編纂している)。

『孫子』が時代を超えて価値を持つ理由として、これが単なる戦術書ではなく、戦いという行為に対する哲学的な示唆を持つことも無視できない。戦争という行為を国家運営の一手段ととらえ、戦闘行為のみならず、補給や情報戦にまで言及している。ときに戦わないことを説き、その論は負け方にまで及ぶ[注2]。

その後、近代に至るまでに数多くの兵法書が記されたが、現代にも読み継がれる作品は稀である。それではなぜ、『孫子』が時代を超えて注目を浴び続けることとなったのか。それには時代を大きく進めて、近代の軍事戦略論の発展に目を向けなければならない。

[注2]孫子の兵法をどのように現代に活用するか。これには多種多様な議論が存在する。1冊だけ紹介するのであれば、『孫子に経営を読む』(伊丹敬之、日本経済新聞社、2014年)を推薦したい。同書は一流の経営学者の視点から、現代企業の事例を交えながら孫子のエッセンスを噛み砕き、そこからの学びを抽出しており、一読の価値があるだろう。

近代戦争が
軍事における戦略を進化させた

産業革命とフランス革命、18世紀の後半に生じたこの2つの革命は、19世紀の戦争の姿を一変させた。

それらの革命を機に、戦争は大規模化し、銃器で武装した歩兵部隊が主役となり、その細緻な運用の成否が勝敗を左右するようになる。それまでは武器弾薬や食料などの物資の生産力が理由となり、戦闘活動に動員できる人員数はおのずと制限されていた。また戦闘に動員する兵力も、国防責任を追う貴族や騎士に限られたり、またそれを雇用するための費用により大規模な動員は困難であったりした。

だが、産業革命が近代国家の急速な工業化を促進させた。その結果、戦争に用いられる兵器の性能が飛躍的に高まるだけでなく、食料や関連物資の生産、輸送、そして貯蔵技術の急速な進化につながった。産業振興による経済の拡大、製鉄技術の進化、動力技術の発明、移動手段の高度化、さらには通信手段の性能向上など、近代国家が実行できる戦争のあり方を大きく変えたのである。

それらと相まって、中央集権的な国民国家の形成が、兵力の拡大と補充を容易にした。それまでは王族や貴族など特別な存在が国防の義務を負う形がとられていたため、国民を無作為に戦争に駆り出すことは難しかった。しかし国民国家の成立は、権利の見返りとして国民に国防の義務を負わせ、これにより広く大量の国民を兵力として動員できる体制が整ったのである。そしてこれは、19世紀後半までには主要先進国に広く普及した。

こうした変化の兆候をとらえ、近代戦争のあり方を変えたのが、ナポレオン・ボナパルトである。銃器や火砲などの技術を合理的に活用し、国家の総力を動員して殲滅戦を展開した戦争は、欧州を席巻した。そして、ナポレオンの革新的な戦争の戦略を省みることが、軍事戦略論の大きな変化に結びついた。

戦略論の系譜を語るときに必ず紹介されるのが、カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』(1832年)と、アントワーヌ=アンリ・ジョミニの『戦争概論』(1838年)である。

クラウゼヴィッツは、戦争とは拡大された国家間の決闘であるととらえ、敵の完全打倒を目指す決戦戦略を提示した。ナポレオン戦争の観察から論理的に導かれた彼の戦略は、戦争を動態的にとらえ、その実行の側面を重視した。対してジョミニの戦争概論は、これもナポレオン戦争以後の師団編成をもとに議論を進め、機動と兵力集中による攻撃という原則のうえで、しかし計画と準備に重点を置いた戦略計画の重要性を説いた。そのどちらも、資源を大規模に動員して組織的に行動するという点では、企業経営にも示唆を与える議論である。

国家の総力を動員して殲滅戦を展開することと、そのために入念な準備を行い、動態的に敵の行動に反応しつつ戦闘を継続する方法論の普及は、技術進歩と相まって、20世紀の二度の世界大戦の大量の犠牲者、すなわち第一次世界大戦の1500万人から2000万人の犠牲者、そして5000万人から8000万人とも言われる第二次世界大戦の大量の犠牲者につながった。そして、この悲劇を生み出した戦争のあり方を見直す過程で、また新たな議論が生まれる。その代表格が、ベイジル・リデル=ハートであった。

リデル=ハートは2つの世界大戦を詳細に分析することから、そこで極めて有効であった戦略を理論化する。たとえば「間接アプローチ戦略」と称して、ドイツがUボートを用いて経済封鎖や通商破壊を行って、経済を弱体化させようとした戦略を解説する。そのうえで、国家総力戦を助長させたクラウゼヴィッツの戦略論に対する批判を展開した。他方では、孫子の兵法書を再発見し、その考え方が世界に広まることに貢献した。殲滅戦に対するアンチテーゼ、それが孫子の「戦わずに勝つ」という言葉を東洋だけではなく、西欧社会にまで広めたのである。

その後も、軍事戦略の研究は展開を続けていくこととなる。核兵器の登場や、東西冷戦、そして宇宙開発といった時代の変化に対応するかのように少しずつ新たな考え方も登場した。なかには、フレデリック・ランチェスターの数理モデルのように、第二次大戦で用いられた考え方が経営戦略へ応用される動きもあったものの、この時期以降、軍事戦略の知見が経営に応用されることは次第に少なくなっていく。

その一方で、「営利企業にとっての、何らかの目的を達成するための道筋」という系譜は、20世紀以降独自の発展を遂げ、軍事戦略とは異なる発展を遂げることとなる。国家総力戦の展開と密接な関係を持つ、大量生産、大量消費時代の幕開けが、現代経営戦略の直接的な起源へとつながったのである[注3]。

[注3]軍事戦略の観点からは、ここで紹介した議論以外にも、古典から現代の理論まで読み込む文献は数多い。たとえば『戦略論の名著』(野中郁次郎編著、中央公論社、2013年)は、そうした文献の概要を掴むうえで参考になる。

近代的企業の成立が
経営学を必要とした

では、近代以前に営利組織の経営戦略は存在しなかったのか。

そうではない。ただし、アルフレッド・チャンドラーの描いた『The Visible Hand』(1977年)[注4]の時代が始まった19世紀以前と以後で、まずは米国を皮切りとして営利組織の姿が大きく変わった。これが、経営学の発展と経営戦略の登場の直接的な背景となる。

1840年代まで、米国では依然として伝統的、小規模な企業が各地に点在しており、それを貿易商が結びつけていた。それが1850~1860年代になると、水運や鉄道、そして電信の発達により、次第に地域を超えて遠方から商品を買い付ける、あるいは遠方で商品の販売を行うような企業が発達し始めた。

そして19世紀の後半には、いわゆる近代的な大企業が、地理的隔たりをつなげて大規模な組織を運営するようになる。1870年から1880年には、通信販売、チェーンストア、大規模小売店が台頭し、全国規模で展開を始めた。これにより、それまで国家や大商人しか持ち得なかった巨大組織が、市場に当たり前のように存在することとなる。

流通革命から始まったこの商業の変革は、やがて生産工程に波及し、経営者の時代が訪れる。それはアダムスミスのいう“Invisible Hand(見えざる手)”が支配する商取引の時代、すなわち市場での取引が中心であった時代から、チャンドラーのいう“Visible Hand(見える手)”が支配する商取引の時代、すなわち組織内に内部化された取引が主役となる時代への転換である。

それ以前の小規模な工場と小規模な商店をつなげていたのは、組織ではなく市場であった。そのため、その取引をどのように行うか、それがどのように機能しているかは経済学の領域であり、かつ政府が影響をもたらすものであるため、一企業にはどうすることもできないと思われていた。

企業行動の戦略的な要素が議論される場合にも、それは経済学おける構造的な市場の失敗、すなわち独占や寡占をつくり出せば超過利潤を得られるという主張が中核であった。この議論が、たとえばロックフェラーのスタンダードオイルによる独占と寡占の戦略につながり、彼に巨万の富をもたらしたことも事実ではある。またロックフェラーのみならず、多くの企業を積極的な拡大策と市場独占に駆り立てたが、それは依然として強者の戦略であり、広く多くの企業が参考とできるものではなかった。

しかし、市場中心の時代から組織中心の時代へと変遷する、その転換を契機に、軍事や国家運営で培われた組織管理や予算管理の手法が、経営組織の運営に応用されるようになる。特に巨大組織の要員計画と予算計画においては、軍事と国家運営に一日の長があった。そこで新たに登場した巨大な企業群は、まずそれらを模倣して実践することから、急成長する組織の運営を実現したのである。

それまでの人類の大規模な組織的活動は、戦争やごく限られた大商人の活動(特に国家の威信をかけた公共事業)に限られていた。そのため、一般的な営利企業(工場や商店)をどのように運営するかは、親から子へ伝えられるものであり、独立を目指して働きながら学び、みずからが実践するなかで身につけるものであった。たとえば 「富山の売薬」「近江商人の三方よし」「三井越後屋の現金掛け値なし」のように、事例として参考とされる商人の心構えやそれを記した書物は、日本のみならず世界中で確認できる。

それが19世紀に始まる営利組織の大規模化と複雑化によって、経営者の感や経験だけに頼らない、経営の方法論の確立を求める時代を呼び寄せたといえるだろう。科学としての経営戦略、その原型と言える経営の科学は、近代的大企業が世に登場して初めて急速な成長とその体系化を進めたのである。

[注4]邦訳は『経営者の時代 上・下』(鳥羽欽一郎・小林袈裟治訳、東洋経済新報社、1979年)。

科学的管理法による
生産性の追求へ

経営を科学する。それによって競合に対して有利に立てる。

これを初めて世に提示したといわれるのはフレデリック・テイラーであり、彼の仕事の集大成といえる『The principles of Scientific Management』(1911年)[注5]であろう。その考え方は、鉱山からスーパーまで、広範な組織の経営の生産性を引き上げた革新的な考え方を取りまとめており、大量生産・大量消費時代の実現を大きく後押しした。

テイラーにとっての「特定の組織が何らかの目的を達成するための道筋」は、科学的管理法による生産性の改善である。

ストップウォッチとノートを持ち、労働者の行動を観察する。それを科学的に検討して標準化していくことで、作業効率を引き上げていく。それは、ヘンリー・フォードが1908年に送り出したT型フォードの生産ラインでつくり込まれ、ある種の完成型を見たといえよう。部品の規格化を進め、製品を標準化し、製造工程を細分化して、それを流れ作業で管理する。それによって大量生産による規模の経済を最大化し、コストリーダーシップによる市場独占を目指す。この方法論は自動車産業以外でも試みられ、一つの時代を形成した。

テイラーの考え方は、生産工程のみならず、組織全体に応用可能なものであった。たとえば、アンリ・ファヨールの『Administration Industrielle et Générale』(1917年)[注6]は、経営の要点はこれらの管理であると説明する。

ファヨールは、経営管理を計画、組織化、指揮、調整、統制の一連のプロセスであると指摘した。生産管理を主眼としたテイラーに対して、ファヨールは企業を技術、商業、財務、保全、会計、管理の6つに分類し、企業全体を議論したのだ。ただし、その経営者のあり方も、テイラーと同じく労働者に対する上位者、管理者や監督者としての姿であった。

科学的管理法による生産性の追求は、人間性の否定にもつながる。実際、その第一人者たるテイラーは、労働者の可能性を過小評価していたとも言われる。

彼は”stupid”という言葉を多用し、労働者は学ぶ能力が限られ、管理された単純作業に従事することが最適であると考えていた。工程の分析と設計、その計画を担う役割は、能力のある管理職に任され、労働者はその計画を分担して実行する忠実で正確な部品となることが求められたのである。

たしかに、初等教育も受けていない貧しい移民労働者が生産活動の中心であり、彼らが担う労働も単純作業が中心であった時代には、一定の合理性があった。その時代における最適な経営戦略は、管理監督による生産性の追求だったのである。

しかし、次第に人々が豊かになり、その心にゆとりと教養が生まれるようになると、そうした非人間性に対する疑問が生まれるようになる。それはチャーリー・チャップリンの『モダンタイムズ』(1936年)に表されるような、意思を持つ労働者と非人間的な生産現場の対立関係につながった。そして、そうした疑問は組織と経営のあり方に新たな考えを生み出すことになる。

[注5]邦訳は『新訳 科学的管理法』(有賀裕子訳、ダイヤモンド社、2009年)。
[注6]邦訳は『産業ならびに一般の管理』(山本安次郎訳、ダイヤモンド社、1985年)。

生産性の追求から
人間性の活用へ

エルトン・メイヨーの『The Human Problems of An Industrial Organization』(1933年)[注7]では、「ホーソン実験」と呼ばれる一連の研究の成果を紹介している。ホーソン実験とは、シカゴにあったウェスタン・エレクトリック社の工場で1924年から1932年まで断続的に実施されたものである。メイヨーはその研究によって、労働者の生産性が社会的欲求や感情に左右されるため、非公式な組織や人間関係が生産性向上に重要となるという仮説を提示した。

ホーソン実験が提示した事実は、その検証手法に議論は残るものの、それまでの科学的管理法の理解を反証しうるものであった。

作業環境の照明レベルに変化が起きたという事実だけで、照明を明るくしても暗くしても作業効率が高まった。組み立て作業の賃金や労働時間、作業環境の冷暖房を調整すると、どのような調整をしても作業効率が高まった。研究員が調査目的の面談を行うと、面談を行ったという事実だけで、その労働者の生産性が高まった。これらの事実は、テイラーが説く科学的管理法の理解からは解釈が難しい発見である。

その発見を背景として、工場における生産性には、労働環境や労働条件ではない人間的な要因が大きく影響しているという仮説が導き出される。すなわち、自分たちは選ばれて実験に参加しているという意識であり、経営者や研究者が自分の仕事に興味を持っているという喜びであり、周りの人間との人間関係である。それは、1933年に亡くなったメアリー・パーカー・フォレットが提唱した、一人ひとりがリーダーシップを持つべきとする政治や組織のあり方を再確認するものであった。

これは現代から考えれば至極当たり前の事実であるが、100年前には当然ではなかった。一見矛盾する結果であったために、科学的管理法を推進するコンサルタントや研究者は、単にこれは実験の失敗であり、恣意的な主張であると批判した。しかしこの発見は、その発展に限界が見えつつあった、人間を部品として冷徹に管理する管理法に対して新しい進化の方向性を示したのである。

そのように人間性をも取り込んだ経営の方向性は、科学と理論を実践する監督者としての経営者のあり方に疑問を生じさせる、新たな考え方であった。その潮流のなかでも、ニュージャージー・ベル電話会社の社長を20年務め、ロックフェラー財団の理事長でもあったチェスター・バーナードの経営思想は、実業界に多大な影響を与えている。

彼がハーバード大学の公開講座で示した講義内容を書籍した『The Functions of the Executive』(1938年)[注8]は、経営組織を2人以上の人間によって意識的に調整された活動と諸力のシステムであると定義する。そして経営者の役割とは、その社会的な協働システムに対して共通の目的を与え、参加人員の貢献意欲を高め、そして従業員相互のコミュニケーションを活発化させることにあるという。

バーナードは、どのような組織であるべきかという組織論と、どのような経営者であるべきかという経営者論を一体として議論し、経営者には管理能力のみならず高い規範意識を求めた。経営者としての実績とその巧みな表現、社会に対する高い発信意欲により、アルフレッド・テイラーに続く新時代の理論家としての名声を高め、一つの時代を築いた人物である。

その後、バーナードが説明した協働システムとしての経営組織のあり方は、ハーバード・サイモンの『Administrative Behavior』(1947年)[注9]によって高度に理論化される。

サイモンは、経営組織とは、人間の限定合理性と不完全情報を前提とした、客観的な合理性を備えた判断を範囲の限定によって可能とする装置だと理論化した。意思決定の本質を単純な原理原則の集合として理解し、それを束ねる存在としての経営のあり方を提示して、その科学的な理解を深めたのである。

バーナードが説いた経営哲学は、さらにピーター・ドラッカーの『Concept of the Corporation』(1946年)[注10]や『The Practice of Management』(1954年)[注11]によって再定義される

『Concept of the Corporation』は、ゼネラルモーターズの事業部制がもたらした功罪に対する分析から、組織活力を向上させるための分権化、権限移譲と労働者の自己管理の推進を行い、作業者を管理すべきコストではなく活用すべき経営資源ととらえるべきと主張した。また『The Practice of Management』では、社会的存在である企業のあり方をさらに推し進め、企業の存在価値とは、最終的には顧客や市場が決定するという考え方を提示して、マネジメントのあるべき姿を広く世に示した。

ここに至ったことで、社会における経営者、経営組織、労働者のあり方に対する理解が一つの完成を見る。依然として、企業経営の文脈において経営戦略という言葉は一般的ではなかったが、それに必要とされる要素は出揃ったのである。

***

このように振り返ると、経営戦略は、本格的に進化する以前に、それに必要な素材はあらかた議論されていたとも言える。

それを示すように、本記事で紹介したような古典は、経営戦略の文脈から現代においても活発に議論されている。ただし、こうした経営戦略以前の戦略の歴史は、標準的な経営戦略の教科書では通常1ページも割かれない前史である。その理由は、それ以後の発展がより科学的な検証と議論であり、企業の実態に根ざす経営戦略として磨き込まれた一つの系譜として存在するからであろう。

たしかに、本記事で紹介した素材を現代に活用するには、いくつか注意すべき点が存在する。最も重要な点は、それらが生み出された時代背景と、本来の目的を理解したうえで議論を噛み砕かなければならないことである。あくまで軍事が目的であったり、生産管理が目的であったり、経営者のあるべき姿を議論したりしているため、現代にそのまま用いて経営戦略とすると多少なりとも無理が必ず生じるであろう。より広い目的や異なる目的に対して磨き込まれた議論であるため、「経営戦略」について語るうえでは、再解釈を避けることができないのだ。

したがって、そこには多様な解釈の併存を許容する。さらに言えば、多様な解釈を行うべき思考の具材でもあり、現代に応用する際には鵜呑みにしてはならない。

その一方で、目的や対象や考え方の違いを超えて、現代にも通じる普遍的な学びがあることもたしかである。そうであるからこそ、その語源や起源から遡り、少しばかり詳細に紹介することとした。皆様の参考となれば幸いである。

次回は、前史に対して正史を扱う。時代は1960年代頃、1980年代に登場するマイケル・ポーター以前の発展である。経営戦略の骨格と同様に、経営戦略発展の骨格とも言うべき、現代の経営戦略論に直結する議論の系譜を追いたい。

【本記事の要点】

• 戦略(Strategy)の語源は、何をもって語源とするかで複数存在する
• 戦略の起源を遡るのであれば、それは先史時代に至る
• 人間活動の組織化の手法は、 国家権力と戦争により磨き込まれた
• 軍事戦略は、孫子からリデル=ハートまで経営戦略にも幅広く応用される
• 近代的な大企業の成立が、経営を科学する行為を必要とした
• 管理監督による生産性追求の行きすぎは、逆に人間性の発見につながった
• 単なる監督者ではなく、高い規範の実践者としての経営者が理想となった
• 経営戦略という言葉が生まれる前に、必要な要素はすでに出揃っていた

[注7]邦訳は『新訳 産業文明における人間問題』(村本栄一訳、日本能率協会、1967年)。 [注8]邦訳は『経営者の役割』(山本安次郎訳、ダイヤモンド社、1968年)。 [注9]邦訳は『新版 経営行動』(桑田耕太郎・西脇暢子・高柳美香・高尾義明訳、ダイヤモンド社、2009年)。 [注10]邦訳は『企業とは何か』(上田惇生訳、ダイヤモンド社、2008年)。 [注11]邦訳は『現代の経営 上・下』(上田惇生訳、ダイヤモンド社、2006年)。

第4回  経営戦略の黎明期: 予実管理から戦略計画へ

第4回は、経営戦略の議論の中心が米国企業へと移り変わった背景を抑えたうえで、時代とともに事業の多角化が一般化していくなかで、予実管理から戦略計画の策定が重視される流れを追う。

前回は、「経営戦略」という言葉が一般に語られる以前の歴史をカバーした。

そこで議論したように、フレデリック・テイラーに代表される科学的管理法は、エルトン・メイヨーのホーソン実験で示されたような人間性の理解とその活用で発展を遂げ、経営のあり方を進化させた。そして、それは多くの実務家や経営思想家によって磨き込まれ、20世紀中頃には広く実業界に浸透していった。

では、なぜ、その時期を境に「経営戦略」という概念がこれほど広まったのか。それを考えるために、今回は経営戦略正史の始まりとも言える、第二次世界大戦後の1950年代頃から1970年代の終わりまでの歴史を概観する。

米国を中心に多角化が進み、
戦略の専門家が必要とされる時代へ

経営学の文脈における「戦略」の始まりを議論するためにも、まず、第二次世界大戦を契機に訪れた経営環境の大きな変化を押さえておく必要がある。

19世紀に生産活動の科学的な検証が進んだ結果、人類は生産性を飛躍的に増大させた。それによって大量生産と大量消費を実現し、第一次グローバル化とも称されるような国際交易が急成長を迎えることとなる。しかし、第一次世界大戦による混乱や、大恐慌への対抗策として列強各国が行ったブロック経済化によって、世界はふたたび断絶の時代に取り込まれていった。そして、その結果として生まれたファシズムと軍拡のうねりは、第二次世界大戦というさらなる悲劇を誘発し、世界中に大量の戦死者と広大な焼け野原という負の遺産を残すことになる。

そのなかで、経済的打撃をほとんど負わぬまま大戦を終えた国家が存在した。それは米国である。米国は、欧州の疲弊とアジアの混迷によって超大国として不動の地位を築き、戦後復興の中心的役割を担うことになる。米国は大戦を勝利に導いた大量生産方式を復興に用いることで、世界的な大量消費社会の発展に寄与した。東西の冷戦構造が世界経済に暗雲を投げかけてはいたものの、「黄金時代」とも呼ばれる経済成長を謳歌する。米国が消費社会の再発展を牽引する時代の始まりであり、これを機に、経営に関する議論も米国企業を主な研究対象としてさらに発展した。

第二次世界大戦後、米国を中心とした企業は、ある商材で成功を手にすると、その成功の方程式を基に関連産業にも精力的に進出していった。その結果、複数事業に多角化し、自社の組織内で資源を融通し合い、それぞれの事業領域でいかに他社が持ち得ない優位性を得るかが重要とされるようになった。そしてそれは、ライフサイクルが異なる事業を一体運営し、事業の長期的継続を成し遂げるための方法論の確立と普及へとつながった(米国から始まったこの流れは、遅れて経済成長を遂げた日本やドイツといった他の先進国へも波及する)。

ただ、個人のセンスだけに頼り、無数に存在する事業を経営することには限度がある。この時代には、多角化が過度に進むことで、経営者の認知限界を超えて肥大化する組織が生まれた。経営者が、自社の製品やサービスの名称をすべて諳んじることもできないケースすら見られた。その結果、経営者の意思決定を助ける特別な存在が求められるようになる。

たとえば、その結果として企業内の「経営企画(部)」がさらに拡充された。経営企画部は、経営者の判断を具体的な予算人員配分に落とし込むために、組織の日常業務とは切り離された中長期的な資源配分を検討して、必要な情報を収集する部署である。この陣容が拡充され、企業がより多くの経営人材を求めるようになると、経営コンサルタントという専門職がその存在感を増し、経営の現場に浸透していくこととなる。

依然として、現場における基本的な事業運営のスキルやノウハウは重要であった。しかし、組織の中・長期的な存続をいかに成し遂げるかを議論する専門家としての戦略家と、それを助ける思考のツールがより強く求められる時代となり、それが経営戦略という言葉の一般化につながることになった。

経営戦略の始祖:
チャンドラーとアンゾフ

「戦略」という用語を経営学の文脈で初めて議論したのは、アルフレッド・チャンドラーの『Strategy and Structure』(1962年)[注1]だと言われている。

チャンドラーは、米国の巨大企業における組織的な変遷を分析した。この著作は、企業が、環境に対して自社が最適と考える基本的な長期目標を決定し、それに基づいた行動指針を定め、その指針を実現すべく諸資源を割り当て、組織体制を整備していく経緯を詳細に描写している。その成果は多くの実務家に示唆を与えた。職能部門別組織から近代的分権組織としての事業部制組織への移行過程、たとえばデュポンが直面した需要変動による経営危機と、その対応策としての事業の多角化、そして、その困難を克服するための事業部制のあり方を提示したのは、その代表である。

ただし、これはあくまで経営史の観点から歴史事実をひも解き、経営環境、戦略、組織の関係を明らかにしたものである。多角化を進めた米国企業の分権化と、事業部制導入の歴史に関する細緻な分析が行われてはいるものの、経営戦略を体系的に整理しようとする試みではなかった。

営利組織の経営戦略を分析的かつ体系的に取り扱った初めての著作は、「経営戦略の父」と称されるイゴール・アンゾフが出版した『Corporate Strategy』(1965年)[注2]である。

アンゾフは、ランド研究所で米空軍の調達戦略やNATO戦略などに従事したのち、ロッキード・エアクラフトの経営企画部に活動の場を移した。その後、副社長にまで昇進すると、一転して大学教員としての道を歩み始める。そして、その多様な経験を背景として、戦略の概念を企業経営の中核に応用するに至った人物である。

アンゾフは、組織はまず、事業環境の分析から自社の方向性に関する戦略的意思決定を行い、それをベースとして、予算をはじめとする行動計画を定めるべきだと主張した。なぜなら、人が未来を完全に予測するのは不可能であるため、予算や計画も完璧にはなりえないと考えたからである(アンゾフによる主張の詳細は後述)。

なお、アンゾフ以前にも、目標数値を達成するために必要な経営資源を配分し、その達成状況をモニタリングする仕組みは確立されていた。それは、19世紀に登場した大企業という巨大組織の運営から磨き込まれた経営プロセスであり、軍隊や国家運営のノウハウを起源とする予実管理においては、最も中核的かつ基本的とされたプロセスでもある。

アンゾフ以前の企業経営は、各部署が達成すべき数値をベースに事業計画が立案され、そのための方策は各部署の自律的な活動に任されていたと言える。巨大組織を運営するうえで、数値をベースにした計画を立て、それを着実に実行することが経営管理の実際であった。そして、予算策定とそれを基にした経営管理の骨格となる、企業の方向性の決定や戦略の立案に際しては、経営者個人の属人的な才覚に委ねられるところが大きかった。巨大組織の戦略的意思決定をどのように行うかのプロセスについては、明確に一般化されていなかったのである。

これには一定の合理性があった。なぜなら前述したように、戦後から1960年代中頃までの米国経済は「黄金時代」と称されたほど、冷戦構造における軍事費の増大と相まって、都市部の人口増加と技術革新による大衆消費社会の成長により、市場経済そのものが安定的な成長を実現していたからである。

長期的かつ安定的な市場成長が実現し、すべての市場参加者がその果実を得ることができる環境下では、予算を組み、それを達成するということが可能であり、また効果的でもあった。市場規模を基に自社が達成すべき目標を定め、目標を実現するための計画を立案し、それを実行することは不可能ではない。そのため、数値目標さえ定まれば、以降のプロセスがほぼ自動的に決まる組織もあっただろう。当初予算に対する上振れと下振れ、それに対する修正予算の提示をすることで、おおかたの対応がなされていたのである。

しかし、1960年代後半にはすでに、安定成長の黄金時代に陰りが見え始めていた。そのため、経営者は次第に、経営環境を取り巻く不確実性に頭を悩ませるようになる。そうした時代の変化は、アンゾフの主張が広く注目を浴びるようになった要因の1つだと言える。想定外の自体が起こったときに必要なのは、単なる数値計画ではなく戦略的な計画、すなわち組織の中長期的な方向性であり、数値の背景となる哲学である。そうした考え方が評価され始めた。

また、アンゾフが事業の多角化に焦点を当てて議論を進めたことも、彼が時代の波に乗った要因と言えるだろう。これもまた、当時の米国企業が抱えていた経営課題の中核とされていたからだ。長期的成長を実現するためにも、また来るべき景気減速と産業構造の変化に備えるためにも、事業の新たな柱を用意することは経営者たちの切なる希望であった。

チャンドラーとアンゾフ、同時期に登場した彼らはともに、組織の方向性を決定づけるものとして経営戦略を位置づけ、その存在を示した。チャンドラーは、具体的な企業の分権化と組織変化の事例をもとに、それを詳細に解説した。それに対してアンゾフは、経営戦略という概念を分析的かつ体系的に取りまとめ、経営戦略の方法論と分野の確立に大きく貢献したのである。

予算ありきから、戦略ありきへ

では、アンゾフはどのような主張を展開したのだろうか。以降、その概要についてもう少し深く触れてみたい。

アンゾフは、組織の意思決定を「戦略的意思決定」「管理的意思決定」「業務的意思決定」の3つに分類し、その中でも戦略的意思決定が特に重要であると説いた。そして戦略的意思決定に関する議論が始まったことをもって、経営戦略は正史の始まりを迎えた。

戦略的意思決定とは、不確実性ある環境に対して自社の経営資源をどのように活用するかを決めることである。また管理的意思決定とは、自社の経営資源を付加価値に転換するための、具体的なプロセスを検討することを意味する。そして業務的意思決定は、その実際の運用を検討することである。それぞれ具体的に見ていこう。

業務的意思決定は、最も実務に近く、日常業務で行われる1つひとつの判断である。たとえばレストランのウェイターは、どのテーブルに来店客を案内すべきなのか、配膳と会計のどちらを優先するのかといった、小さな意思決定を繰り返し行っている。このように企業が業務を遂行するうえで必要であり、日々繰り返される定例的な意思決定が業務的意思決定に分類される。

管理的意思決定は、組織が決定した一定の方針に対して、それを実現するための方策に関する意思決定を指す。たとえば、ある企業が製品の価格を20%引き下げるという戦略的意思決定をしたとしよう。そのためにどのように調達先や生産工程を調整するか、どの程度の販売数量を目標として、そのためにどれだけの資源を投入するかを決定することは管理的意思決定に分類される。

戦略的意思決定は、“Corporate Strategy(企業戦略)”の根幹であり、経営環境の特性とその変化に組織がどう対応するかを検討することである。たとえば、自動車会社が産業全体の電動化と知能化の潮流をどう見極め、どのような要素技術を採用するのか判断すること。あるいは、鉄鋼メーカーが全世界の合従連衡の潮流をどう見極め、どのような資本政策を立案するのか判断すること。このように企業の長期的な生存を左右し、かつ不確定要素が大きな意思決定が、戦略的意思決定に分類される。

言い換えれば、管理的意思決定や業務的意思決定と比較して、戦略的意思決定はより不確実性を許容している。経営者は、こうした意思決定に際して、いかなるかたちで努力をしても不確定要素を抱えたままに、部分的には無知である状態で望まなければならない。それゆえアンゾフは、前述した通り、その不確実性を前提とした体系的かつ戦略的な計画が必要だという議論を展開したのである。

もちろん、アンゾフだけが孤軍奮闘していたわけではない。同時期に活躍した、カリフォルニア大学のジョージ・スタイナーをはじめとする戦略計画の伝道師たちは、限られた人間による属人的な戦略的意思決定が困難な巨大組織であっても、一定の明確なプロセスによってそれを適切に行えるように数々の指針を示した。予算ありきから、戦略ありきへ。それは、時代が求めた潮流だったのである

その根本は、第1に戦略策定プロセスの明確化であり、第2に自社とそれを取り巻く環境の理解であり、第3にそれを元にした成長のための施策の整理にある。たとえば、まず経済や産業全体の未来予測を行い、それを基に組織の売上や利益などの目標を設定する。その目標を達成するために戦略的意思決定を行い、優先事項を整理し、経営資源を配分し、それを円滑に実行する。そして、計画の成果を絶えずモニタリングし、その進捗を次の戦略的意思決定に織り込む。

当時は、こうした戦略策定と実行における一連のプロセス[注3]が未整備の組織が大半であった。そのため、戦略的意思決定は経営者や経営チームの属人的な知見や素養のみに大きく依存していたのである。だが、安定成長の時代から不確実性の時代が訪れたことで、予算・動員計画の背後にあるべき戦略的意思決定の重要性が増すこととなる。アンゾフが「経営戦略の父」と呼ばれるのは、それを全面に押し出し、これまでの経営管理の手法に対して正面から挑戦した先駆者だからである。

[注1]邦訳は『組織は戦略に従う』(有賀裕子訳、ダイヤモンド社、2004年)。なお、チャンドラーは、組織が無条件に戦略に従うと述べているわけではない。戦略上の変化が組織上の変化に先立って起きることは明示されているが、組織構造が戦略形成になんら影響を与えないという意味ではない。たしかに、戦略から組織を変化させたほうが無難であろうが、実際の実践と応用は個別事例の特殊状況に左右される。 [注2]邦訳は『企業戦略論』(広田寿亮訳、産業能率大学出版部、1985年)。 [注3]たとえば、スタイナーの1969年の著作 (Steiner, G. A. 1969. Top management planning. Macmillan.)は、これを「前提条件の整理(Premises)」「計画の立案(Planning)」「実行と評価(Implement and Review)」の3段階に切り分ける。

戦略的意思決定としての経営戦略

アンゾフが体系化した経営戦略は、その後に発展した調査研究の根源を数多く内包している。たとえば、アンゾフが整理した戦略的意思決定の4つの要素は、現代でも示唆に富む。

1. 製品と市場分野(自社がどの市場を事業領域とするか)
2. 成長ベクトル(自社の成長のためのアクション)
3. 競争優位(自社の競争優位の源泉をどこに持つか)
4. シナジー(自社の事業領域間の相乗効果)

これを見ると、アンゾフはすでに、経営戦略の議論における基本的な要素をカバーしていたことがわかる。1つ目の議論は、のちのポジショニングの概念に通じている。2つ目の議論は、組織が取りうる成長のための施策を概観する。3つ目は、リソース・ベースド・ビューや、そこから派生したコア・コンピタンスの議論につながる。4つ目は、多角化した組織の経営に欠かせない基本要素である。

なかでも、アンゾフの特筆すべき貢献は、成長ベクトルに関する議論であろう。彼は『Corporate Strategy』より以前、1957年の時点で、組織が成長するために実行できるアプローチをまとめた論文を発表している。その中では4つの成長ベクトルが提唱されており、「アンゾフ・マトリックス」と称されている。それはまさに、軍事戦略を原点に予算・動員計画とその忠実な実行を目的とする従来の発想と、経営戦略の立案を発想の原点とする以後の議論の分水領であった。

アンゾフ・マトリックスは、縦軸に「製品ライン(Product Line)」(自社が提供する「商品特性」)を、横軸に「市場(Markets)」(市場に存在する「顧客ニーズ」)を取り、成長ベクトルを「市場浸透(Market Penetration)」「製品開発(Product Development)」「市場開拓(Market Development)」「多角化(Diversification)」の4つに切り分けた(図1参照)[注4]。

図1:「アンゾフ・マトリックス」の原型

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出典: DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー編集部『戦略論 1957-1993』(ダイヤモンド社、2010年、p.6)より。原典は、Ansoff, H. I. 1957. Strategies for Diversification. Harvard Business Review, 35(5): 113-24. p.p 114.

最も馴染みがあるのは、既存の商品特性を既存の顧客ニーズにより深く浸透させる「市場浸透」だろう。たとえば飲料水などの消費財の場合、消費者にその消費量を増やしてもらうことを期待する。耐久消費財であれば、サポート契約を締結してもらうなど、自社との関係、契約を増やしてもらう方向性を指す。

ただし、これは確度が高い反面、成功で得られる果実も限定的である。より高い成長を望むのであれば、市場ニーズか製品特性のいずれかを新規とする「市場開拓」か「製品開発」に臨まなければならない。市場の開拓は、海外展開など地理的な拡大を図ることもあれば、百貨店専売からコンビニエンスストアへの販売網の拡大も含む。ポカリスエットを風邪治療に有用と売り込んだり、キットカットを受験祈願として売り込んだりするような用途拡大もその範疇である。また、新たな機能を追加したり、仕様を改善したりと、新製品を開発することも成長ベクトルとしては有用である。

それらを踏まえて、自社の事業領域に成長の限界が訪れて衰退期に入る前に、新規の顧客ニーズに対して新たな製品特性を投入する「多角化」が視野に入る。アンゾフの論文のタイトルが“Strategies for Diversification(多角化の戦略)”であることからもわかるように、その焦点は、多角化の位置づけを明確化することであった。多角化は、他の3つ(市場浸透、市場開拓、製品開発)と比べて広範な可能性を持つ一方で、自社が理解している顧客ニーズとも、すでに提供している商品特性とも異なる製品・サービスを提供する困難を抱えている。自由度が高い反面、既存事業の経験やそれによって形づくられた組織や事業構造の転換を図る必要があり、複雑で高度な戦略的意思決定である。だからこそアンゾフは、これを中心に“Corporate Strategy”を議論した。

アンゾフによれば、多角化には「水平型」「垂直型」「集中型」「集成型」の4種類があるという。そして企業の長期的かつ持続的な成長のためには、異なる方向性を持つそれらの選択肢を吟味したうえで、戦略的に実行する必要がある。

水平型とは、近い事業領域に別の製品群を投入する多角化であり、たとえば牛丼の吉野家がうどんのはなまるを運営するような方向性を指す。垂直型とは、自社の調達先や販売先の事業に進出することであり、ユニクロを展開するファーストリテイリングが衣料の自社製造を開始したことや、ドトールがコーヒー栽培に乗り出すことはその例と言える。集中型とは、自社製品と近い製品群への多角化であり、ダイソンがモーターを基軸として、掃除機からヘアドライアーや加湿扇風機に参入しているのはわかりやすい。そして集成型とは、中核事業の競争力を背景に、一見無関係に見える事業に参入することである。たとえば、クリニックや銀行を経営するイオンや、旅行や書籍、保険も扱う楽天の事例が当てはまる。

このように多角化とは、戦略的意思決定の中でも、既存事業や既存組織のあり方とは最も独立した方向性を吟味する必要があるために、これまで培われた予実管理や生産管理、販売促進の知見とは異なる専門性が求められる意思決定である。それが“Corporate Strategy”の代名詞として、長らく重要な地位を占めていたのだろう。

戦略的意思決定の不在は
いまだ大きな経営課題

もちろん、50年以上前の時点で、成長戦略の方向性が包括的に語られていた事実は特筆に価する。しかし現代から見れば、企業には4つの成長のベクトルが存在するという主張は至極当然であり、そこに新鮮な驚きや学びを感じる実務家は皆無であろう。それは、多角化に4つの方向性があるという説明についても同様ではないか。ただ、実務家にとっては別の驚きがあるかもしれない。それは、いまだ多くの企業において、戦略的意思決定が経営者の属人的な才覚に依存していることである。

たとえば、依然として積み上げ型の年次予算が重視され、それとほとんど紐付かない「ポンチ絵」が主役の、経営戦略とは名ばかりの経営ビジョンが申し訳程度に添付される。それは銀行の借り入れ資料に挿入されることはあるかもしれないが、残念ながらほとんどの従業員の記憶に残ることはない。

また、目標にすぎない各種の数値が独り歩きする傾向も変わっていない。売上高や営業利益、ROE(株主資本利益率)やROA(総資産利益率) といった数値目標を示すことに時間が割かれ、具体的に何をするかの説明が漠然としたまま終わる。本来、目標設定と同等かそれ以上に重要なのは、それをどのように達成するかであるが、それがほとんど議論されない企業も少なくない。

特に社歴の長い企業であればあるほど、そうした高度経済成長期の方法論を引きずっているように思える。また大企業であればあるほど、変更にともなう混乱も大きいからか、管理会計の発展系としてのABC(活動基準原価計算)やバランスドスコアカードなどの導入にとどまっている。

多くの日本企業において、経営のビジョン、目標、戦略、予算の間に断絶が存在している。この一因には、第2回でも触れたように、日本企業が創発的な戦略の流れに身を置き、中間管理職が戦術レベルでの提案を無数に積み重ね、その成功体験の蓄積が実質的な戦略的意思決定につながってきたという事実も見逃せない。

そして、それは成功の1つの方程式として長らく機能してきたものの、産業レベルでの大きな変化が到来したとたんに、その弱みをさらけ出す。日本企業は、多角化した事業の経営管理が未成熟であり、環境判断を基に戦略的な事業ポートフォリオを組み替える戦略的意思決定に慣れていなかった。その結果、雲行きが完全に怪しくなってから事業売却に迫られる悲しい事態が、現在も数多く生まれているのではないだろうか。

実は、そうした事業再編と混乱の歴史に直面したのは日本企業だけではなかった。1970年代に至るまでに、米国企業も同様の痛みを経験している。特に1960年代末までは、多角化によって経営資源を有効活用することが、企業成長を継続する手段として啓蒙された。しかし、経営資源が無作為に分散した結果、経営陣すら把握できないほど事業ポートフォリオの複雑性化することとなる。子会社や事業の数が数百にもおよび、その名前を覚えることすら困難な状況を招くことすらあった。

多数の事業が併存するなかでどの事業に追加で投資し、どの事業を縮小すべきなのか。利益率で考えるか、売上高で考えるか、それとも別の指標で考えるべきか。すなわち、多数の事業に多角化した時、その事業間の優先順位をどのように判断すればよいのか。

これら1960年代の経済成長期には見えていなかった課題が、1970年代初頭より、新たな経営課題として浮上した。そして、その課題解決が求められるなか、実務家と研究者に並ぶ次なるプレイヤーとして、コンサルティング会社が台頭することとなる。

[注4]第3の軸として「地域(既存・新規)」を追加する発展型も存在する。

多角化の失敗により
コンサルティグ会社が台頭

戦略コンサルティング会社の存在を一躍有名にしたのは、「BCGマトリックス」あるいは「成長/市場シェアマトリックス」と呼ばれる方法論である[注5]。この方法論は、「多数の事業が併存するなかでどの事業に追加で投資し、どの事業を縮小すべきなのか」という課題に1つの明確な答えを提示することで、大きな注目を浴びることとなる。

ある推計[注6]によれば、1970年代終わりから1980年代初めには、この考え方は全米の売上高上位500社(フォーチュン500)の半数以上で用いられるに至った。なかでも、1973年の第一次オイルショックを契機とする経済混乱にともない、急速に、米国企業を中心に導入されている。1970年代初頭までに多角化を進めていた米国企業は、突如として訪れた経済停滞に対して、早急に自社の事業を再検討する必要性に迫られていたのである。

その名称からもわかるように、このマトリックスを世に広めたのは、ボストン コンサルティング グループ(BCG)である。では、なぜこの時代に、コンサルティング会社が台頭し、その知見が急速に浸透したのだろうか。BCGマトリックスの概要に触れる前に、それまでの流れを簡単にひも解いていこう。

多角化の時代より以前にも、コンサルティング会社は外部の専門家として企業の経営支援に携わり、大きな成果を上げてはいた。たとえば、第2回で紹介したフレデリック・テイラーは、生産工程の専門家として多くの企業の経営支援に関わっていた。それ以外にも、財務会計や管理会計の手法、労務管理や生産管理の領域など、高い専門性を求められる多くの分野ですでに活躍していた。

さらに、アンゾフが戦略的意思決定の重要性を世に広め、それが組織的かつ科学的に実践されるようになると経営の意思決定がより複雑化し、そこに携われる専門家集団の需要がいっそう高まるようになる。そうして、実務家でも研究者でもない第三の存在であり、実務家や研究者の知見の伝道師であるコンサルティング会社に対して、戦略的意思決定の支援を望む声がこれまで以上に大きくなったと言える。

その要請にまず応えたのは、マッキンゼー・アンド・カンパニーだった。マッキンゼーは戦前から事業を開始し、戦略コンサルタントという職業とその職業倫理を確立させつつあった。マッキンゼーは、「グレイ・ヘア・コンサルタント」と呼ばれるような、豊富な経験や知見を有する年長者に依存していた戦略コンサルティング業務を、ビジネススクールの卒業生を中心とする若手でも実行できるように業務を定式化し、積極的な事業拡大を実現した。そして、経営戦略の重要性の認知が高まるのとあいまって、その存在感をさらに増していった。

マッキンゼーは、多角化に伴う事業部制の導入を支援するかたちで時流に乗り、確固たる地盤を築いていた。しかし、分権化を推し進めるその方法論は、多角化が進展した企業群のニーズ、すなわち事業再編の要請に答えるものではなかった。そして事業部制の導入に注力し続けた結果、企業に大きな転換が求められる時代になると、顧客が求める最適な知見を提供できなくなる。

代わって台頭したのがBCGだった。同社が世に広めたBCGマトリックスは、事業ポートフォリオの特性を一覧できるという利便性を提供すると同時に、キャッシュを生み出す事業とキャッシュを求める事業のバランスを一覧することも可能にした。各事業への投資と事業ポートフォリオの組み替えるうえで、特にキャッシュフローの配分に関する明朗な議論を実現したのである。そうして、BCGマトリックスと、それと同時期に開発された経験曲線を武器に、BCGはコンサルティング会社としての知名度を飛躍的に高めていったのである。

ビジネススクールが
経営戦略の普及に果たした役割

この時代は、戦略コンサルティング会社の成長とともに、ビジネススクールも急速な成長を遂げた時期でもあった。

米国における戦略コンサルティング会社の成長と、ビジネススクールの成長は切り離せない。前述した通り、明確で論理的な経営革新の方法論を確立していた有力経営コンサルティング会社が求めていた人材とは、白髪を誇る経験豊かな実務家ではなかった。やる気があり、知的許容力にあふれ、時間を忘れて問題解決に没頭できる若い人材であった。

代表的な戦略コンサルティング会社は、旺盛な需要に応えて組織を成長させるため、ビジネススクールを卒業した若手人材を精力的に採用した。たとえば、マッキンゼーの実質的な創業者であるマービン・バウワーが記した『Perspectives on McKinsey』によれば、マッキンゼーはまずハーバード・ビジネススクールに焦点を定め、魅力的な条件による積極的な採用活動を展開したという。同様に、BCGもマッキンゼーに劣らない好待遇を提示し、優秀な若手を積極採用していった。そして、コンサルタントとして活躍してクライアント企業に引き抜かれた人材の中には、短期間で経営人材となる成功事例がいくつも生まれた。

このようにビジネススクールの卒業生たちは、人材の供給源として、また新しい経営概念の伝道師として、経営戦略の黎明期を彩る存在となったのである。

また当然、ビジネススクールは、知識を生み出す研究機関としてもその重要性を高めていく。卒業生たちの裏には著名ビジネススクールの花形教員の姿があり、彼らはその著作のみならず、教え子を通じて実業界に大きな影響力を発揮していった。

特に著名な人物は、ハーバード・ビジネススクールのケネス・アンドルーズ[注7]であろう。彼が説く“Business Policy(経営方針)”の概念は、アンゾフは市場環境が変化するなかでどう戦略的意思決定を行うかに注力したのに対して、企業の社会的な責任、マネージャー個人の価値観や考え方、目的達成のために必要なシステム、そしてリーダーシップの役割まで言及されている(1971年の著作[注8]を参照)。

ビジネススクールでこうした考え方を学んだ経営幹部候補生が、コンサルティング会社の商材であるフレームワークの実践を通じて、企業経営の中核を構築し、経営幹部として成長していった。その道がMBAの学生のキャリアビジョンとして確立されたのも、この時代である。経営戦略普及の背景には、こうした伝道師たちの活躍を見逃すことはできない。

そうして、企業間でノウハウの媒介となった戦略コンサルタントと、そこに人材と知見を提供したビジネススクールと、外部の専門家と人材を活用した経営者の組織的な協業の構図が生まれた。これが経営戦略という言葉とその概念、そして方法論を広く一般的に広める原動力となったのである。

[注5]BCGマトリックスや経験曲線が誕生した経緯については、以下の書籍が詳しい。Kiechel, Walter. 2010. The Lords of Strategy: The Secret Intellectual History of the New Corporate World. Harvard Business Press.(邦訳は『経営戦略の巨人たち』藤井清美訳、日本経済新聞出版社、2010年) [注6]Philippe C. Haspeslagh, “Portfolio Planning: Uses and Limits,” Harvard Business Review, January 1982. [注7]アンドルーズは、「SWOT分析」を世に広めた人物としても認知されている。 彼が著者の一人を務める著作(Learned, E. P., Christensen, R. C., & Andrews, K. R. 1965. Business Policy: Text and Cases. R.D. Irwin.)は、分析ツールとしてのSWOT分析を確立した。 [注8]Andrews, K. R. 1971. The Concept of Corporate Strategy. Dow Jones-Irwin.(邦訳は『経営戦略論』山田一郎訳、産業能率短期大学出版部、1976年)

BCGマトリックスから
ポーターの競争戦略の時代へ

BCGマトリックスは、それを生み出した戦略の伝道師たるコンサルティング会社と、そこに大量の人材を安定供給したビジネススクールの助けも経て広く受け入れられていった。では、BCGマトリックスとは何だろうか。ここからは少し踏み込んでBCGマトリックスを検証し、その先にあるマイケル・ポーターの競争戦略までの流れを確認したい。

BCGマトリックスは、縦軸に市場成長率、横軸に相対的市場シェアを取り、事業を4象限に分類する。そして、左下のマトリクスから時計回りに「金の成る木」「花形(エース)」「問題児」「負け犬」の4種類に事業を分類する。「金の成る木」では投資を抑制してキャッシュを生み出し、「花形」にはキャッシュを注ぎ込み、「問題児」は「花形」になれるかを見極め、「負け犬」からは撤退を検討する。これが最も基本的な説明である。

図2は、 多角化が進行したある企業における、BCGマトリックスのモデルケースを示した。BCGの解説によれば、最適なキャッシュフローの再配分を実現するためには、左下の「金の成る木」から右上の「問題児」へ再配分を行い、「問題児」をできる限り右上の「花形(エース)」に成長させるべきだとする。また、右下の「負け犬」に対する投資は極力抑制し、できるだけ早い段階で事業からの撤退や売却も検討すべきである。これがBCGマトリックスの基本的な考え方である。

図2:多角化した企業におけるモデルケース

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出典:Hax, A. C. & Majluf, N. S. 1983. The Use Of The Growth-Share Matrix In Strategic Planning. Interfaces, 13(1): 46-60., p.p. 47を基に作成

あまりにも有名で、あまりにも多くの企業で導入されて実際の戦略的意思決定に用いられたがゆえに、BCGマトリックスはいまでも随所で紹介されている。しかし、経営戦略のほとんどの入門編で紹介される概念にもかかわらず、頻繁に誤用されてもいる方法論でもある。

そもそも、これはあくまで自社の状況を視覚化することで発見を促すツールであり、この分類のみで経営判断を下すことは大きな危険をはらんでいる。たとえば、図表2では全事業の市場成長率がプラスになっているが、その状況下において、右下の事業をすべて「負け犬」と判断してよいのかは疑問が残る。別の極端な例では、本業に強く関連する多角化しか行っていないために、市場成長率も相対的市場シェアも、各事業の差がほとんどないマトリックスになってしまった事例もある。それを理解したうえで、いくつか散見される誤解を解消したい。

大前提としてまず、このマトリックスを活用する企業には、多角化が進行して多数の事業を抱えていることが求められる。またこれを眺める人物には、1つひとつの事業に関する定性的な情報を豊富に持っていることが不可欠である。

縦軸の市場成長率が有効に機能するうえでは、自社の各事業の成長率が産業全体の成長率(事業ライフサイクル)に影響を受けるという条件がある。すなわち、市場そのものが拡大すれば競業の事業も自社の事業も拡大し、市場が縮小すれば競業の事業も自社の事業も縮小すると単純化がされている。しかし当然ながら、市場全体が縮小しても自社事業まで縮小するとは限らない。たとえば、製品差別化が困難な事業領域では、その前提は適応されないだろう。

また、横軸を単に市場シェアと表現する文献もあるが、それは正確な理解を妨げる一因である。この数値の意味は市場の寡占度によって変化するため、あくまで最も重要な競合に対する相対的市場シェア(自社の市場シェア/最も重要な競合の市場シェア)でなければならない。

さらに、この相対シェアを実数値でプロットしている例もあるが、これは元来、対数スケールでプロットするものである。なぜなら、相対シェアを横軸とする発想は、BCGが1960年代中頃から提唱している経験曲線の知見(累積生産量に対するコスト削減幅は対数スケールで表現すると直線になること)[注9]に基づいているからである。言い換えれば、横軸で表現される各事業の収益率の向上は、経験曲線効果を織り込んだ量産効果によるコスト削減が主因であり、それと紐づく対数スケールで判断しないと事業の可能性を過小あるいは過大評価してしまう。

なぜ、このような誤用が多く見られるのだろうか。その裏には、BCGマトリックスが、製品イノベーションが限定的であり、大量生産から生まれる標準品が産業の中心であった1960年代を前提に設計されているという事実がある。縦軸には競争の概念が抜け落ちており、横軸には標準品の前提があるのだ。しかし現代のように製品仕様が多様化し、それが短期間で革新される現代において、原義を忠実に適応すると機能しないのである。

だからこそ、多くの教科書ではこれを単純化した4象限のマトリックスだけが表現され、「負け犬」や「金の成る木」といった目を引く言葉だけが生き残っているとも言える。単純化されたマトリックスによる表現は、必ずしも間違いではない。しかしそれは、何の示唆も与えてくれない抜け殻の可能性もある。

BCGマトリックスは、経営者の属人的な経営センスと補完し合い、相乗効果を発揮することで広く受け入れられた。しかし、時代の変化とともに、この考え方にも疑問符が投げかけられるようになったのである[注10]。

***

BCGマトリックスによる多角化企業の経営支援が一巡し、戦略コンサルティング会社やビジネススクールを通じて経営戦略策定のノウハウが一般に普及したのち、マイケル・ポーターによる競争戦略の時代が訪れた。

ポーターは競争戦略に関する議論の出発点としてまず、BCGマトリックスを批評し、その不足を指摘している。1979年、彼が初めて「ファイブ・フォース」の概念を提示した『ハーバード・ビジネス・レビュー』の論文[注11]では、約1ページにわたって経験曲線に言及している。

この論文は、産業の収益性(すなわち、事業領域としての魅力度)とは、BCGマトリックスが暗示するように事業ライフサイクルで決定されるのではなく、5つの競争要因で決定されると主張する。そのうえで、経験曲線は参入障壁であっても競争戦略にはなりえないと批判した。多くの企業が経験曲線効果を追い求めるがあまり、市場シェアをめぐって目の前のライバルに集中しすぎている。その結果、より重要な競争要因となる顧客や供給者との交渉力、新規参入や代替品の脅威を忘れがちであると説いたのである。

この論文は、BCGマトリックスを代名詞とする、機械的な事業環境の評価に対するアンチテーゼだと言える。1980年代の幕開けが近づき、市場全体の成長が緩やかになると、企業経営の焦点は市場全体の成長による果実を得ることから、市場構造を理解し、競合との競争に勝利することに移り変わっていった。市場そのものの成長が望めないなか、競合との競争に勝利しなければ利益を得ることができなくなりつつあったのである。

そこで次回は、外部環境から経営戦略を考える系譜を概観しながら、特にマイケル・ポーターのファイブ・フォースを中心に、その理論的背景と学術的価値について考える。産業組織論を背景にした“SCP(Structure-Conduct-Performance)”と、それを応用した事業環境分析の手法を解説する。特にマイケル・ポーターのファイブ・フォースを中心に、その理論的背景と学術的価値について深掘りしたい。

【本記事の要点】

• 経営戦略の正史が始まる以前に、すでに基本的な要素は出揃っていた
• 黄金時代の終焉が、予実管理の前提となる戦略計画の重要性を高めた
• 「経営戦略の父」と称されるアンゾフは、その後の主要な議論の原型(製品と市場分野、成長ベクトル、競争優位、シナジー)に言及している
• 当初の経営戦略の焦点は多角化による長期安定的な事業成長にあった
• 多角化の進展後、経済停滞による事業再編への要請が事業ポートフォリオ管理としての経営戦略を普及させた
• 経営戦略という概念の一般化には、その伝道師たちの活躍があった。コンサルタントは知識の媒介者として、また教育機関は専門人材の供給を通じて経営戦略の普及に貢献した。
• 事業ポートフォリオへのアンチテーゼの1つとして、その後、産業構造分析から経営戦略を検討する、マイケル・ポーターを代表格とする競争戦略が注目を浴びた。

[注9]経験曲線はウィンフレッド・ヒルシュマンによる『ハーバード・ビジネス・レビュー』の論文を参考としており、BCGがゼロから考案した概念ではない。詳しくは、Hirschmann, W. B. 1964. Profit From the Learning Curve. Harvard Business Review. 42(1): 125-39. [注10]BCG自身は、2014年6月4日に『BCG Classics Revisited: The Growth Share Matrix』という記事を公開し、40年以上の時を経てもこの考え方は有用だと解説している。 https://www.bcgperspectives.com/content/articles/ corporate_strategy_portfolio_management_strategic_ planning_growth_share_matrix_bcg_classics_revisited/ [注11]Porter, M. E. 1979. How Competitive Forces Shape Strategy. Harvard Business Review. 57(2): 137-45., 139.

第5回  外部環境分析: ポーターのファイブ・フォース分析から考える

第5回は、外部環境から経営戦略を考える流れがいかに生まれたのかを、マイケル・ポーターによるファイブ・フォース分析を中心に考える。ポーター理論の原点はどこにあり、いかなる発展を遂げたのだろうか。

前回は、「経営戦略の父」と称されるイゴール・アンゾフの登場から、コンサルティング会社やビジネススクールの台頭に触れ、マイケル・ポーターのファイブ・フォース分析が初めて登場した論文までを紹介した。

今回は、「ポジショニング・スクール」とも呼ばれる、ポーターの競争戦略の原点を追う。ポーターのファイブ・フォース分析は、産業構造の理解から企業戦略を検討する考え方である。経営戦略を学ぶ際に必ずと言ってよいほど紹介されるが、それがどのような文脈で生まれ、学術研究とどう関係しているかは十分に理解されていない。

そこで本稿では、この考え方が生まれた時代背景をまず読み解き、その源流である不完全競争の考え方に触れる。さらに、ファイブ・フォース分析の直接の前身であるSCPモデルを読み解くことから、ポーターの学術的な貢献を理解したい。加えて、現代企業が外部環境を検討する際の留意点までを紹介する。

1970年代に迎えた
経営戦略論の進化と停滞

産業構造の分析を基に経営戦略を考えることが一般的となったのは、いつ頃からだろうか。その黎明期は、1970年代後半にまで遡る。

前回議論した通り、1970年代初頭、オイルショックの余波を受けたことで、米国のみならず世界経済が停滞期を迎えることになる。それは特に、多角化が進展した米国企業の事業再編のうねりをつくり出した。そして1970年代を通じて、BCGマトリックスが前提とするような、ポートフォリオ管理を中心とした経営戦略の流れが実業界へと浸透する。

その流れを受けた学術界は、リチャード・ルメルトの研究[注1]に代表されるように、いかなる多角化が収益性を高めるのかを科学的に検証する段階を迎えた。しかし、市場そのものの成長が停滞を始めると、複数事業のポートフォリオを検討する戦略的意思決定よりも、その産業内でどのような競争戦略を取るべきかに関する知見が必要とされるようになる。

同時期にはまた、「プロセス型戦略論」とも呼ばれる、実践の意思決定を通して次第に形成される戦略のあり方の探究も進んだ。たとえば、第2回で紹介したヘンリー・ミンツバーグは創発戦略を提唱しており、1970年代前半からその形成プロセスの探究を続けていた[注2]。

ただしそれも、戦略計画を立案して実行するために確立された「分析型戦略論」を代替するものにはならなかった。その理由は、経営者がどのように行動すればよいかの具体的な答えを提示できなかったからであろう。明確な分析のプロセスをテンプレートとして提示した「分析型戦略論」に対して、プロセス型戦略論は、個別具体的な事例紹介にとどまることが中心であった。創発的に形づくられる戦略は、その特性も形成過程もそれぞれが個性的であるため、参考にはなるにせよ、答えを提示するものではなかったのだ。

議論の余地はあるが、1970年代の経営戦略の主な発展は、計画立案のプロセスを体系化して細緻化することであり、アンゾフの立論を深耕するのが議論の中心であった。アンゾフ以降、その主張を裏付けるべく実証研究が進み、また実務家が参考にできるより細緻な工程表、それぞれの分析や立案手法の具体的な解説が着実に蓄積されていった[注3]。ただし、それらはあくまで1つの流れの延長線上にある理論であり、すでに議論の大枠は固まっていたといえる。

ここに旋風を巻き起こしたのが、当時30代を迎えたばかりの気鋭の経営学者、ハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・ポーター教授である。

時代を席巻したポートフォリオ経営と分析的な経営戦略の立案は、1970年代の後半にはその限界を露呈しつつあった。なぜなら、当時の経営者が求めていたのは、魅力的な事業領域を選択することよりむしろ、選択した事業領域でいかに競争に打ち勝つかに変化し始めていたからである。

経済全体が成長していた時代には、より成長可能性が高い産業を選択することが重要であった。市場成長を素早く見出し、適切な投資によって経験曲線効果を得ることで、競争に勝利できたからである。これは、競争に負ける可能性が高い事業から撤退し、成長が期待できる新領域に投資する便益のほうが大きかったからともいえる。

それが1970年代後半以降、経済全体の成長が停滞する状況下では、単にポートフォリオを組み替えるだけでは経営が立ち行かなくなる。1つひとつの産業をより細緻に分析して理解することが必要となり、その産業構造の理解に基づき、自社の打ち手を検討する必要性が生まれてきた。

こうした時代の要請があり、ファイブ・フォース分析は一躍注目を浴びた。

[注1]たとえば、Rumelt, Richard P. 1974. Strategy, Structure, and Economic Performance. Boston; Cambridge, Mass.: Harvard University Press. [注2]ミンツバーグが発表した創発戦略に関係する最も古い発表資料は、1972年のアカデミー・オブ・マネジメントの年次総会で発表された「Research on Strategy-making(戦略創造の研究)」だと述べている(Mintzberg, H. & Waters, J. A. 1985. Of Strategies, Deliberate and Emergent. Strategic Management Journal, 6(3): 257-72.)。ただし、それが著名査読誌に掲載されるのは、Mintzberg, H. 1978. Patterns in Strategy Formation. Management Science, 24(9): 934-48. を待たねばならなかった。 [注3] たとえば、チャールズ・ホッファーとダン・シェンデルの1978年の著作はその代表である。Hofer, C. W. & Schendel, D. 1978. Strategy Formulation: Analytical Concepts. St. Paul: West Pub. Co.(邦訳は『戦略策定』〔奥村昭博・榊原清則・野中郁次郎共訳、千倉書房、1981年〕)

ロビンソンとチェンバレン:
不完全競争の議論に見るポーターの源流

ポーターのファイブ・フォース分析とは、(1)企業間競争、(2)売り手の交渉力、(3)買い手の交渉力、(4)新規参入の脅威、(5)代替品の脅威という5つの力を理解することによって、自社が属する産業や戦略グループの構造的な収益性を分析できるという考え方である。

ポーターはさらに、その構造下における最適な「ポジショニング」を取ることで競争優位を確立できるという。その基本的なポジショニングは3つ存在する。1つ目は、他社に対してデザインや性能など商品特性で優位に立とうとする「差別化戦略」。2つ目は、他社に対して価格面で優位に立とうとする「コストリーダーシップ戦略」。3つ目は、それら差別化戦略やコストリーダーシップ戦略を顧客の範囲を絞って提供する「集中戦略」である。これが、ポーターの基本戦略と呼ばれる戦略の方向性である。

当然ながら、ポーターは突如としてこうした結論にたどり着いたわけではない。その基本的な考え方は、それより遥か以前に誕生したものである。そのため、その発展の経緯をひも解くことは、ファイブ・フォース分析を真に理解するためには不可欠である。

ロビンソンの議論は何をもたらしたか

不完全競争がなぜ生じるのか。この問いの答えを探究することこそ、ファイブ・フォース分析に続く原点である。

この議論の始まりは、19世紀に始まる経営者の時代(第3回参照)、すなわち近代的大企業が登場した時代に遡る。技術進化と市場成長、大量生産と大量販売に後押しされ、一部の企業は市場原理に影響力を行使できる規模にまで拡大した。その結果、市場メカニズムに影響される多数の市場参加者の行動が産業の競争状況を決定づける、という従来の考え方が、必ずしも当てはまらない状況がいくつも生まれる。少数の企業が市場に対して支配力を行使し、その動態を決定づける状況が観測され始めたのである。

このような現実の市場の構造に着目し、不完全競争の理論をもたらした初期の代表的人物は、ジョーン・ロビンソンであろう。

ロビンソン以前の時代、すなわち完全競争を前提とした時代は、価格とその背景に存在する産業構造は所与のものと仮定しており、企業や個人がどのような行動を取ろうと、それは変化しないことが前提であった。これは、1つひとつの企業がまだ小規模であり、産業全体に影響をもたらしえない状況下では、納得感のある説明であったと言える。

この理解のうえで、完全競争では、個別企業は自由に販売量を決定できる一方で、少しでも財の価格を引き上げようとすれば一気に需要がゼロになる、とされていた。これは、個々の企業が直面する需要曲線(以下、需要曲線と呼ぶ)は水平であるという前提につながる (図1参照)。

需要曲線が水平である状態は、企業行動と産業構造(それが反映される残余需要)が切り離された状態ともいえる。こうした状況下で、企業は産業構造を所与の要件としてとらえると理解されており、企業は、与えられた環境に応じてその行動を定める存在であった。

図1:完全競争の需要曲線

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出典:筆者作成

それに対して、ロビンソンが1933年に記した『The Economics of Imperfect Competition(不完全競争の経済学)』[注4]では、現実の市場では顧客が分散して存在するため製品の提供に輸送費がかかること、そして、顧客は使用する製品に対して一定の信頼を置くことなどから、財の価格が需要量に対して一定にならない状況があるとした。

完全競争が想定するように、一定以上に商品の価格を上げると需要が一気にゼロになるような状況は、消費者の数が限られ、かつその商品に対する信頼や愛着があれば考えにくい。また、商品自体の価格をある程度引き下げたとしても、分散する消費者に商品を届ける輸送費を考えれば、需要が一気に増大することも考えにくい。そのため、個々の企業が直面する需要曲線は、財の価格を上げれば減り、下げれば増える形となりうる。さらに、不完全競争下における需要曲線は、新規参入や代替品の普及などによってその形を変える。

このようにロビンソン以降は、よりダイナミックに変化する需要曲線の性質を扱い、それに対して企業の数やその財の特性などが直接的に影響する、という議論が積極的に展開されるようになる。

こうした前提に立てば、企業は自社の利潤を最大化させるために、市場の需要に対する価格の曲線と、自社の供給に対する費用の曲線の分析に基づき、自社の行動を最適化させる。たとえば図2は、不完全競争の最も極端なケースである、独占市場における需要曲線と企業の費用と収入の関係性を示したものである(より厳密なものは経済学の教科書を参照していただきたい。ここではその基本的な発想だけを解説する)。

図2:不完全競争の需要曲線と企業行動

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出典:著者作成

供給量を増やすほど財の価格が下がるのであれば、企業が販売量を増加させることで追加的に得られる収入は低減する(限界収入)。その一方で、企業が販売量を増加させるための費用は、規模の経済効果で減少するものの、一定水準以上では、むしろ技術的な困難などで上昇すると考えることすらできる(限界費用)。この場合、企業の最適な生産量は限界収入と限界費用の交点で定まる。追加的な収入と、それを実現するための費用が一致するまでは、企業は追加的な利潤を得られるが、それ以上になると赤字を垂れ流すことになるからである。

ここで重要なのは、企業の経営戦略が「市場の需要曲線の性質にも大きく左右される 」ということである。すなわち、ロビンソンの説明を現代から再解釈すれば、外部環境を分析することから経営戦略を検討すべき、という考え方の源流を発見することができる。

ロビンソンはさらに、需要曲線の性質、すなわち生産量を通じて企業がどの程度価格を支配できるかは、その財を生産する企業の数と財の代替品の有無に左右されると説明する。その説明は、競合の数と代替品の脅威が市場特性(需要曲線の性質)を定め、それが企業の最適な行動を決定づけると解釈できる。

これは、ファイブ・フォース分析における5つの要因の2つ、競争環境と代替品の脅威と大きく重なる。つまり、ロビンソンの議論には、ポーターのファイブ・フォース分析の源泉が存在するのである。

チェンバレンの議論は何をもたらしたか

ロビンソンと同時期に不完全競争の議論を展開した経済学者として、エドワード・チェンバレンにも言及する必要がある。彼の1933年の著作『The Theory of Monopolistic Competition(独占的競争の理論)』[注5]は、限られた数の寡占的企業、すなわち近代的大企業が取りうる「競争戦略」を主題とした最初期の作品である。

前述の通り、チェンバレン以前の経済学では、企業は与えられた環境に応じて、受動的にその行動を最適化させるという暗黙の前提を置いていた。それに対してチェンバレンは、企業が経営環境に応じて能動的に行動しうるという説明を展開している。つまり、企業が経営環境の分析を通じて自社の行動を決定するのみならず、主体的に経営環境の特性に影響をもたらすべく、戦略的な行動を取ると主張した。

たとえば、市場構造の特殊性と消費者の不完全性ゆえに、企業は広告支出を増大させる等の施策を通じて、他社と差別化する手段を選択するようになるという。チェンバレンは、当時の米国企業が広告宣伝に熱を入れていた状況を観察することから、寡占企業が不完全競争を繰り広げる状況では、必ずしも企業は受動的な存在とはならないと理解するに至ったのだろう。企業は販売費用(Selling cost)を能動的に増加させることで、総需要を増加させ、また顧客に自社のブランドを優先的に選択させることができると彼は言った。

さらにチェンバレンは、そうした差別化によって、個別企業が市場の需要曲線の位置や形状に影響を与えられると説明する。需要曲線は市場参加者全体の行動の総和であるが、自社のみが他社より安い価格を提供することは可能である。それが実現すれば、一時的にせよ自社の販売量だけを増大できる。さらに、財の低価格化を通じて一部の企業の市場退出が生じるのであれば、結果的に自社のシェアを増大させることも可能となる。

これは、個別企業による戦略的行動を意味している。自社の基本戦略としての差別化と低価格化。ここにも、ポーターの競争戦略の源流を見ることができる。なぜなら、ポーターが説く3つの基本戦略のうちの2つは、差別化と低価格化であるからである。

産業組織論は不完全競争の議論から発展を遂げた

産業構造は企業の利益率に影響を与える。

これは産業組織論のごく基本的な理解である。ロビンソンとチェンバレンに代表される不完全競争の議論は、その後、産業構造とそれに伴い変化する企業行動の細緻な分析へと進化していった[注6]。

完全競争の市場では、自由競争によって多数の競合が乱立しているため、業績は一定以上には向上しない。その状況では、企業間の競争の結果として社会的厚生が最大になる可能性はあるが、激しい競争で企業の業績は頭打ちとなる。それは、利潤を最大化できるのは競争が存在しない独占市場であり、企業にとってはできる限り競争のない産業構造が好ましいということを示す(表1)。

表1:産業構造の分類の例

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出典:ジェイ B. バーニー『企業戦略論 上』(岡田正大訳、ダイヤモンド社、2003年、p. 117)を参考に著者作成

そして、そうした理解から次第に、市場や産業の構造を自社に有利に導きうるという議論が完成されていった。当初は所与の要件として考えられていた市場や産業の特性も、企業行動が影響を与えうるもの、企業が選択しうるものとして解釈されるようになったのである。

当初、こうした理論的な発達は経済学の世界にとどまっており、経営学の世界との間には議論の断絶が存在していた。しかし、産業組織論で蓄積された知見が、1970年代の終わりから経営戦略の世界に突如流入し始める。その口火を切ったのは、ハーバード大学で産業組織論を研究していた経済学者のグループであり、そこで博士号を取得したのちに同校のビジネススクールに職を得た、若かりし頃のマイケル・ポーターであった。

[注4]邦訳は『不完全競争の経済学』(加藤泰男訳、文雅堂書店、1957年)
[注5]邦訳は『独占的競争の理論』(青山秀夫訳、至誠堂、1966年)
[注6] ここで解説したのは、あくまで初学者のための初期的な議論である。より厳密な理論と、戦略に対する経済学の議論の進展については、Besanko D, Dranove D, & Shanley M. 2016. Economics of Strategy. Wiley: Hoboken. (邦訳『戦略の経済学』、ダイヤモンド社、2002年) などが参考になる。

ポーター理論の基礎は
SCPモデルにある

ポーターは、社会的厚生を最大化するための立論を中心とする産業組織論の知見を、企業戦略の立案に応用した。第1に、できる限り自社にとっても望ましい業界構造を持つ事業領域を理解すること。第2に、できる限り自社にとって望ましい業界構造を能動的に手に入れること。これらを外部環境から経営戦略を検討する考え方として体系化し、手法として確立した。

その直接的な源流となったのが、「SCPモデル」である。このモデルは、前述した不完全競争の議論の発展を受けて、それを企業行動とその収益に直接的に結びつけて議論する潮流から生まれた。ポーターはさらに、SCPモデルを拡張することで、それを経営戦略にまで結びつけた。

SCPモデルの起源は、エドワード・メイソンによる1939年の論文[注7]に遡り、さらにジョー・ベインによる1956年の著作[注8]を通じてその体系化が行われている。その後、このモデルを経営戦略に取り入れた代表的な人物こそ、他でもないポーターであった。

SCPとは、“Structure-Conduct-Performance”の略である。“Structure”とは産業構造を指し、その業界がどのような特性を持っているかを示すさまざまな指標で評価される。また“Conduct”とは企業行動であり、その業界における企業の典型的な行動様式がどのようなものかを検討する。そして“Performance”とは、文字通り業績や利潤といった企業のパフォーマンスを指し、第1に業界全体の平均的な利益率、第2に個別企業それぞれの業績や利潤を示す。すなわちSCPモデルとは、産業構造、企業行動、パフォーマンスがどのように結びついているかを議論するためのものである。

SCPモデルは元来、産業構造が企業行動の制約条件として存在することを前提としていた。企業は制約条件の元で最適な行動を選択して行動せざるをえないために、その長期的なパフォーマンスはおのずと業界全体の平均的なパフォーマンスに収斂する傾向があると説明していたのである。これは、産業構造と企業の利潤の関係を数理モデルで分析する、古典的な産業組織論の考え方と一致する。

ポーターの最大の学術的貢献は、この考え方を経営戦略に取り入れて発展させたことにある。彼が1981年に『アカデミー・オブ・マネジメント・レビュー』に掲載した「The Contributions of Industrial Organization To Strategic Management(産業組織論の経営戦略への貢献)」という論文は、産業組織論の理論形態を経営戦略に導入し、外部環境の分析から経営戦略を立案する考え方の礎となった(この論文は1979年8月にアトランタで開催された米国経営学会で初めて発表された、ポーターの学術的貢献を概観できる資料である)。

その論文の冒頭で、ポーターはこう述べている。

「産業組織論を研究する経済学者も、経営戦略を研究する経営学者も、これまでその大半は互いを懐疑的に見るか、そもそも互いの存在を認知していなかった」
Porter M. E. 1981. The Contributions of Industrial Organization To Strategic Management. Academy of Management Review 6(4): 609-620. pp. 609.

たしかに、当時は産業組織論の知見が政策立案の参考とされることはあっても、経営戦略を立案する現場で活用されることはほとんどなかった。しかし、1970年代後半から産業組織論に言及する経営戦略の議論が増え始め、各地のビジネススクールで採用されるようになると、次第に産業組織論の知見が経営戦略検討の中核として捉えられるようになる[注9]。

ポーターによれば、それには以下の7つの変化が背景にあるという。

1. 企業レベルの分析の一般化:戦略グループ研究に代表されるように、産業レベルだけではなく、産業内の個別企業の動態の分析が進んだ。

2. 市場参加者が相互に影響し合うという前提:市場参加者が相互に独立せず、それらがときに同調することの理解が進んだ。

3. 動的なモデルへの拡張:静的なモデルだけでなく、 産業の成長や衰退といった動的な要因を考慮したモデルの検討が進んだ。

4. 企業が産業構造を変えるという理解:企業行動とそのパフォーマンスが産業構造自体を変えうるという理解が進んだ。

5. 個別企業の競争や取引の関係を分析:需給関係のみならず、供給者や買い手の交渉力まで、個別企業の競争力の検討が進んだ。

6. より細緻な分析の発展: たとえ政策提言を目的とした分析でも、より細緻な分析と議論が求められるようになった。

7. 企業の競争行動に対する理論化:ゲーム理論に代表されるように、企業間の競争行動を取り入れた定量モデルの研究が進んだ。

特に強調されているのは、第4のポイントである。前述した通り、ベインとメイソンの時代の産業組織論では、産業構造が企業行動を決め、それがパフォーマンスに影響を与えるという一方通行の議論が中心であった。しかし、産業組織論の研究が進展することによって、パフォーマンスの差異からもたらされる企業行動が、逆に産業構造を変えうるという理解を促進させたといえる(図3参照)。

図3:伝統的なSCPモデルとポーターの時代のSCPモデル

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ベインとメイソンが議論した1950年代から1960年代のSCPモデル(上)と1970年代に議論され始めた修正版のSCPモデル(下)
出典:Porter, M. E. 1981. The Contributions of Industrial Organization To Strategic Management. Academy of Management Review, 6(4): 609-20: pp. 611 および pp. 616より作成

産業構造が企業行動を決め、それがパフォーマンスにつながるという一方向の理解だけでは、この考え方がこれほど注目を浴びることはなかっただろう。極めて重要な変化は、企業がみずから行動を起こすことで、1つの産業の内部においても、自社が直面する産業構造を選択できる可能性が示されたことである。

たしかに、チェンバレンやそれに続く研究もすでに、企業の能動的な行動を説明していた。しかし、ポーターはそれとは異なる角度から、企業が1つの産業の内部で自社の「ポジショニング」を変更させることで、自社が直面する産業構造を主体的に変えうることを示した。そして、それを体系化し、実務家でも使いこなせるシンプルなフレームワークに落とし込むことにより、その考え方を広く普及させることに成功したのである。

ポーターとケイブスの貢献は
産業組織論を経営戦略に応用したこと

では、1つの産業の内部においても、自社が直面する産業構造を選択できるとは、何を意味するのだろうか。

ベインやメイソンが議論していた時代のSCPモデルは、企業がそう簡単には自分が属する産業を変えることはできないという理解から、産業構造が企業行動とパフォーマンスを一方的に決めるという暗黙の前提を置いていた。すなわち、寡占企業や独占企業を除き、産業構造は企業がコントロールできる変数とは思われていなかった。

しかし、ポーターはSCPモデルの発展を参照しながら、それを拡張した。特定の産業構造下においても、企業の戦略的意思決定によって収益性の異なる産業内の位置に自社を「ポジショニング」できると説明したのである。

この考えの原点は、ポーターがリチャード・ケイブスと共同で発表した1977年の論文[注10]に見ることができる[注11]。

従来は、1つの産業内にあるすべての企業は同質的な産業構造下にある、という理解であったのに対して、この論文では、1つの産業内でもその行動特性ごとに異なる企業の集団(グループ)が存在し、そのグループはそれぞれ別の競争構造に置かれていると説明する。産業全体の参入障壁とは別に、産業内に似た企業同士のグループが存在するという前提を置き、そのグループ間には移動の壁、すなわち「移動障壁」が存在するとした(図4)。これは産業全体に対する企業の入退出と、それに伴う「参入障壁」の知見を、産業内部の企業行動の説明に応用した点で画期的であった。

図4:伝統的なSCPモデルとケイブスとポーターの議論の比較

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出典: 入山章栄、「ポーターの戦略」の根底にあるものは何か、Diamond Harvard Business Review, Oct 2014, pp. 128-136.のp. 135を参照。一部著者改変 。

たとえば、腕時計産業について考えてみよう。そこには、高級ブランドや機械式時計のような、高付加価値の商品を提供することで差別化を図る企業のグループが存在する一方で、クォーツ式の大量生産の時計を提供するような低価格戦略を取る企業グループもある。また、機能性やファッション性を追求することによって、限られた顧客層に製品を提供するフォーカス戦略を採用する企業もあるだろう。

このように同じ産業内で異なる収益性を持つ企業が併存する状況を説明するために、ケイブスとポーターは、同じ戦略の方向性を持つ企業を1つのグループとして、産業内に複数のグループが併存する環境を解説する。腕時計の例で考えれば、高付加価値の商品を提供するグループ(差別化戦略を取るグループ)、低価格の商品を提供するグループ(コストリーダーシップ戦略を取るグループ)、特定の顧客に注力するグループ(集中戦略を取るグループ)の3つがあると解釈できる。

さらにケイブスとポーターは、あるグループから別のグループに移動するには、移動障壁(Barriers to mobility)が存在すると説明する。彼らは、その特性をベインやメイソンから始まる産業全体に関する参入障壁の知見を応用して説明し、産業内で企業が「ポジショニング」を変えることを理論化した。

移動障壁の概念を導入すれば、同じ産業構造の中でも、特定のポジショニングのほうが他のポジショニングよりも移動しにくいこと、すなわち企業の数が少なくなり競争が不全となりうることが理解できる。そして競争が不全であれば、独占や寡占の状況が生まれ、そのポジショニングを取る企業が高い利潤を得ることが可能になる。つまり、同じ産業構造下においても、企業のポジショニングによってパフォーマンスが変わりうることが説明できる。

その後、ポーターはこの議論をさらに拡張し、より高い移動障壁を持つポジショニングを取ることが理想であり、その理想の類型を3つに整理することによって、前述の差別化戦略、コストリーダーシップ戦略、集中戦略という3つの基本戦略を提唱するに至った。

なお、産業内で同質的な行動を取る企業の集団は、戦略グループ(Strategic group)とも呼ばれる。これはマイケル・ハントによる1972年の博士論文で初めて導入された言葉である。ハントは、コスト構造、差別化の程度、垂直統合の程度、製品多角化の程度、組織構造、管理構造、その戦略的な趣向など多面的な側面から、同一産業内の企業は複数のグループに分類できるとした[注12]。

ポーターとケイブスは戦略グループの概念と同じ着想から、1つの産業内でSCPモデルを応用する可能性を切り開いた。1つの産業構造(S)から導き出される企業行動(C)は1つではなく複数存在し、どの企業行動を選択するかで企業のパフォーマンス(P)は変わるという知見を理論化したのである。

業界内の戦略グループを選択すること、それはすなわち、自社を業界内の特定の戦略グループに「ポジショニング」することである。1つの産業構造においても、その中で特定のポジションを築き上げることで移動障壁をつくり出し、企業が異なるパフォーマンスを得られる可能性があると主張した。

この論文が優れているのは、不完全競争および産業組織論における参入障壁の議論を応用することで、ある産業内に存在する企業が取るべき最適解を(可能かどうかは別として)提示できる点にある。それは極めてシンプルであり、「可能な限り移動障壁(すなわち参入障壁)が高く、したがって多くの場合は同グループ内の企業数が少ない戦略グループを選択すべき」というものである。つまり、特定の産業内に存在する競合他社にとって、実行がより困難な選択肢を選ぶべきであるという。

たとえば、製品の性能面で他社には真似できない差別化ができるのであれば、それを追求することで独占の超過利潤を享受できる。また、他社が真似できないほどの低価格化を実現できるのであれば、それも追求することで独占の超過利潤を得ることができるだろう。

いま聞くと、特別なことはなにもない。他社にできないことをすべきという、当然の選択を説明できるだけである。しかし当時は、産業レベルの分析で得られた知見をもとに、パフォーマンス(P)を元に選択した企業行動(C)から産業構造(S)を選べるという考え方は、極めて先駆的であった。特定の産業で事業を営むことを所与の条件としつつも、企業が能動的に自社の立ち位置を選択できる可能性が提示されたことで、産業組織論の知見を経営戦略に応用する大きな鉱脈が切り開かれたのである。

[注7]Mason, E. S. 1939. Price and Production Policies of Large-Scale Enterprise. American Economic Review, 29: 61.
[注8]Bain, J. S. 1956. Barriers to New Competition: Their Character and Consequences in Manufacturing Industries. Cambridge: Harvard University Press. 
[注9]ポーターは、自身が1975年にハーバード・ビジネス・スクールのケース教材としてまとめた「Note on the Structural Analysis of Industries(産業構造分析の要点)」が、産業組織論を経営戦略(ビジネスポリシー)の議論に翻訳した最初期の資料であると説明する。なお、ポー ターが講義で使用し始めた(originally written)のは1974年であると論文では書かれており、この教材は現在もハーバード・ビジネス・スクールで利用されていると聞く(参 照:https://cb.hbsp.harvard.edu/cbmp/product/376054-PDF-ENG)
[注10]Caves, R. E. & Porter, M. E. 1977. From Entry Barriers to Mobility Barriers: Conjectural Decisions and Contrived Deterrence to New Competition*. The Quarterly Journal of Economics, 91(2): 241-61.
[注11]完全競争から不完全競争、そしてSCPモデルに至る発展に関しては、早稲田大学の入山章栄准教授の連載が参考になる。入山章栄、「ポーターの戦略」の根底にあるものは何か、Diamond Harvard Business Review, Oct 2014, pp. 128-136.
[注12]Hunt, M. S. 1972. Competition in the Major Home Appliance Industry 1960-1970. Unpublished doctoral dissertation, Harvard University.

ファイブ・フォース分析の意義と限界

では、それぞれの産業や、その中に存在するそれぞれの戦略グループの収益性をどのように分析すればよいのか。それを検討するために実務家に向けて提示されたのが、 ファイブ・フォース分析である。

このフレームワークは、前述の「産業組織論の経営戦略への貢献」と同じ1979年に、『ハーバード・ビジネス・レビュー』に「How Competitive Forces shape strategy(5つの環境要因を競争戦略にどう取り込むか)』というタイトルで発表された。この論文は、同誌の年間最優秀論文賞(マッキンゼー賞)を受賞し、実務家の大きな注目を浴びた(マッキンゼー賞受賞は、翌年出版された『Competitive Strategy(競争の戦略)』[注13]が世界的ベストセラーとなった理由でもあるだろう)

この考え方は、BCGマトリックスのように、産業内部の競争を単純化する事業管理の考え方に対して、産業内の競争という、より実態に即した答えを提示した。それは、アンゾフ以降に複雑化しすぎた経営戦略の議論にはなかったシンプルな回答であったため、それを探し求めていた実務家から圧倒的な支持を集めた。

ファイブ・フォース分析の議論はまず、自社が置かれている競争環境を、その特性を左右する5つの要因から分析して理解することから始まる。そのうえで、できる限り産業の魅力度が高い事業領域を選択する。そして、選択した産業の魅力度を高く保全できるように多様な打ち手を設計すべきである、という考え方である。

前述した通り、ポーターが示した5つの要因とは、(1)企業間競争、(2)売り手の交渉力、(3)買い手の交渉力、(4)新規参入の脅威、(5)代替品の脅威である。そして、5つの要因それぞれが、自社が属する産業や戦略グループの構造的な収益性を決める(図5参照)。

図5:ファイブ・フォース分析の5つの要因

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出典: Porter, M. E. 1979. How competitive forces shape strategy. Harvard Business Review, 57(2): 137-45, p. 141.

これら5つの要因を理解することで、自社の置かれた経営環境を細緻に理解できる。また、それぞれに作用する適切な打ち手を設計することで、自社が直面する競争環境をより有利なものにできる。したがって、企業が第一にすべきことは、自社にとってできる限り有利となる事業領域や事業モデルを設計することである。そのうえで、それらが自社に有利な方向に変化するように、多様な打ち手を検討することとである。

本稿では、5つの要因に関する詳細な解説は経営戦略の教科書に譲り、このフレームワークを実務で活用するうえで留意すべき点を議論したい。

この分析を用いる際には、いくつかの重要な注意事項がある。これを理解するためには、2008年、ポーターが『ハーバード・ビジネス・レビュー』に寄稿した「The Five Competitive Forces that Shape Strategy(戦略を導く5つの競争要因)」という論文が参考になる。

この論文によれば、ファイブ・フォース分析は、企業が現在直面している競争だけではなく、新規参入や代替品の脅威など、将来訪れる脅威に関する分析を行う点に価値があるという。同時に、実務家が目に見える要因だけに囚われずに、影響を与えうる多様な要因を網羅的に検討できる点もその価値だと言及する。

ただし、まず産業の収益性を決定づける構造的な要因を分析するために、短期ではなく長期的な構造変化を理解すべきだという。そして、単にその産業が現時点で魅力的か否かを判断するのではなく、利益率の背景に存在する根源的な要因と、競争要因を理解することが肝要であると説く。

そのうえで、定性的な理解だけではなく、市場参加者の財務諸表にまで踏み込み、産業構造を決定づける要因が実際にどれだけ数字に影響を与えるかを理解する必要性を述べる。さらに、最終的に価値ある分析とは、単に良い点と悪い点を列挙するではなく、全体を統合した戦略的な洞察を導き出すことだとポーターは言う。

また、早稲田大学の入山章栄准教授は、ファイブ・フォース分析を用いる際には、複層的な産業構造を理解し、複数の階層・レベルでそれぞれ分析を行うべきであるとする[注14]。同一産業内においても、5つの力が異なる働きを示す場所は必ず存在する。それを見定めるためには、産業レベルの分析だけでは不十分である。産業内のそれぞれのセグメントに対してこの分析を行うことで、より粒度の高い競争環境の理解が可能となる。

残念ながら、こうした「正しい使い方」が守られているかと言われれば、疑問を抱かざるを得ない。現実には、ポーターの期待とはかけ離れた利用がされているのが現状ではないか。

なお同論文では、よくある間違い(Common pitfalls)として以下の7つが列挙されている。

1. 産業の定義が広すぎるか、狭すぎる
2. 要因だけが列挙されており、厳格な分析がされていない
3. すべての要因を平等に扱い、重要な要因を深掘りできていない
4. 結果(例:価格弾力性)と原因(例:買い手の購買要因)を混同している
5. 単年の統計数字を用いて、業界トレンドを無視している
6. 一時的あるいは周期的な変化と真に、構造的な変化を混同している
7. 戦略的決定のためではなく、ただ業界の魅力度を判断しようとしている

ファイブ・フォース分析は、応用可能性が高いフレームワークであるがゆえに、実務の1つひとつに深く適合して利用できる考え方ではない。ここで列挙したポイントも、このフレームワークが普遍性を持つがゆえに生じる限界である。テンプレートを埋めるかのように情報を列挙しても、ファイブ・フォース分析が価値を生み出さないのは、ポーターも指摘する通りである。

ただ、それがまったく役立たないというわけではない。あくまで議論の出発点として、思考を手助けするツールとして適切に用いれば、この分析は十分に価値を持つ。

外部環境分析は進化する:
マクロ要因、非市場要因、メガトレンド

ファイブ・フォース分析を実用する際は、産業構造を複層的にとらえる必要があるのは前述の通りである。ただし、それだけでは十分ではなく、よりマクロ的な要因に関しては異なる考え方の活用が求められる。なぜなら、ときに大きな社会経済の変化の流れが、中長期的にあらゆる産業のあり方を劇的に変容させるからである。

目の前の産業構造や事業の連続的な変化ばかりに注力していると、その変化に気づくことは難しい。たとえ気づいたとしても、その頃には手遅れになっている可能性すらある。したがって、外部環境を分析する際には、マクロ的な環境全体の傾向、そして国家や世界全体に影響しうる潮流までを理解したうえで、個別具体的な産業構造の分析に取り組むのが望ましい。

マクロ的な環境要因の理解でよく活用されるのは、「PESTLE分析」と呼ばれる考え方である。これは“Political(政治的)”、“Economical(経済的)”、“Social(社会的)”, “Technological(技術的)”、“Environmental(環境)”、“Legal(法規制)”の頭文字を取ったもので、企業が事業を行う市場の状況に影響を与えうる各種要因を整理している。

昨今、新興国市場の重要性が増しているが、その市場は先進国とはまったく異なる社会経済環境に置かれている。そのため、その産業や市場が存在する社会・経済の特性を取り扱う非市場要因の重要性が指摘されてきた。当然、自社が慣れ親しんだマクロ環境下で経営戦略を検討する際にも、目の前の産業構造のみならず、それに間接的な影響を与えうるマクロ要因の分析を欠かすことができない。

日本を例に挙げれば、少子高齢化でシニア層の購買力をめぐる競争が激化し、子ども一人当たりに家庭が支出できる金額が上昇するかもしれない。労働者人口が頭打ちで政府債務が積み上がるなか、公共事業に関連する産業には苦しい時代が訪れる可能性もある。また、Airbnb(エアビーアンドビー)やUber(ウーバー)のような新サービスが、どの程度自社に影響を与えるかは、法律がどう整備されるかに大きく影響される。このようにマクロ要因とは、一見すると無関係のようでありながら、実は企業経営に重大な影響をもたらす長期的な市場変動の原因である。

また、市場競争の外に存在する非市場要因も無視できない。企業や顧客の属人的なつながりであったり、ある社会に慣習や規範として存在する行動原理であったりも影響をおよぼす。

たとえば、日本で競争する製薬会社は、製薬業界に影響力を持つ大学病院の著名な医師に対して積極的な支援を行うことがある。それは、その医師が影響力を行使することにより、自社の製品をその医師と関係する多数の病院・医院に導入できる可能性があるからだ。また、たとえば中東で事業を展開する際には、王族の影響力を無視することはできない。一旦は実務家の間で合意に至ったと思われた案件であっても、その合意が地域の実力者の意向と反するものであれば、いつそれが反故にされるかはわからないのである。

こうしたマクロ環境や非市場要因は、超長期的で大規模な社会経済の流れ、いわゆる「メガトレンド」や「グローバルトレンド」と呼ばれる大きな時代の流れに影響される。それは、目の前の外部環境をいつの間にか変容させてしまう、社会経済の大きな変化の潮流である。

近年では、直接的に把握しうるマクロ要因以上に、それらに包括的な影響を与える大きな潮流を理解し、その影響を議論する重要性が理解され始めている。たとえば、マッキンゼー・アンド・カンパニーが2015年に出版した『No Ordinary Disruption(非正常の断絶)』は、こうした大きな潮流を「グローバル・フォース」と名付け、近未来の世界を左右するであろうグローバル・フォースを4つ提示した。

1. 新興国の成長(The rise of emerging markets)
2. 技術による市場競争の変化(The accelerating impact of technology on the natural forces of market competition)
3. 世界人口の高齢化(An aging world population)
4. 商品、資本、人の流通の加速(Accelerating flows of trade, capital and people)

こうした大きな時代の流れは、理解されているようで十分には理解されていない。データを元にして論理的に検討できる目の前の競争と、それが存在する産業構造の理解が最も重要であることは自明である。しかし、その背景にある大きな流れを掴まなければ、その産業構造がなぜ誕生したのか、この先どうなるのか、に関する適切な理解を導くことはできない。

現代の外部環境分析は未知を織り込む

もちろん現実には、こうした大きな変化を予測することは不可能に近い。不確実性が高く、過去の延長線上に未来が存在しない昨今において、特にそれは難しい。しかし、外部環境から自社の将来像を導き出すためには、ある程度の不確実性を許容しながらも、未来の産業構造やマクロ環境を予測しながら経営戦略を立案する必要がある。

1985年、『競争の戦略』から5年後、ポーターは『Competitive Advantage(競争優位の戦略)』[注15]を出版した。同書では『競争の戦略』の多くの弱点に回答するなかで、未来予測をするうえで不可避の不確実性にどう対応するかについては、シナリオ分析を用いることで対応できると解説している。

シナリオ分析とは、1970年代初頭、石油会社のシェルが導入したマクロ環境予測の手法である。拙著『領域を超える経営学』(ダイヤモンド社、2004年)の第22章でも紹介したが、これは未来を決め打ちで予測するのではなく、いくつかの起こりうるパターンとして予測する手法である。

シナリオ分析は、現在の延長線上にある未来だけを検討するのではなく、図3で示すシナリオCやシナリオDなどのように、非線形に状況が変わりうる可能性まで取り込んで未来の動きを検討する(図6参照)。

図6:シナリオ分析の捉える時間軸

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出典:筆者作成

いま、何が、目の前に存在しているかに着目するだけでは、真のマクロ環境の未来にたどり着けない。同様に、非線形に刻一刻と状況が変わりゆく産業構造を理解するためには、過去の分析のみに頼っては不十分である。自社が属する戦略グループ、産業、そしてマクロ環境の現状を網羅的に理解したうえで、その変化を一定の不確実性を許容しつつ予測して、適切な戦略的意思決定に結びつけることが求められる。

現代という変化の激しい環境下で外部環境を基に戦略を検討するためには、それが不確実性に溢れているという事実を許容する方法論を駆使する必要がある。

[注13]邦訳は『競争の戦略』(土岐坤・服部照夫・中辻万治訳、ダイヤモンド社、1995年)
[注14]入山章栄、ポーターのフレームワークを覚えるよりも大切なこと、Diamond Harvard Business Review, Nov 2014, pp. 126-137.
[注15]邦訳は『競争優位の戦略』(土岐坤・服部照夫・中辻万治訳、ダイヤモンド社、1985年)

内部環境分析で
外部環境分析の不足を補う

すでに述べたように、ポーターが生み出したファイブ・フォース分析は、外部環境の特性、特に産業の魅力度と、その産業内の戦略グループ間の移動障壁から、最適な経営戦略を導出する方法論であった。

この方法論は優れた洞察を与えてくれる一方で、外部環境の分析に過度に依存しているようにも見える。そのため、産業構造が企業の収益性をどの程度まで説明できるか、という問いにつながった。特に、ポーターの理論が実務家を中心に極めて大きな注目を浴びたことと相まって、長年にわたる学術的な論争につながった。

図7は、企業ごとの収益性を産業構造でどの程度説明できるかを検証した、学術論文の統計結果である。

図7:個別企業における資産利益率(ROA)の差異の要因

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出典: 出典:ロバート M. グラント『グラント 現代戦略分析』(加瀬公夫訳、中央経済社、2008年、p.134)

 最初の検証は、1985年、マサチューセッツ工科大学のリチャード・シュマレンジーが行った。この分析では、資産利益率(ROA)の差異の20%しか説明できなかったとはいえ、その20%のほとんどが「産業効果」、すなわちその企業がどの産業に属しているかに起因していた。産業効果が19.6%に対して、「企業独自の要因」は0.6%しか見出されなかったのである。それはすなわち、産業構造のほうが企業独自の要因よりも強く業績に影響する可能性を示唆する結果であった。

当然ながら、シュマレンジーの研究の限界は、ROAの差異を説明できない部分が80%を超えていたことである。その疑問に答えるように、これに続く研究では、複数年のデータを用いてより大規模なサンプルを分析すること、また手法の改善を試みることで「説明できない要因」の割合を大きく低減させた。

それらの結果から見えてきたのは、産業効果は有意に企業パフォーマンスを説明できるものの、その説明力は全体の2割に満たないという可能性である。事実、図7で紹介されている代表的調査研究のうち、シュマレンジーの論文以外の研究は、産業効果よりも企業独自の要因に説明力があるという結果を示している。

もちろん、これらの研究は、産業内に存在する戦略グループ間の差異にまで踏み込んだ検証はできていない。企業独自の要因と計測されている要素が、実際には産業効果に起因する可能性もあるだろう。ただ、戦略グループを実証検証した論文でも、企業が属する戦略グループが、その収益率にどのような影響を与えるかの結論は出ていない。また、これらの論文はトップジャーナルに出版された優れた学術論文であり、相当な統計的検討が行われている。

したがって、これらの結果が完全に的外れであるとは言えないだろう。少なくとも、外部環境の分析のみから経営戦略を検討していては、企業パフォーマンスを最大化できないのはたしかなはずだ 。

最後に、こうした実証研究の成果を読み解くに当たり、興味深いデータを紹介したい。図8は、産業構造の長期的な変化を分析したデータである。ここで示されているのは米国における製造業のデータではあるが、図中の変化は、米国を皮切りに全世界へと波及したと推測される。

図8:資産収益率(ROA)の差異に対する
一時的な業績変動、産業内不均質性、産業間不均質性の寄与率

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出典:Thomas, L. G. & D’Aveni, R. A. 2009. The changing nature of competition in the US manufacturing sector, 1950 – 2002. Strategic organization, 7(4, (11)): 387-431.

 この図を見ると、1970年代の中頃を境に、一時的な業績変動と、1つの産業内におけるROAの各企業間の差異が大幅に増加している様子を見て取れる。

1950年代から1960年代にかけて、産業内の業績の差異はまだ小さかった。こうした環境下では、多くの企業にとって、安定的な経済発展と市場成長を享受し、競争よりも組織化と多角化が最大の関心事となる。この時代の経営戦略の議論は、これと整合する。しかし1970年代からは、景気の低迷と経済成長の鈍化が、企業に他社との競争の必要性を理解させた。そのため外部環境を適切に理解して、自社のポジショニングを明確化させることで競争に勝とうとする動きが次第に重要となった。

さらに1980年代半ば以降の競争の舞台は、それ以前に増して産業構造が不安定化し、変化のスピードが速い世界へと変わる。産業内での勝ち組と負け組の格差が拡大し、一時的な不安定性も増した。これにより、比較的安定した産業構造を前提に立論されたポーターの競争戦略も、その不備が指摘されるようになった。

ポーター自身、前述の『競争優位の戦略』の中で、たとえば企業内部の構造を分析するバリューチェーンという概念を導入することで、企業内部の競争力を高める重要性を解き、前作の弱点を補完している。だが、時代に求められていたのは、そもそも産業構造に立脚した外部環境からの議論ではなく、内部資源に立脚した内部環境の分析であった。

特に1980年代後半以降の国際競争の進展と産業変化の加速が、企業自身が持つ力を中核とした新たな理論体系の登場を待ち望んでいたのだろう。これを背景として、資源ベース・ビュー(Resource Based View)と呼ばれる内部環境分析を重視する考え方が誕生し、新たな潮流を築き上げることになる。

次回は、内部環境から経営戦略を考える系譜を概観する。企業の内部資源の希少性に着目した議論を起点に、いかに資源ベース・ビューが生まれたのか。そして、それはどのような進化を遂げつつあるのか。その理論的背景と学術的価値を中心に議論したい。

【本記事の要点】

• 1970年代の経営戦略論の停滞が、ポーター登場の素地をつくり上げた
• 産業構造から外部環境を分析する手法の源流は、不完全競争の議論にある
• SCPモデルの経営戦略への応用が、ポーターが演出した新たな潮流である
• ポーターの学術的貢献の中核は、戦略グループ間のポジショニングにある
• ファイブ・フォース分析の活用には、いくつかの注意事項を守る必要がある
• 産業構造を取り巻く、マクロ要因、非市場要因、メガトレンドの理解は必須である
• 不確実性を織り込む外部環境分析こそが、経営戦略に有益となる
• 実証研究の成果をひも解くと、外部環境だけで戦略を定めるべきとは言えない
• 産業構造の不安定化と競争の激化が、資源ベース理論興隆の素地となった

第6回  内部環境分析: バーニーの資源ベース理論から考える

第6回は、内部環境から経営戦略を考える「資源ベース理論」の流れがいかに生まれたのかを、ジェイ・バーニーを中心に考える。

産業組織論に原点を持つ競争の戦略は、市場そのものの成長が停滞したことにより、競合と顧客の熾烈な奪い合いに直面していた経営者に高く評価された。

しかし、1980年代も終わりに差し掛かると、産業構造はさらに不安定化し、外部環境の分析から戦略をつくり出すことの限界が叫ばれるようになる。産業構造の分析に基づいて自社のポジショニングを議論しているうちに、いつの間にか事業モデルや技術標準にイノベーションをもたらす新規参入者が次々と現れ、市場を席巻する事態が頻発したからである。

たとえば、日本企業は1960年代頃から米国市場に本格的な進出を開始し、1980年代には、半導体、テレビ、カメラ、造船、化学など多数の分野で極めて大きなプレゼンスを示していた。産業構造が安定的であれば、そしてポジショニングがすべてであれば、このような短期間での順位逆転は起き得なかったであろう。

だが、産業構造や競争の構図が短期間で大きく変わる事態が同時並行的に発生する。それは、新興勢力が新技術や革新的な製品を片手に、次々と新たな産業領域をつくり出していったためである。その結果、いったんはつくり出したポジショニングも、産業構造そのものがダイナミックにその形を変える環境下においては、持続的な競争優位にはなりえなかった。

このように企業間の競争原理が変貌を遂げるなかで、学術界にも新たな前進が求められていた。どこを突破口に新しい理論的展開を切り拓けばよいのか。そうして不安定化した外部市場からではなく、企業が持つ資源に再度着目し、その希少性を理論化しようとする動きが少しずつ進行し始めた。

今回は、この流れを生み出した源流である「資源ベース理論」の形成過程とその骨格を追うことから、内部資源をどう捉えるか、それをどう活かしていけばいいかを議論する。

なぜ内部要因が注目を浴びたのか

経験曲線、BCGマトリックス、ファイブ・フォース分析は一世を風靡したが、それを背景に立案された戦略をもってしても、米国企業の多くは長期の低迷から脱け出せずにいた。その結果、1970年以降主流となっていた理論に対して、少しずつ疑問の声が上がり始めていた。

そもそも、優れた戦略は外部市場の構造分析からもたらされるのであろうか。

この誰もが抱いていた疑問に対して、明確な事実を根拠に問題提起を投げかけたのが、スタンフォード大学ビジネススクール教授のリチャード・パスカルである。彼は1984年に『カリフォルニア・マネジメント・レビュー』に発表した「Perspectives on Strategy: The Real Story Behind Honda’s Success(戦略の視点:ホンダの成功の真実)」という論文を発表している。この論文は、戦略の大家であるヘンリー・ミンツバーグに「これほどのインパクトを与えた経営学の論文は他に類を見ない」と言わせたほどの論稿である[注1]。

この論文は、1975年、ボストン コンサルティング グループ(BCG)が英国政府の要請で作成した「Strategy alternatives for the British motorcycle industry(英国自動二輪車産業への戦略提言)」[注2]の説明を真っ向から否定した。BCGによるこのレポートは、全米各地のビジネススクールで戦略と産業の分析の手本として紹介されていたほど著名なものである。

BCGによるレポートでは、英国の自動二輪車産業の衰退を市場シェアと利益率の低下によるものとし、その原因を競合に対する技術開発、販売、製造における規模の経済の不足であると説明していた。その分析対象の中心は日本企業のホンダである。このレポートは、ホンダは母国市場・日本での成功によって規模の経済を享受し、その価格面での優位性を小型から中型、大型の商品に移転させることに成功したと解説する。

すなわち、母国市場での生産量の蓄積で経験曲線効果を得たことが低価格の源泉であり、それにより小型の商品で競争力を得たと解説する。さらに、小型の商品で得た利潤を戦略的に中型、大型の製品に投資をする、優れた事業ポートフォリオ管理を戦略的に行ったという。このように、BCGの戦略ツールで説明できる経営戦略の成功例としてホンダを位置付け、それと比して英国の自動二輪車産業がどうあるべきかを議論したのである。

これに対してパスカルは、その主張は企業内部を捉えた視点を考慮せず、細緻な事実を軽視した大味な分析であり、特にミクロ経済的な要因に依存しすぎていると批判を展開した。彼は、ホンダ社内で実際に行われた戦略検討プロセスを丹念に描写し、立地選択、予算計画、商品企画など多くの要素が産業構造や競争環境に基づいて決定されたのではなく、極めて属人的かつ偶発的に決められたことを示した。

これは、前回も触れた「プロセス型戦略論」とも呼ばれる、実践を通じた一連の意思決定から戦略が次第に経営されるという理解とも符合する。パスカルは、BCGの分析は、企業行動を外部環境の要因にひも付けすぎていると主張し、経営の現場で重視されているのは何よりも内部要因であることを説いたのである。

事実、産業構造をいかに緻密に分析しようとも、その分析結果が企業の業績とは結びつかないことが多々観測されていた。そこで事業の効率性向上、持続的な製品改良、企業内部での価値観の共有といった、企業内部の要因こそが競争優位につながるという主張は、1982年に発売された『In Search of Excellence(エクセレント・カンパニー)』[注3]が世界的ベストセラーとなったことと相まって、再度注目を浴びるようになっていた。

[注1]原典ではこう述べている。「Perhaps no other article published in the management literature has had quite the impact of Richard Pascale’s California Management Review piece on “Honda Effect”」Mintzberg, H. 1996. The “Honda Effect” Revisited. California Management Review, 38(4): 78-79., p. 78.
[注2]原文はこちらからダウンロード可能。https://www.gov.uk/government/publications/strategy-alternatives-for-the-british-motorcycle-industry
[注3]Peters, Thomas J., Waterman, Jr, & Robert H. 1982. In Search of Excellence: Lessons from America’s Best-Run Companies. Harper & Row.(邦訳は『エクセレント・カンパニー』〔大前研一訳、英治出版、2003年])

内部要因の学術的探究は1980年代初頭から

こうした土壌を背景として、学術界でも、企業内部の探究が黎明期を迎えていた。

前回述べたように、1970年代後半以降、特に産業組織論の知見の応用が進んだことで、競争環境の要因が企業行動にいかなる影響を与えるかについては、体系的な理論化が着実に進みつつあった。その一方、企業内部の要因を学術的にとらえ、それを理論化しようとする試みは、1980年代初頭からようやく進展し始めたのである。

その流れを総称して「資源ベース理論」(リソース・ベースド・ビュー〔Resource Based View〕とも呼ばれる)という。ポーターのファイブ・フォース分析がそうであったように、この理論も一人の天才によって突如生み出されたものではない。社会科学の発展の典型と同じく、数々の研究者たちが貢献を積み重ねることから形成された考え方である。

この資源ベース理論の礎を築いたのは、1984年、マサチューセッツ工科大学教授バーガー・ワーナーフェルトが発表した「A Resource Based View of the Firm(企業を資源からとらえる考え方)」という論文であった。この論文は、SCPモデルが、企業の収益性を決める要因は企業が産業内のどこにポジショニングするかである、と説いたのに対して、企業の収益性は資源市場における独占によっても向上させうると説明した。

ワーナーフェルトは、それまでの考え方が製品市場、すなわち外部環境の分析に偏りすぎていると批判した。そして、企業が他社に真似できない資源を保持することは「資源獲得障壁(Resource position barriers)」を築くことであり、それにより企業は競争優位を得ることができると説明した。

それは産業組織論が超過利潤の源泉とした参入障壁(Entry barriers)や、ポーターらがそれを拡張した移動障壁(Mobility barriers)の議論をさらに発展させた考え方である。すなわち、ワーナーフェルトは製品市場(外部環境)の分析によって検討が進んでいた理論体系を資源市場(内部環境)の議論に応用し、両者を統合的に説明する道を切り拓いたのである。
ワーナーフェルトの貢献が特に評価されるのは、このように産業組織論を原点として、ポーターによって拡張された産業構造から学術的に企業の競争優位の源泉を検討する考え方を応用し、しかもそれを企業の外部の議論から内部の議論に拡張したことにある。

同時期にはたとえば、リチャード・ルメルトの1984年の論文[注4]でも、異なるアプローチでSCPモデルが抱える課題、すなわち同様の産業構造下でなぜ企業の収益性に差異が生まれるかが理論化されていた。ルメルトは、各企業が持つ生産資源が本質的に異なるという前提を置き、その生産資源のコスト効率の差異が経済的レント(Economic rent: 経済学の用語であり、ここでは資産の利用から得られる余剰価値)につながるとき、それらの生産資源は競争優位の源泉となりうることを数式で示した。この論文も、企業の外の資源ではなく企業の中の資源を分析することから企業の異質性を説明しており、数多く引用される文献である。

では、ワーナーフェルトの論文がなぜ特に注目を浴びたのか。彼の言葉[注5]を借りれば、「多くの人々がこの論文を拡張し、そして、この論文が他の理論研究や過去の伝統的な理論体系と高い整合性を持っていたから」である。それまでの議論を援用しつつも前進させ、また他の議論も包括できる応用可能性を持つこと。それがなければ理論の評価は高まらない。なお、その出発点となった功績が認められ、この論文は、1993年、経営戦略の国際学会であるストラテジック・マネジメント・ソサイエティから発表5年以上経った名著論文に送られる学会賞を受賞している。

この論文にはもう1つ、パラダイムを変える転換点となる論文によく見られる特徴がある。Google Scholarの引用件数が1万件を超えていることからも伺えるように、この論文は現代では高く評価されている。しかし、この論文は発表当時にはまったくと言ってよいほど興味関心を持たれていなかった。発表から3年間での引用件数はわずか3件であったという。その内の2件はワーナーフェルトの門下生の論文であり、もう1件は彼の同僚の論文からであった。

実は、ワーナーフェルトのみならず、資源ベース理論の源流とも言われるエディス・ペンローズの1959年の著作『The Theory of the Growth of the Firm (企業成長の理論)』[注6]も、30年近くの長きにわたり埋もれていた。この著作が注目を集めたのは、ワーナーフェルトによる前述の1984年の論文と、同じくこの理論体系の確立に多大な貢献をしたデイビッド・ティースによる1982年の論文[注7]で言及されたことがきっかけだった。これらがなければ、そのまま埋もれていた可能性すらある[注8]。

ペンローズは、企業とは生産資源の束であり、その束の特性が異なることから、たとえ同一の産業構造下でも根本的に異質であると主張した。また、その生産資源に関しても、単に土地や設備のみならず、経営者や従業員のスキルなど多様な要素が含まれると解釈する先進性を持っていた。しかし、当時の研究者や実務家はその主張を聞き入れる素地をまだ持っていなかった。

資源ベース理論はいかに構築されたのか

資源ベース理論が一般に知られるようになるのは、1990年代に入ってからである。だがそれに先立ち、1980年代の中頃から、企業の内部要因を理論化し、より現実に即した理論体系を生み出そうとする動きは着実に進行していた。

ワーナーフェルトの論文が注目を浴び始めたのは、発表から5年を経た頃、1988年から1989年のことである。ワーナーフェルト自身によれば、その背景には、特にジェイ・バーニーの1986年の論文、インゲマル・ディエリックスとカレル・クールの1989年の論文[注9]、ワーナーフェルト自身の1989年の論文[注10]など、資源を巡る市場の特性に関する理論の細緻化があるという[注11]。

たとえば、バーニーの1986年の論文では、戦略的資源市場(Strategic Factor Market)という表現を用いて、資源を巡る競争と製品市場における顧客を巡る競争とをより明確に対峙させた。SCPモデルに代表される製品市場の分析は、まったく同じ産業構造下に存在する企業の業績に差異が存在する理由を説明するようにはつくられていない。したがって、個別企業に特有のスキルや能力の特性を分析するほうが、より正確に個々の企業の競争優位の源泉を特定できる。バーニーはそのように主張した。

ワーナーフェルトの1984年の論文が、製品をめぐる競争と資源を巡る競争との間に明確な優劣を示さなかったのに対して、バーニーは資源の重要性を強く説いた。バーニーは、自社を産業内で最適な位置にポジショニングすれば超過利潤を得られるというSCPモデルの理解が正しいとしても、そのポジションを得るために必要な資源を獲得する競争が存在するがゆえに、必ずしもすべての企業がそのポジショニングを得られるとは限らないことを示したのである。

また、ディエリックスとクールの1989年の論文は、ワーナーフェルトとバーニーの議論をさらに発展させた。彼らは、超過利潤を企業が得るためには、資源市場での競争に打ち勝ち続けなければならず、そのためには保有する資源が代替しづらく、模倣困難な必要があると説明する。そして、企業が保有する資源が代替しづらく、模倣困難となる条件は、その資源が蓄積される過程が独特であること、その結果として生じる資源の組み合わせが他社には構築しづらいことであり、それが競争優位の源泉であるとした。

すなわち、資源の調達コストや調達に伴う機会コストのみの理論化では、企業の持続的競争優位を説明できない。その資源を構築、または蓄積するプロセスまでを勘案する必要があり、資源がどれだけ戦略的に重要であるかは、その入手困難性、模倣困難性、代替困難性に左右されると主張したのである。

さらに、ワーナーフェルト自身の1989年の論文は、より具体的な戦略策定のプロセスにまで踏み込んだ。この論文は、それまでの理論的検証によってある程度特定された、資源を活用する際に必要な要素を体系化し、それを実務家にもわかりやすい形でまとめようとした最初期の作品といえる。ただし、この論文自体は、それほど大きな注目を浴びることはなかった。おそらくそれは、その体系化が不十分で明瞭ではなかったこと、それゆえに、この論文が多くの読者の目に触れる主要な論文誌に掲載されなかったからであろう。

もちろん、資源ベース理論の形成に貢献した研究者はこの限りではない。経営戦略が確立された後の議論だけを紐解いたとしても、アルフレッド・チャンドラー、イゴール・アンゾフ、ケネス・アンドリュースなど多くの先駆者たちはすでに、内部資源の重要性を指摘していた。また資源ベース理論の形成初期過程からも、リチャード・ルメルトやマーガレット・ペタラフなどの研究者が、資源を軸に企業とその戦略を捉える調査研究を協調・競争しながら進めていた[注12]。

ワーナーフェルトは、前述の1995年の論文でこう振り返る[注13]。

「1994年のSMSの年次総会(注:経営戦略の世界最大の国際学会)において、この論文が受賞する際に私はこう述べた。『私は石を地面に置いてそれを残しただけだった。ふと振り返ってみると、他の人がその石の上や横に石をおいて壁の一部を作り上げていたのである』。つまり、資源ベース理論として知られる一連の調査研究は、多くの人たちの研究の成果である」

これこそが、社会科学としての経営学の真の姿である。誰かが突如語り始めてそれだけで認められた理論体系は、私が知る限り存在しない。その背後には必ず、その原型とも言える主張があり、それを磨き込み続けた無数の研究者がいる。特定の人物が着目を浴びるにせよ、それは集団が練り上げた知識の恩恵を受けているのである。

[注4]Rumelt RP. 1984. Towards a Strategic Theory of the Firm. In Competitive Strategic Management. Lamb RB (ed.), Prentice Hall: Upper Sadler River, NJ.
[注5]ワーナーフェルト自身が、1995年、受賞を振り返るエッセイで述べている。Wernerfelt B. 1995. The Resource-Based View of the Firm: Ten Years After. Strategic Management Journal 16(3): 171-174., pp. 171-172.
[注6]Penrose, Edith T. 1959. The Theory of the Growth of the Firm. Basil Blackwell.(邦訳は『企業成長の理論【第3版】』〔日髙千景訳、ダイヤモンド社、2010年〕)
[注 7]Teece D. J. 1982. Towards an Economic Theory of the Multiproduct Firm. Journal of Economic Behavior and Organization 3(1): 39-63.
[注8]Rugman A. M, & Verbeke A. 2002. Edith Penrose’s Contribution to the Resource-Based View of Strategic Management. Strategic Management Journal 23(8): 769., p. 771.[注9]Dierickx I, & Cool K. 1989. Asset Stock Accumulation and Sustainability of Competitive Advantage. Management Science 35(12): 1504-1511.
[注10]Wernerfelt, B. 1989. From Critical Resources to Corporate Strategy. Journal of General Management, 14, pp. 4-12.
[注11]早稲田大学の入山章栄准教授による論考では、特にペンローズ(1959)、ワーナーフェルト(1984)、バーニー(1986)、ディエリックス=クール(1989)を紹介したのちに、バーニー(1991)の骨子を概観、その後の発展を追っている。こちらも合わせて参照いただきたい。入山章栄、バーニーの理論を「ようやく使えるものにした」のはだれか、Diamond Harvard Business Review, Dec 2014, pp. 126-137.
[注12]資源ベース理論の初期の理論研究を俯瞰するには、次の文献を参照のこと。Mahoney J. T, & Pandian J. R. 1992. The Resource-Based View Within the Conversation of Strategic Management. Strategic Management Journal, 13(5): 363-380.
[注13]Wernerfelt B. 1995. The Resource-Based View of the Firm: Ten Years After.Strategic Management Journal, 16(3): 171-174., p. 172.

資源ベース理論の普及に貢献した
2つの論文

1980年代を通じて脈々と形成されつつあった資源ベース理論であるが、その普及への道筋をつけたのは2つの作品であった[注14]。

1つは、実務家に対して資源を軸に考える重要性を広めた、C. K. プラハラッドとゲイリー・ハメルが1990年に発表した「The Core Competence of the Corporation(コア・コンピタンス経営)」[注15]である。もう1つは、研究者に向けて資源ベース理論を体系的に取りまとめた、ジェイ・バーニーが1991年に発表した「Firm Resources and Sustained Competitive Advantage(企業の資源と持続的な競争優位)」[注16]であった。

それぞれどのような役割を果たしたのか、順に見ていきたい。

プラハラッドとハメルによる貢献

プラハラッドとハメルの論文は、1990年の『ハーバード・ビジネス・レビュー』における年間最優秀論文賞(マッキンゼー賞) を受賞するなど、実務家に高く評価された。また、ワーナーフェルトをして「多くの学術論文がすでに出版されていたにもかかわらず、実務家への資源ベース理論の普及に関しては、彼らの貢献がすべてであった」と言わしめる[注17]ほど圧倒的な注目を浴びた。

この論文はまず、1980年代の日本電機(NEC)とGTEの競争を取り上げ、1980年にはNECの3倍の売上高を誇ったGTEが、結果的にNECの後塵を排することとなった理由は、両者が自社の事業をどう理解していたかの違いであると主張する。

GTEは、多角化した事業それぞれの産業の特性、事業の収益性を分析することから自社を理解していた。一方のNECは、自社の競争力を高めるためには、競争力の源泉となりうるコア製品、すなわち半導体の競争力を高めることが重要であると自社を理解していた。プラハラッドとハメルは、GTEが外部環境の分析から自社の事業ポートフォリオを決定して失敗したのに対して、NECが内部環境の分析から自社の事業のあり方を決定して成功したと分析したのである。

そして、そのような自社の事業のあり方を方向づけるものを、プラハラッドとハメルは「コア・コンピタンス」と呼んだ。 コア・コンピタンスとは、広範かつ多様な市場への参入可能性をもたらすものであり、また最終製品が顧客に提供する価値を向上させるものであり、他社には模倣が困難な技術やスキルあるいはその融合体を示す。

プラハラッドとハメルは、表1を用いて、戦略事業単位(Strategic Business Unit)による経営とコア・コンピタンスによる経営を比較する。

表1:SBUか、コア・コンピタンスか

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出典:DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー編集部『戦略論 1957-1993』(ダイヤモンド社、2010年、p.307)。原典は以下。Prahalad C. K., & Hamel G. 1990. The Core Competence of the Corporation. Harvard Business Review, 68(3): 79-91., p. 86.

戦略事業単位による経営とは、各事業単位に製品ごとの戦略を任せ、全社の戦略は戦略事業単位間の経営資源の配分、予算管理に注力するような経営である。それはまさに、BCGマトリックスに代表されるような事業ポートフォリオ管理を中核とした経営であった。それに対して、コア・コンピタンスによる経営とは、全社の戦略を個々の事業が持つ競争力の源泉、すなわちコア・コンピタンスの獲得と育成と、そのための組織的な集団学習の仕組みづくりに注力させることに重点を置く。

プラハラッドとハメルは、「20年ほど前(注:1960年代)に多角化企業を経営するために考案された分析手法は役に立たない」と主張し、最終商品の競争に基づく経営をするのではなく、コンピタンスと、それと最終製品を結びつけるコア製品、すなわち最終製品の価値を決定づける部品・部材や技術で経営すべきとした。

彼らはこれを「事業ポートフォリオ」対「コア・コンピタンス・ポートフォリオ」という構図で理解した。そしてキヤノン、ホンダ、ソニー、ヤマハ、コマツ、カシオといった日本企業は、コア・コンピタンスの獲得と、育成に必要な組織的な集団学習に優れることで競争力を得たと議論する。

前回議論したように、マイケル・ポーターの競争戦略は、産業組織論(特にSCPモデル)の知見を応用したことで、産業構造分析から自社の戦略を検討する方法論をより具体化した。単に産業全体を議論するのではなく、その中に存在する戦略グループの検討を重ねることで、産業内の競争を明確に意識した戦略立案を提示したのである。ただしそれも、経験曲線からBCGマトリックスに連なるような、事業ポートフォリオを主体とした戦略構築の系譜に留まっていた。

それに対してプラハラッドとハメルの議論は、その時代の終わりを明確に告げるものであった。戦略事業単位を中核に、外部環境の分析から産業構造を理解し、BCGマトリックスのような枠組みを用いて自社の経営戦略を考えていては、技術革新が継続する変化の時代には対応できない。産業構造も短期間で劇的に変わるため、既存産業の枠組みを分析しているうちに、新興企業がいつの間にか顧客を奪い去ってしまうからである。

外部環境ではなく、自社の競争優位の源泉たるコア・コンピタンスに目を向けることで、新しい時代の競争を勝ち残ることができる。この考え方は特に、日本企業の攻勢にあえぐ米国企業の経営者に大きな衝撃を与えた。

一方で、この議論には、リチャード・パスカルがBCGのレポートに対して行ったのと同じ批判(Honda Effect)が当てはまる可能性がある。この論文では、コア・コンピタンスというレンズを通じて日本企業を解釈し、日本企業の成功を持ってコア・コンピタンスが優れていると説明する。しかし実際に、日本企業がコア・コンピタンスを意識したうえで経営を展開したかはわからないのだ。したがって、この作品は優れた解釈を提供したものの、学術研究としての価値が高いとは言えない。

とはいえ、それまでの方法論の不備を指摘し、新たな道を明確に示したことは事実である。そしてそれは、実務家の圧倒的な支持を受けた。以降、企業の内部の要因を軸に競争優位を捉える考え方が主流へと変わっていく。

バーニーによる貢献

プラハラッドとハメルに対して、バーニーの「Firm Resources and Sustained Competitive Advantage」は、特に研究者に高く評価されている。

私が博士号を取得するときの講義では、ある教員がこの論文をこう評した。「この論文は、新規性や革新性という点では特筆に値しない。したがって、トップジャーナルにそのまま掲載されるべきとは思わない。しかし、結果的には多くの研究者の目に止まり、その利便性により、何度も引用されるに至っている」

もちろん、この評価がすべてとは言うつもりはない。ただ、バーニーの価値を図るうえで重要な示唆が含まれている。たとえば、この論文はGoogle Schalarで5万回引用されている。しかしその理由は、おそらくその新規性でも、革新性でも、厳密性でもない。

この論文はまず、ポーターに代表されるような、SCPモデルを応用した外部環境分析を適切に批判することで、内部環境分析の必要性を提示している。前回議論したように、SCPモデルは、同一の産業構造にあり、同一の戦略グループにある企業は、その戦略も資源も同一であるという仮定を置いている。また、そうした企業が独特な資源を保持できたとしても、それは短期間で他社も獲得しうるとする。

だが、この単純な前提の下では、産業構造も戦略グループも同じ企業によるパフォーマンスの差異が長期的に持続する理由を説明できない。バーニーは、これが資源ベース理論の学術的な興味関心の出発点であったことを再確認する。

次に、資源ベース理論の先行研究を引用しながら、企業が保持する資源が各自独特であり、その移動も困難であるという前提を置くことで、この問題に答えることができると解説する。すなわち資源ベース理論では、同一の産業構造、同一の戦略グループ内の企業であっても、それぞれが独特の資源を保持しうるという前提を置いている。これを「資源の異質性(Resource Heterogeneity)」と呼ぶ。加えて、それらの資源は短期間では他者に獲得されえないことも前提とした。これは「資源の固着性(Resource Immobility)」と呼ばれている。この2つの前提を置くことで、資源ベース理論は持続的な競争優位を分析できる。

さらにバーニーは、その2つの前提が存在しないとき、SCPモデルでも先行者利益や参入障壁、移動障壁の概念で持続的な競争優位が説明できるとする立場に反論する。ベインの参入障壁やケイブスとポーターの移動障壁の概念(前回参照)は、参入障壁が高い特定の産業に属する企業、または移動障壁が高い特定の戦略グループに属する企業が、それらに属さない企業に対して競争優位を持ち、それにより超過利潤を得ると説明する。それに対してバーニーは、参入障壁や移動障壁が生じることは、資源の異質性と資源の固着性の概念がなければ説明が難しいと反論した。

バーニーはこのように述べる[注18]。

「参入障壁や移動障壁が存在するためには、それらの障壁によって守られる企業が、参入を試みる企業とは異なる戦略を実行する必要がある。そして、参入を制限された企業は産業内やグループ内の企業と同じ戦略を実行することはできない。戦略の実行には企業の独自の資源の活用が必要であるのだから、障壁によって守られる企業と守られない企業が同じ戦略を実行できないことは、これらの企業が異なる戦略的な資源を持っていることを示唆する」

この発言からもわかるように、バーニーは参入障壁や移動障壁の議論を否定したのではない。参入障壁や移動障壁の存在する前提を説明するためには、資源ベース理論と同様に、資源の異質性と資源の固着性という概念を導入したほうが適切であると主張したのである。

バーニーはさらに、上記2つの前提のもとであれば、参入障壁や移動障壁の概念がなくとも、個々の企業が保持する資源の特性が異なること自体から、特定の資源を保持する企業が持続的な競争優位、すなわち超過利潤を得ることができると解説し、資源ベース理論の価値を説いた。

バーニーの立論が優れている点は、既存の理論的説明を否定するのではなく、それを補完する概念を導入することから、競争優位の源泉に対する別の経路を説明する可能性を切り開いたことである。彼は、資源の異質性と資源の固着性という2つの出発点が、既存理論の強化にもつながるとすると同時に、その2つの概念を出発点とすれば、資源をベースとして競争優位の源泉を議論できることをシンプルかつ明確にまとめた。

この論文で提示されている概念は、図1のように極めてシンプルである。

図1:バーニーが提示した資源ベース理論の概念

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出典:Barney J. 1991. Firm Resources and Sustained Competitive Advantage. Journal of Management, 17(1): 99-120. p. 112.

 左側が、資源の異質性と固着性という議論の前提条件であり、中央が異質性と固着性をもたらす資源の特性である。そして、それらの特性を持つ資源の束である企業が、右側の持続的な競争優位を持つと説明する。すなわち、「価値があり、希少性があり、模倣可能性が低く、代替可能性も低い資源が、企業の他者との差別化(異質性)を可能として、それを持続させること(固着性)につながるので、それが持続的な競争優位の源泉となる」と立論した。

実務家からすれば、わざわざ聞くまでもない説明である。また、実際に論文を読んでも、簡単なことを複雑に書いているようで理解が難しいと感じるだろう。だが、資源ベース理論を端的にまとめると同時に、その学術研究における立ち位置を明確化した点において、この論文には価値がある。

たしかに、新規性も革新性もないかもしれないが、学術論文の価値はそれだけではないことを再確認させてくれる論文である。新たな学術研究の潮流を端的にまとめ、そのエッセンスを抽出し、先行する学問体系とそれに関連する学問体系とのつながりを可視化すること。学術研究においては、それも後世に高く評価され得る貢献なのである。

なお、バーニーの1991年の論文から20年を迎えた2011年、その論文を掲載した『ジャーナル・オブ・マネジメント』は「Twenty Years of Resource-Based Theory(資源ベース理論の20年)」と題する特別号[注19]を刊行した。資源ベース理論の学術的検証を詳細に行うことは本稿の趣旨ではないため、その代表的な展開を理解するためには、この巻頭言に掲載された「The Future of Resource-Based Theory: Revitalization or Decline?(資源ベース理論の未来:再生か、衰退か)」と、そこで紹介されている論文[注20]を確認することを推奨したい。

[注14]資源ベース理論を元にした経営戦略論の起源は、C. K. プラハラッドとゲイリー・ハメルの1990年の論文を軸に、ハメルが筆頭著者となって1994年に出版された『Competing for the future』(Hamel, Gary, & Prahalad, C. K. 1994. Competing for the Future. Harvard Business School Press.〔邦訳は『コア・コンピタンス経営』一條和生訳、2001年、日本経済新聞社〕)と紹介されることも多い。
[注15]Prahalad C. K., & Hamel G. 1990. The Core Competence of the Corporation. Harvard Business Review, 68(3): 79-91.
[注16]Barney J. 1991. Firm Resources and Sustained Competitive Advantage. Journal of Management, 17(1): 99-120.
[注 17]原文は「Despite the number of academic papers that had been published on the subject by that time, I believe these authors were single- handedly responsible for diffusion of the resource- based view into practice.」(Wernerfelt B. 1995. The Resource-Based View of the Firm: Ten Years After. Strategic Management Journal, 16(3): 171-174., p.171.)
[注18]Barney J. 1991. Firm Resources and Sustained Competitive Advantage. Journal of Management, 17(1): 99-120., p. 105.
[注19]資源ベース理論を理解するうえでは、1991年のバーニーの論文が掲載された特別号(Journal of Management, 17(1))、10周年を記念した特別号(Journal of Management, 26(1))、そして20周年を記念したこの特別号(Journal of Management, 37(5))が大いに参考になる。
[注20]Barney J. B., David J., Ketchen J, & Wright M. 2011. The Future of Resource-Based Theory. Journal of Management, 37(5): 1299-1315.

資源ベース理論の拡張:
資源、知識、そして能力へ

資源ベース理論は、1990年から2000年代をかけて着実に進化していった。ここでは、その後の理論の展開における特に重要な変化を紹介したい。それは資源から知識、そして能力へという議論の進展である。

資源が重要であるという前提のうえで、では、いかに資源を手に入れ、どうやってそれを環境変化に合わせて組み替えるのか。より動的に変化を続ける企業の実態を説明するために、何が企業を変化や進化させるのか。その解明が続いている。

資源ベース理論を紹介する際、多くの教科書では、手に入れるべき資源の評価軸として「 VRIOフレームワーク」を紹介している。これは“Variable(価値があるか)”“Rare(希少性があるか)”“Inimitable (模倣困難か)”“Organization (組織と適合性があるか)”という4つの指針の頭文字である。多少の違いはあるにせよ、こうした特性を持つ資源に一定の競争優位の源泉があることに異論はない。

もちろん、これまでの議論からも明らかなように、単に資源を手に入れればよいのではない。その企業の異質性(独自性)を向上させる資源を、できるだけその企業に固着するように手に入れる必要がある。それによって競争優位はより高まり、またより長く持続する。

特に評価される傾向が高い資源は、有形資源より無形資源である。有形資源は市場で交換しやすいため競合にも入手しやすく、また産業構造の変化や技術革新によって価値を失いやすいと考えられるからである。反対に、異質性が高く固着しやすい資源は何かと考えると、市場では容易に手に入らず、その企業が持つ無形の独自性に価値を見出すのは自然であろう。

その考え方を前進させ、最も根源的で特殊な資源として「知識」を重視する議論がある。その代表は「知識ベース理論」[注21]と呼ばれる。他の資源を再編し、それを組み合わせる知識とそれを編集する仕組みこそ企業の競争優位の源泉であり、ひいては企業の存在価値であると考える。

また、「能力」が重要であるとする考え方も存在する。これは「ダイナミック・ケイパビリティ」[注22]とも呼ばれ、企業の中に存在するさまざまな資源を再構築する能力こそ企業の競争優位の源泉であり、持続的な競争優位につながると考える。

知識ベース理論も、ダイナミック・ケイパビリティも、資源ベース理論に対する最大の反論を持ってして成長した。それは、産業構造が不安定であり、技術革新の速い経営環境では、たとえ一時期には価値を持っていた資源も、すぐにその価値を失うのではないかという批判である。すなわち、手に入れるべき資源とは、実務家が通常「資源」と聞いて想像するようなものではない。資源を手に入れるための、知識、プロセス、人材、ネットワーク、能力……それらを総称した「何か」である。そして、その「何か」を探求することが、内部環境理解の最前線なのである。

依然として、その「何か」の正体については、統一的な見解は導かれていない。しかし、1つ明らかなことは、世界的な競争と急速な技術進化にさらされる現代においては、多くの産業で競争力を持つ「資源」が、単純な生産設備や土地建物[注23]だけではないという事実である。

企業は競争優位をいかに手に入れるか

では、そのうえで、競争優位を生む資源をどうすれば手に入れることができるのか。これにもいまだ統一的な答えは示されていない。欧米のビジネススクールの代表的な教科書を参照しても、内部環境を理解する重要性は解説されているものの、具体的にどんなアクションが効果的かはほとんど言及がないのが現状である。

その研究に関する方向性も実にさまざまである。人材ネットワークがつくり出すソーシャル・キャピタルや、経営幹部の事業機会の認識に影響を与える認知心理学的な特性に踏み込んだ議論もある。より先進的なものでは、脳神経科学の知見を用いる研究や、遺伝子科学の知見を応用しようとする議論も存在する[注24]。しかし、そのいずれも決定的な答えには至っていない。

私が知る限り、内部環境を通じていかに競争優位を得られるかに関して統一的な答えは存在しないが、広く知られる考え方はいくつか存在する。ここでは、それらを簡単に紹介しよう。

まず、競争力を生み出す知識をどう生み出すかに関して、知識ベース理論で最も体系的な理論化を行ったのは、一橋大学の野中郁次郎名誉教授であろう。1994年に彼が発表した「A Dynamic Theory of Organizational Knowledge Creation」[注25]では、「SECIモデル」と呼ばれる知識創造のスパイラルを説明し、世界中の注目を浴びた。この論文は、企業内で知識が形成され、共有され、進化するための理想的なプロセスを理論化したものであり、それは4つのプロセス「共同化(Socialization)」「表出化(Externalization)」「連結化(Combination)」「内面化(Internalization)」からなるとした。

同じ場所で共通の経験を積み重ねることで知識を共同化する。そこで共同化した知識を対話や表現を通じて表出化する。そして表出化させた知識を他の知識と連結化することで商品やサービスとして具体化する。さらに、具体化された実践を振り返り、そこから得た学びを内面化する。最後に、内面化された知識を共有することで共同化させる。この連鎖によって企業は知識を深耕していく。すなわち、「組織構成員の知識の共有の仕組み」こそが、知識獲得の最適な手段であると論じた。

このモデルに対しては、企業内部の知識創造を重視し、企業外部からの知識流入が重視されていないという指摘がある。また、暗黙知の共有が難しい、多様性のある国際的な組織では機能させることが難しい可能性もある。そして、組織の知識獲得に関しては数多くの別の研究も進展している[注26]。しかし、知識を具体的にどのように獲得するかに関しては、現在のところSECIモデルほど完成されたフレームワークは存在しないだろう。

また、ダイナミック・ケイパビリティの議論においては、2つの異なる潮流が存在する[注27]。

1つは人を重視する流れであり、ディビット・ティースがその代表的研究者である。彼の研究では、ダイナミック・ケイパビリティを認知心理学の観点から理論化し、資源ベース理論の知見を取り入れながら、それを最終的に属人的な能力やセンスに帰属させる[注28]。その考え方に基づけば、ダイナミック・ケイパビリティ獲得の最適な経路は、究極的には「人材」であり、それを獲得して活かす体制の整備となる。

もう1つは、組織で日々繰り返される行動のパターン、すなわちルーチィンに着目する考え方であり、キャスリン・アイゼンハートがその代表的研究者である[注29]。アイゼンハートは、2001年に「Strategy as Simple Rules(シンプル・ルール戦略)」という論文を発表している[注30]。この論文では、持続的な競争優位を実現するための経営戦略は、組織の方向性を統一する一方で、その柔軟性を担保する「シンプル・ルール」であるべきとする。その考え方に基づけば、ダイナミック・ケイパビリティを獲得するための最適な経路は「柔軟な組織の指針」であり、それによって活性化される人材の柔軟な意思決定と行動である。

ティースは、企業家精神を持つ個人を議論することで、その個人を活かす組織づくりに目を向ける。アイゼンハートは、柔軟性を担保できる組織制度を検討することから、そこで活かされる個人の自由な意思決定と行動に目を向ける。両者のアプローチの出発点は異なるが、その目指すべき姿には大きな重なりがある。

それは個人間だけでなく、知識ベース理論とダイナミック・ケイパビリティの2つの潮流の間でも同様である。SECIモデルに示される知識創造のスパイラルは、ダイナミック・ケイパビリティとも解釈しうる。反対に、ダイナミック・ケイパビリティが意図するものは、知識という言葉で表すことができる無形資源と言えるかもしれない。

依然として資源を活用してどう競争優位を得ていけばいいのかという問いに関しては、統一的な答えが存在しない。しかし確かなことは、この知見を現代に活かすためには、より広い定義で「資源」を捉え、それを絶えず組み替え、刷新し続ける作業が求められるということである。

***

21世紀を迎え、経営戦略を巡る議論は新たな局面に突入した。 世界市場を舞台とした寡占企業間の競争を分析することや、急速な成長を収めた新興企業の研究から、ポーターの立論に対しても、またバーニーの立論に対しても疑問の声が生まれてきた[注31]。

第1に、たとえばインターネットの成長で無数に生まれた寡占市場での競争戦略を分析するに当たり、産業構造の分析でもなく、企業内部の資源や知識や能力でもなく、限られた寡占企業間によるゲームや策略に基づく駆け引きが重要である可能性が認知されてきた。寡占市場における競争は、限られた企業による相互の読み合いと、各企業の行動に対するそれぞれの反応が競争の行方を左右する。こうした企業の行動を理解するには、絶えず移り変わる市場や資源の分析から議論を進めるよりも、競合間の直接的な関係を論理的に読み解くことから議論を進めるほうが、より明確な示唆を得られることがある。

また第2に、短期間で急成長し、そして市場を席巻するまでに至ったいくつかの企業の戦略構築が創発的であること、すなわち事前に立案された計画や長期的な事業計画に必ずしも基づいていないように見えたことも重要である。こうした企業は既存の延長線上からの戦略構築ではなく、あるべき姿の探求から新しい競争のあり方を提示していった。そのため、自社のコア・コンピタンスを知ることや、産業構造の変化をつかむことでは、なかなかこうした特異点的な成長をつかむことはできない。

この2つの流れを背景として、まず第1の流れから、ゲーム理論やマーケットデザイン、行動経済学やリアル・オプションの考え方が注目を浴びることとなる。次に第2の流れから、仮説思考計画法、デザイン思考、リーンスタートアップ、ストーリーによる戦略構築、オープン・イノベーションといった創発的な経営戦略につながる考え方が数多く登場した。そしてこれらが、既存の考え方をさらに磨き込む系譜とともに、現代の経営戦略の議論の最前線を担っている。

しかし、その探求はいまだ未成熟であり、確立された理論体系をつくり出すには至っていない。最前線であるがゆえに、ここからの議論は明確に断定できる事実が非常に限られるからだ。ここから先は、進むべき道の定まらない未知の領域であり、それは同時に多様な可能性が残されている。

さて、今回を最後に、歴史的な発展を遡上する旅を終える。しばらくは、社会科学としての経営学という視点を中心とした議論が続いた。次回からは、実学としての経営学の要素を強めていく。事業戦略の検討から始まり、より実務家の視点へと焦点を移し、具体的な戦略検討のプロセスについて考えていきたい。

【本記事の要点】

• 資源ベース理論は、産業構造と技術の変化が加速した時代に登場した
• 産業構造からの戦略構築が、業績に結びつかない状況が発展を後押しした
• 日本企業の分析から、企業内部の要因を理解することの重要性が理解された
• 資源ベース理論の探求は、1980年代前半にはすでに始まっていた
• 資源ベース理論は、一人の天才ではなく、無数の研究者の協業が生み出した
• プラハラッドとハメルが実務に、そしてバーニーが研究にこれを伝播させた
• 資源ベース理論の捉える「資源」は、次第に知識や能力へと拡張された
• 内部市場の分析からいかに競争優位を得るかは、いまだ探求の途上である

[注21]この理論の経営戦略への応用についてはこちらを参照のこと。Grant R. M. 1996. Toward A Knowledge-Based Theory of the Firm. Strategic Management Journal, 17: 109-122.
[注22]この理論の経営戦略への応用についてはこちらを参照のこと。 Teece D. J, Pisano G, & Shuen A. 1997. Dynamic Capabilities and Strategic Management. Strategic Management Journal, 18(7): 509-533.
[注23]もちろん、たとえば飲食業においては立地が依然として重要である。また、特殊な生産設備を保持すること自体が事業の競争優位につながる製造業なども存在する。
[注24]たとえば、Nicolaou N, Shane S, Cherkas L, Hunkin J, & Spector T. D. 2008. Is the Tendency to Engage in Entrepreneurship Genetic? Management Science, 54(1): 167-179.を参照。
[注25]Nonaka, I. 1994. A Dynamic Theory of Organizational Knowledge Creation. Organization Science, 5(1): 14-37.
[注26]概要に関しては次を参照のこと。Gupta A. K, Smith K. G, & Shalley C. E. 2006. The Interplay Between Exploration and Exploitation. Academy of Management, Journal 49(4): 693-706.
[注27]たとえばディビット・ティースは、キャスリン・アイゼンハートらのように、ダイナミック・ケイパビリティが企業のルーティンに還元できるとする考え方に対して、特定の人材が果たす役割を無視すべきではないと主張している。Teece D. J. 2012. Dynamic Capabilities: Routines versus Entrepreneurial Action. Journal of Management Studies, 49(8): 1395-1401.
[注28]たとえば著書では、経営者がダイナミック・ケイパビリティの重要な機能を占めることを解説している。Teece D. J. 2009. Dynamic Capabilities and Strategic Management. Oxford University Press: Oxford. (邦訳は『ダイナミック・ケイパビリティ戦略』谷口和弘・蜂巣旭 ・川西章弘・ステラ S. チェン訳、ダイヤモンド社、2013年)
[注29]代表的論文は以下。Eisenhardt K. M, Martin JA. 2000. Dynamic Capabilities: What Are They? Strategic Management Journal, 21(10-11): 1105-1121.
[注30]Eisenhardt K. M, & Sull DN. 2001. Strategy as Simple Rules. Harvard Business Review, 79(1): 106-116.
[注31]この論争に関しては、慶應義塾大学の岡田正大教授が『DIAMONDハーバード・ビジネス ・レビュー』の2001年5月号に発表した「ポーターVSバーニー論争の構図」という論文、および同誌のオンラインに2013年10月16日に掲載された「ポーターVSバーニー論争のその後を考える(前編)」(http://www.dhbr.net/articles/-/2173)がわかりやすい。

第7回  事業戦略を立案する: その定石と戦略フレームワークの活用法

第7回は、経営戦略を現場で活かすためにまず、欧米と日本の教科書の分析から社会科学としての経営戦略の意義と限界を示す。そのうえで、科学的論拠は浅くとも有用な戦略フレームワークをどう活用すべきかを議論する。

本連載ではこれまで、経営戦略という思考の流れを紀元前から1990年代まで遡り、その発展の歴史を概観してきた。ここまでは、いわば事実の理解といえよう。ここまで紹介してきた理論発展の潮流が存在することに、大きな違和感を覚える研究者はおそらくいないはずだ。私自身、「これはこういうものだ」とある程度は断言できる範疇の議論であった。

さて、議論が複雑化するのはここからである。

経営者やマネジャーは、どのように事業戦略をつくればよいのか。全社戦略において何に気をつけるべきなのか。そのような実践的かつ規範的な議論においては、唯一絶対の正しい答えは提示し得ない。そもそも、世界最上級の経営戦略の理論家であっても、「正しい答え」には行き着いていない。それはまさに、一橋大学の楠木建先生との対談(前編後編)で議論した「経営論」の世界である。したがって、ここからは多分に私見が入ることをご容赦願いたい。

今回は、事業戦略をどう考えればよいのかを議論する。まず、世の中の経営戦略の教科書が事業戦略をどのように扱っているのかを解説する。次に、社会科学の作用を準拠する教科書とは異なり、より個人の主観に立脚するような「戦略フレームワーク」をどう活用すればよいかに触れる。そのうえで、事業戦略に関する持論もご紹介させていただきたい。

欧米の教科書に見る
事業戦略立案の定石

事業戦略の立案に唯一絶対の正しい答えは存在しないと断言したが、では、経営戦略の教科書はそれをどのように教えているのだろうか。

まず、日本語訳が存在し、欧米で広く使われている教科書3冊、そして、日本語で出版され、タイトルに「経営戦略」が含まれる教科書3冊の計6冊[注1]がどのように事業戦略立案を取り扱っているかを概観したい。

最初に、欧米の教科書3冊を見てみよう(表1参照)。

表1:欧米ビジネススクールの教科書を比較

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出典:筆者作成

マイケル A. ヒットの『戦略経営論』(同友館)は、米国で毎年5~6万部は販売されているベストセラーである。噛み砕かれた基本的な内容が中心であり、大学院生のみならず、学部生向けの教材としても人気がある。ロバート W. グラントの『グラント 現代戦略分析』(中央経済社)は、欧州や北米のビジネススクールを中心に、多くの大学院で採用されている標準的な教科書である。事例に関しても、理論に関しても、常に最新の議論が反映されることで評価が高い。ジェイ B. バーニーの『企業戦略論』(ダイヤモンド社)は、前回も紹介した資源ベース理論の大家が記した作品であり、これも特に同理論の系譜を探究する大学教員を中心に、欧米のビジネススクールでは数多く採用される教科書である。

『戦略経営論』と『グラント 現代戦略分析』は、比較的バランスよく外部環境の分析と内部環境の分析を解説したのちに、競争優位をどのようにつくるかを解説する。 前者は、そもそも、それを実現するための事業戦略とは何かという基本の解説に重点を置いており、後者は、競争優位を実現するための具体的方策(差別化、コスト優位、イノベーション)により重点を置いている。

『企業戦略論』は、「SWOT分析」[注2]を源流とする発想で、機会(Opportunity)と脅威(Thread)の観点から外部環境を整理し、そのうえで、強み(Strength)と弱み(Weakness)の部分を、資源ベース理論から発案された「VRIO」[注3]フレームワークで置き換えて解説する。そして、ポーターの基本戦略など関連する他の議論で整理されていた要素(垂直統合、コストリーダーシップ、製品差別化、柔軟性、暗黙的談合)を、その切り口から再整理して解説している。

同書の標準的な切り口は、『戦略経営論』と『グラント 現代戦略分析』のようにバランスよく定石的な考え方を押さえたうえで、著者の持論・得意分野を付加的に解説する構成であろう。これは欧米の多くの経営戦略の教科書で共通した構成であり、いわば定石ともいえる。具体的には、以下の通りである。

 1.外部環境を理解する:ポーターのファイブ・フォース分析やPESTEL分析、シナリオ分析など、本連載の第5回で解説した手法を用いる。

 2.内部環境を理解する:資源ベース理論や知識ベース理論、ダイナミックケイパビリティなど、本連載の第6回で解説した概念を用いる。

 3.競争優位の源泉を決める:差別化、コスト優位、イノベーションの3つの主な方向性があり、特殊な競争環境では、競合との関係がカギとなる。

3つめの競争優位の源泉を決める際には、ポーターの基本戦略(差別化戦略、コストリーダーシップ戦略、集中戦略)のうち、差別化戦略とコストリーダーシップ戦略が重点的に取り扱われる。集中戦略に関する議論が少ないのは、それは差別化かコストリーダーシップによる優位を限られた顧客層に提供するにすぎないからである。

また、競争優位の源泉を議論する際に、イノベーションは差別化とコスト優位と同じかそれ以上に重要な基軸となる。第6回で示したように、日本企業が世界市場を席巻した理由は、既存の産業構造内における差別化やコスト優位といったポジショニングではなく、イノベーションによる新しい産業構造の創出であった。したがって、1990年代以降の議論として、資源ベース理論と同様にイノベーションに関する議論は大きな発展を遂げている。

さらに、特に成熟産業などの寡占市場において競争優位を持続させるためには、 競合と自社の繰り広げる競争によって引き起こされる行動と反応の連鎖、競争のダイナミクス(Competitive Dynamics)を理解することが不可欠となる。そのため、特に限られた競合との関係性が重要となる状況では、ここに重点を置いた議論が行われる。

バーニーの『企業戦略論』のように、特定の理論体系を基軸として経営戦略の議論を再編成する試みも確かにある。ただ、同書のように広く受け入れられる優れた教科書はあまりない。これはバーニー自身が資源ベース理論の大家であり、極めて影響力と発信力の大きい研究者であることが可能にしたのではないか。

私の理解では、多少の表現の好みの違いやページ配分の違い、事例の有無、難易度などの差異はあれども、経営戦略の世界でも、世界的に教えられる内容の統一化が進行している。その結果、定石ともいえる理論紹介の構成が次第に普及してきた。これはひとえに、社会科学として認められることを切に願う、経営学者の日々の努力の賜物であろう。

日本の教科書に見る
事業戦略立案の定石

次に、日本の経営戦略の教科書の例を見ると、その傾向は少し異なることがわかる(表2参照)。

表2:日本の経営戦略の教科書を比較

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出典:筆者作成

『MBA経営戦略』(ダイヤモンド社)は、グロービスグループが出版するグロービスMBAシリーズの経営戦略版である。『経営戦略入門』は、日本経済出版社のマネジメント・テキストシリーズの経営戦略版であり、多くの日本の大学における経営戦略の講義で採用されている良書である。『経営戦略をつかむ』は、ともにカリフォルニア大学ロサンゼルス校で博士号を取得した早稲田大学の浅羽茂教授と慶應義塾大学の牛島辰男教授による作品であり、経済学の知見が随所に反映された優れた教科書である。

『MBA経営戦略』は、初学者や若手の実務家を意識しているようである。比較的敷居の低い基本的な経営戦略のツールの解説から始まり、著者の相葉宏二氏がボストン コンサルティング グループ(BCG)のコンサルタントであったことも背景にあるのか、BCG関連の著作やフレームワークがいくつか紹介されている。ページ数も絞られており、エッセンスに注力をしている印象を受ける。

『経営戦略入門』は、その解説に日本企業の事例と市場統計情報が豊富に取り入れられているのが特徴的だろう。1つひとつの解説が丁寧であり、難解な箇所には具体的な事例が添えられている。解説の骨格はポーターの産業構造分析から基本戦略を提示する流れを踏襲しているが、マーケティング研究とイノベーション研究からの知見を応用して、深みのある議論を展開している。

『経営戦略をつかむ』は、欧米の教科書の定石を踏襲して、外部環境の分析、内部環境の分析を述べたのちに、ポーターの基本戦略を紹介したうえでイノベーションを取り上げ、さらに業界標準や産業構造の変化に議論を進めている。細部の解説には経済学の観点から議論する潮流の学術的知見が活かされており、しかも、それが学部生にも理解できるようにシンプルに落とし込まれている。

これらの作品は、日本で流通する経営戦略の教科書の典型的なパターンを表しているように思える。『MBA経営戦略』のように、エッセンスに焦点を当て、わかりやすさと実務的な視点を重視するパターン。『経営戦略入門』のように、基本的な土台は欧米の研究成果を参照しつつも、それを日本市場と日本企業のデータから再解釈し、日本の経営学の学会に蓄積された知見を色濃く反映するパターン。『経営戦略をつかむ』のように、構成も理論的基盤も欧米で主流の潮流に準拠しながら、それを日本の文脈に現地化(ローカライズ)するパターンである。

さらに全般として、ここでは取り上げなかった無数の事業戦略を議論する書籍も含めて検討した結果、 大きく2つの傾向があると考えている。

 1.事例や情報が日本にほぼ限定されている:米国の教科書が米国の事例が中心であるのと同様に、日本の経営戦略の議論は、インターネット・サービスなどグローバルな一部の産業領域を除き、日本市場における競争しか取り上げていない。

 2.イノベーションとマーケティングの研究成果が頻繁に採用される:欧米の教科書であれば資源ベース理論とそれに関連する処理論で解説される要素が、イノベーションの理論で解説される傾向がある。同様に、戦略グループの概念やゲーム理論の諸概念で解説される要素が、マーケティングの研究成果で解説される傾向もある。

ただし、これらは前述の定石に大きく外れるものはない。外部環境を知り、内部環境を知り、競争優位の源泉を議論することが、事業戦略立案の基本的なプロセスである。その細部をどのように味付けするかは、もちろん著者の好みによって分かれるところである。

社会科学に立脚する議論の意義と限界

このように、事業戦略の立案にあたって定石的なプロセスが存在する背景には、経営戦略の近年の発展の経緯が大きく影響している。

特に欧米の教科書は、広く流通する優れた教科書であるほど、それぞれの説明に詳細な引用文献が示されている。日本語に翻訳される過程でそれが割愛されているものも多いが、元来は研究成果の集大成としてもつくられており、各章末の引用文献一覧は、学術論文、書籍、雑誌新聞記事で埋め尽くされている。すなわち、欧米の経営戦略の教科書は、可能な限り学問的な議論の系譜に立脚しようとしている。

その結果、必然的に、1980年代から勃興した外部環境分析の議論を行い、1990年代から主流となった内部環境分析の議論に触れ、2000年代以後の議論の発展を参照したうえで、外部環境分析と内部環境分析を統合した競争優位の議論を解説する流れが定石となった。すなわち、「その構成が実務的に最上である」という理由からつくられているわけではないのだ(もちろん、それが有効であることは否定しないが)。

また、社会科学としての経営学の立脚を志す研究者の多くは、実証的な議論(どうあるか)を好む傾向があり、規範的な議論(どうあるべきか)に極めて慎重である。これは、因果関係と相関関係の違いにも似ている。たとえば、CSR投資(企業社会責任投資)を推進している企業の業績が、それをしていない企業に比べて大きく好調であるとしよう。しかし、その事実のみからでは、CSR投資をすれば企業の業績が上向くとは言い切れない。潜在変数が抜け漏れているかもしれないし、逆の因果を操作しきれていないかもしれない。そもそも、実社会の状況は刻一刻と移り変わっているため、実験室的環境下とは異なり、過去の因果関係が強く示唆されたとしても、再現性を完全に担保できるとは限らない。

そのため、学術的な教科書であればあるほど、“should (すべき)”や“must (でなければならない)”といった断定的な表現は用いられない。社会科学として確立された作法に則った調査研究に基き、確実に判明している事柄に立脚しているので、実務家が本当に知りたい部分に関しては、個別具体的な事例の解説でお茶を濁すしかない。それは、実務家から見ると極めて歯切れの悪い文章となり、つまらない内容となる。

あくまで教科書は教科書であり、定石は定石である。そして、実際の勝負は定石を押さえた先の世界で決まることも確かである。

[注1]どれも優れた教科書ではあるが、科学的な基準を用いて選択したわけではないことはご容赦いただきたい。『グラント 現代戦略分析』は私が留学時代に参考文献として学んだ教科書である。『企業戦略論』は資源ベース理論の大家ジェイ・バーニーの著作である。『戦略経営論』は私が翻訳に関わった米国MBAのベストセラーである。『MBA経営戦略』は日本の実務家に最も広く読まれている経営戦略の教科書であろう。『経営戦略入門』『経営戦略をつかむ』は、過去に良書であると推薦をいただき、私自身も学びが多かった教科書であるので紹介した。
[注2]戦略を検討する際には、企業自身の「強み(Strength)」と「弱み(Weakness)」、ならびに市場に存在する「事業機会(Opportunity)」と「脅威(Thread)」を理解すべきとする考え方。その頭文字をとり「SWOT分析」と呼ぶ。
[注3]強みと弱みではなく、VRIOを頭文字とする4つの問いに答えるべきとする。その4つとは、企業が従事する活動の「経済価値(Value)」「希少性(Rarity)」「模倣困難性(Inimitability)」「組織(Organization)」に関する問いである。

戦略フレームワークを
経営にどう取り入れるべきか

さて、特に事業戦略の立案においては、ここまでに紹介したような学術的な教科書以外にも、「戦略フレームワーク」や「戦略ツール」と呼ばれる思考の整理の道具を思い浮かべる方が多いだろう。

それらを記した作品の中には、もちろん科学的な検証の末に出版されるものも存在する一方で、個人的な体験や主張に依存しているものも多い。では、そのような知見は、どう活用すべきなのか。

表3は、これまでに提唱された代表的な戦略フレームワークを、その年代ごとに整理した一覧である。これは2015年6月24日にHBR.org (米国『ハーバード・ビジネス・レビュー』のオンライン)に掲載された 『Navigating the Dozens of Different Strategy Options 』をもとに作成した。

表3:戦略フレームワークの歴史

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出典:Reeves M, Haanaes K, & Sinha J. 2015. Navigating the Dozens of Different Strategy Options. Harvard Business Review Digital Articles: 2-12.;(元出所: Ghemawat P. 2002. Competition and Business Strategy in Historical Perspective. Business History Review 76(01): 37-74.; Freedman L. 2015. Strategy : A History. Oxford University Press.)より筆者作成

表3を見ると、代表的なものだけで、81個の戦略フレームワークが提唱されてきたことがわかる。もちろん、英語で一定以上の知名度を持つ概念のみであり、日本語など各国のローカル言語で発信されているものは含まれていない。この中には、事業戦略よりも全社戦略に適した考え方も存在する。しかし、これらの多くは事業戦略を取り扱う戦略フレームワークであり、その時代においては一定以上の評価を得た作品群である。

この表の元となった記事は、BCGの経営戦略の専門家が執筆しており、『Your Strategy Needs a Strategy』という書籍[注5]の内容を抜粋したものである。同書は、戦略フレームワークには向き・不向きがあり、用いるべき状況と用いるべきではない状況があると主張する。そして著者らは、戦略フレームワークを選択するために、「戦略パレット(The Strategy Palette)」と呼ばれる手法を考案した。

戦略パレットはまず、戦略フレームワークの特性を5つに分類(表4参照)する。そして、それぞれに事業環境の特性ごとに得意・不得意があるため、外部環境を評価したうえで、適切な戦略フレームワークを選択すべきとする。

表4:戦略の5つの特性と経営環境の関連

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出典:Reeves M, Haanaes K, Sinha J. 2015. Your Strategy Needs a Strategy. Harvard Business Review Press. を参考に著者作成

古典的(Classical)な戦略フレームワークは、予測困難性が低く、事業環境を変革することも難しい事業環境において、確実な計画達成を支援するうえで有効性を発揮する。たとえば、電気水道ガスなどの公共財や、エネルギー産業が当てはまる。

適応的(Adaptive)な戦略フレームワークは、予測困難性が高く、事業環境を変革することが難しい場合に、事業運営に柔軟性を与えることに有効性を発揮する。たとえば、半導体や衣料品小売が当てはまる。

洞察的(Visionary)な戦略フレームワークは、予測困難性は低いが、事業環境の変革が可能な場合に、どのような変化が望ましいかの示唆を与える。これは産業にかかわらず、新技術や新サービスで事業環境を変化させうるときに有効性を持つ。

成形的(Shaping)な戦略フレームワークは、予測困難性が高く、また事業環境を変革することも難しいときに、新しい事業環境を成形する手法を提示することに有効性が生じる。その手法は、ソフトウェア産業やスマートフォンアプリの市場で有効活用される。

そして、復興的(Renewal)な戦略フレームワークは、そもそも自社の生存が脅かされる極限の状況下での事業再生に用いられる。

この考え方に基づくと、先ほどの81個の戦略フレームワークは、以下のように分類できる(表5参照)[注6]。

表5:戦略の特性をもとにした戦略フレームワークの分類

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出典:Reeves M, Haanaes K, Sinha J. 2015. Navigating the Dozens of Different Strategy Options. Harvard Business Review Digital Articles: 2-12.;(元出典: Ghemawat P. 2002. Competition and Business Strategy in Historical Perspective. Business History Review 76(01): 37-74.; Freedman L. 2015. Strategy : A History. Oxford University Press.)を参考に著者作成

細部に関する議論は残るだろうが、その性質を大きく分類しようとすると、これにはある程度の納得感がある。

興味深いのは、「古典的」に分類される戦略フレームワークは、文字通り、比較的事業環境が安定していた古い時代から存在しており、時代が進むにつれて、「適応的」「洞察的」「成形的」と呼ばれる、より動的で不安定な事業環境に対応すべく開発されたフレームワークが増える点だろう。この事実もまた、世に広がる戦略フレームワークが時代に求められたものであった可能性を示唆している。

ただし、この議論を全面的に支持するわけではない。たとえば、BCGの分類は過分に外部環境特性に依存しており、内部環境の視点が欠けている。どのような外部環境であるかを前提にするのと同じぐらい、どんな内部環境を持っているかを知ることは、戦略フレームワークの適性評価に重要であるはずだ。また、バーニーが1986年の論文[注7]で議論したように、環境を「IO型」「チェンバレン型」「シュンペーター型」の3つに分類する手法も有効だろう。

それでも、ある特定の戦略フレームワークを盲信するのではなく、まず、それが自社の置かれている環境に対して適性があるかを吟味することは間違いなく重要である。戦略フレームワークに関する書籍では「私だけを信じればよい」と書かれていることも少なくないが、これほど怪しい主張はないと私は考えている。

そうしたアイディアの初出原典であることが多い、硬派な経営誌や査読論文誌に掲載された論考は、比較的明確な主張であることが珍しくない。しかし、それを一般に広く発信しようと書籍にまとめる過程で、紙幅の関係なのか、あたかもその発想だけで経営できるような誤解を生む構成や表現になりがちである。

経営者やマネジャーには、戦略フレームワークに使われるのではなく、それを使いこなすこと。そして、ある特定のフレームワークを盲信するのではなく、自己が置かれた環境に則して取捨選択したうえで採用すること。それが重要である。

[注4]各フレームワークの概要もわかるインタラクティブ版がbcgperspectives.comで公開されている(参照:https://www.bcgperspectives.com/yourstrategyneedsastrategy)。
[注5]Reeves M, Haanaes K, & Sinha J. 2015. Your Strategy Needs a Strategy. Harvard Business Review Press.(邦訳は『戦略にこそ「戦略」が必要だ』御立尚資・木村亮示・須川綾子訳、日本経済新聞出版社、2016年)
[注6]この分類は、Reeves M, Haanaes K, & Sinha J. (2015)の整理に準拠した。
[注7] Barney, Jay B.. 1986. Types of Competition and the Theory of Strategy: Toward an Integrative Framework. Academy of Management Review 11: 791-800.

「理解」「判断」「行動」:
戦略フレームワークを活かす3つのステップ

戦略フレームワークを使いこなすためには、「自分の方法論の骨格」を保持することが不可欠だと私は考えている。「自分の方法論の骨格」とは、みずからの思考の軸を構成するものであり、あらゆる個別具体的な情報や概念はその軸の周りに存在する。まさに個人の思考のスタイルであり、主観が色濃く反映される部分でもある。

これには絶対的な答えはなく、優れた経営者の一人ひとりにそれを問えば、それぞれ個性溢れる答えが返ってくるだろう。もちろん、その回答を分析して平均や分散や傾向を示すことはできるだろうが、おそらくそれには意味がない。それぞれの特性にこそ意味があり、まさに芸術とすら呼ばれる領域である[注8]。

私自身、いまも経営の実務にも携わる立場であり、実務家の視点から実務家に助言をする人間でもある。そのため参考になるかもしれないと考え、ここからは、私の方法論の骨格について簡単にお話しさせていただきたい。

図1は、私の頭の中にある、優れた事業戦略の要素である。

図1:優れた事業戦略の3要素

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出典:筆者作成

優れた事業戦略とは、「理解」「判断」「行動」の3つの要素が正しく結びついていると私は考えている[注9]。事業戦略の教科書をほぼ網羅的に参照し、また無数の戦略フレームワークを実際に読んできたが、そのほとんどは「行動」まで踏み込んでいない。「理解」から「判断」までは詳細に記述されるも、そこから先の実行は自動的に適切に行われるかのような記述が多い。

研究者の世界では、単純化してしまえば、環境理解から意思決定までが戦略論の領域、そこから先の実行は組織論の領域とされ、両者の間には断絶がある。しかし、実務家の頭の中はそうなってはいない。組織と戦略は切り離せない両輪である。したがって、私は理解して、判断する、までではなく、行動するところまでを含めて、戦略を考えるための思考法をつくり上げるべきだと考えている。

まず、理解においては、たとえば単に自社の市場シェアや売上や利益が上下した事実を羅列するのではなく、その変化がいかなる長期的・短期的要因に引き起こされたのかを構造的に把握する。長期的な要因であれば、業界全体の競争激化によるものかもしれない。また短期的な原因であれば、天災や天候、もしくは一時的な退職者の増加などが考えられる。それを第一に明確化させる必要がある。

そのうえで、いまどうであるかだけではなく、これからどうなるかを考える。よくある中期経営計画のように、決め打ちで単一の予測数値を定めるのではなく、それがどうなる可能性が存在するのか、将来の振れ幅までを理解する。未来の不確実性を許容した理解を行い、知ったかぶらないことが重要である(ここでは、第5回の後半で触れた手法と、第6回の後半の理解が大いに役に立つ)。

ただし、判断するうえでは、突如として組織内部の事情が色濃く影響を与え始める。最高の選択肢など誰しもが取ることができない。人間も組織も不完全な生き物であり、見つけるべきは最高ではなく“最善”の選択肢である。最善の選択肢が、みずからの強みを活かし、競争優位をできる限り維持する選択肢であることは言うまでもない。

同時に、その判断が、意思決定に影響をもたらす利害関係者を、少なくとも決定に必要な割合を説得できる必要がある。たとえ、スタートアップ企業の創業者であっても、出資者や主要な経営幹部の意見を無視して方針を決めることはできない。相手が心から腹落ちしていない提案に強引に同意を取り付けても、後述する行動のところで、副作用がボディブローのように効いてくる。

そのためにいかに利害関係者を説得するかは、経営学では経営戦略の領域としてはほとんど扱われていない。MBAで言えば、ネゴシエーション(交渉術)やリーダーシップの講義で扱われる内容である。しかし実務的に考えると、ここでのやり取りと調整が実際の戦略に著しい影響を与えることは、想像に難くないだろう。

そして、行動である。これも伝統的な事業戦略の議論ではあまり取り扱われることがない。しかし、特に第2回で述べた創発的な戦略の形成においては、行動の過程こそが、戦略の価値を定めるうえで最も重要な要素となる。

たとえば、コモディティ化が進行した業界の場合、その製品やサービスを提供するにあたっての細部のつくり込みが課題になるケースはそれほど多くはない。それまでの無数の検討の末に、標準的な商品やサービスのあり方が一定程度枯れているため、判断を実行に移す過程で創造性はそれほど求められない。それが簡単というわけではなく、答えの引き出しが十分に整備されているのである。

しかし、黎明期にある産業や複雑な製品やサービスを取り扱う産業、デザインやイメージなど無形価値が重要となる事業領域では、特に判断の結果を具現化する際の質が成果を左右する。端的に言えば、創発的な戦略の形成が観測されやすい事業領域では、事業戦略の議論で見落とされがちな「行動」という要素が極めて重要だと私は考えている。

教科書に記載されている考え方や、各種の戦略フレームワークは、あくまでこの理解、判断、行動というそれぞれのステップにおける自分の思考を支援し、利害関係者との議論を円滑化することを助ける補助的な存在として用いるのが望ましい。

たとえば、ファイブ・フォース分析やSWOT分析は理解に適しているだろう。また、ポーターの基本戦略やブルー・オーシャン戦略のアクション・マトリックス[注10]は、判断の選択肢を幅広く吟味するのに役立つ。さらに行動においては、日本企業の経営から抽出された各種の経営手法、たとえば京セラのアメーバ経営や日産自動車の日産V-upなどの概念も状況によっては極めて有用である。

私は、この方法論(理解、判断、行動)の採用を推奨しているわけではない。重要なのは、各人がそれぞれの方法論を独自に見出すことであり、乱立する戦略フレームワークや経営手法を、自分の骨格を彩るための具材として取り込むことである。定石や戦略フレームワークは、それを闇雲に信じるのではなく、自分の意思で要点を取捨選択して活用できるのであれば、実務にも十分役に立つであろう。

[注8]一橋大学の沼上幹教授の言葉を借りれば、これは「戦略的思考法」という概念かもしれない。同氏は『経営戦略の思考法』(日本経済新聞出版社、2009年)において、「カテゴリー適用法」「要因列挙法」「メカニズム解明法」の3つの思考法を提示し、その用例・具体例を解説している。そして本記事で述べる私の思考法は、メカニズム解明法と要因列挙法の中間地点にあると理解している。
[注9]神戸大学の三品和広教授は、『経営戦略を問いなおす』(筑摩書房、2006年)の中で、「立地」「構え」「均整」の3つが戦略の核心だと説明している。立地はポジショニングの戦略論に源流があり、構えは自社や事業をどう構えるか、均整は立地と構え、そして戦略全体のパッケージングを指すという。立地は外部環境、構えは内部環境だが、均整はある程度以上具体的な行動施策、すなわち行動に踏み込んだ議論だと理解している。
[注10] 競争の激しいレッド・オーシャンではなく、競争のないブルー・オーシャンをつくり上げるために、「取り除く」「減らす」「付け加える」「増やす」という4つのアクションを整理している。

「行動」なき事業戦略は
青写真にすぎない

経営戦略の教科書や戦略フレームワークが「行動」に重点を置いていないのに対して、私がそれを中核の1つに添えるのには、2つの理由がある。

1つは、私自身が、行動のプロセスの中で創発的に発生する経営戦略を研究対象としているからである。もう1つは、自分で青写真を書いた経営戦略が、その展開につながる過程で飛躍的に研ぎ澄まされていったことも、反対に、著しく矮小化されてしまったことも、実際に幾度となく経験したからである。

図2は、その実施が判断された経営戦略が行動に移されるまでの過程を単純化したものである。

図2:経営戦略の決定から実行、成果に至るまでの道のり

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出典:筆者作成

たとえば、取締役会である事業戦略(新規事業)が機関決定されたとしよう。それが現場に降りてきて、具体化され、計画に起こされ、予算化され、試行され、そして本格展開に至るまでには、いくつもの関門が待ち受けている。

まず想像できるのが、勢い勇んで企画メンバーが現場に足を運ぶと、いきなり熱量の格差に出鼻を挫かれる展開だ。古参で影響力を持つ従業員が、「そんなのは昔やって大失敗したアイディアじゃないか。自分は協力しない」と会議の場を凍りつかせ、そもそもの提案自体が全否定され、経営陣に差し戻されるような事態があるかもしれない。

また、たとえそのアイディア自体が受け入れられたとしても、具体的な実施体制が絵空事に終わり、現場感や実際の展開の規模感がぶれ過ぎていることも多々ある。最も恐ろしいのは、法規制や商慣行、知的財産権など回避困難な問題によって実現が不可能というシナリオだ。早い段階で部署横断的な体制を構築するか、少なくとも各種の重要課題を拾い上げることができる体制を構築していないと、ここでも事業戦略は頓挫しうる。

それらの課題をクリアし、経営会議で意思決定されたとしても、各部門長が腹落ちして、全面的に支持する体制が取れていないと、ここでも悲劇が起こる。責任者が決まり、達成すべき目標も定められているのに、それに必要な経営資源が各部門から提供されないという事態が発生し、継ぎ接ぎだらけの体制となる。これは「総論賛成、各論反対」の状況だ。

「方向性は賛成だが、うちのエースを投入するのは反対だ」

「いい計画だが、最新の生産設備を活用するのは許可できない」

「支援したいが、旗艦店でパイロットをすることはありえない」

事業戦略を判断する時点で意思決定者を巻き込み、実行にあたって必須の経営資源を持つ担当者を引きこみ、詳細を合意していないと、事業戦略の前提条件となるような自社の経営資源を十分に活用できない事態となる。そうして、「それならば、やらないほうがマシだ」という状況に追い込まれる。

さて、どうにか経営資源を手にいれて、活動を開始したとしよう。それでも苦難の道が待ち受けている。

たとえば、予算化されているのは新規事業の部隊のみであったり、かつ単年度であったりする。他の部署は他の部署で、達成すべき予算や、進めるべき業務内容がある。新規事業に関連する各部署の業務内容と予算に、その支援に関係する予算項目や人員計画が反映されていなければ、他の部署の新規事業に対する協力は限定的とならざるをえない。これは縦割りの弊害であり、巨大組織の力が十分に活用されない事案は無数に存在する。

実行するうえでも、気をつけるべき点がある。短期的に成果を出せないと、単年度予算の慣行と短期的な人事異動・役員管掌変更の弊害により、次第に予算と人員が縮小され、ジリ貧となってしまう。そのため、限られた予算と人員でも成果が出せるように、地域・期間・数量などを限定して、必ず勝てる場所で成果を出すことを紡ぎ合わせていかないと、たとえ成功する可能性のあるプロジェクトでも、大きな成果につなげることは難しい。

いかに美しい事業戦略でも、実際にかたちになり、実行されて、成果につながるまでの経緯で、常に成功にも失敗にも転びうる。実際の事業戦略の根幹は、ときには怒鳴られながらも競合の情報をかき集め、意思決定者の懐柔に励み、勝てる戦いを積み重ねることで既成事実を積み上げていくようなプロセスが担っている。

特に現代の経済成長の大部分を担う新産業領域、すなわち、創発的な戦略の形成が観測されやすい事業領域では、見落とされがちなこの「行動」という要素が極めて重要である。だからこそ、これは私自身の理論としては未完成ではあるものの、「理解」「判断」にとどまらない、「行動」を統合した戦略策定の理論化を進めることが、事業戦略におけるフロンティアだと私は考えている(本連載の後半では、「行動」に関係する部分はより掘り下げて解説したい)。

さて、次回は全社戦略を取り上げる。

今回と同様、定石的なアプローチを概観したうえで、全社戦略として議論すべき4つの要素を1つずつ議論していく。そのうえで、企業のかたちが変わるであろう、未来の全社戦略についても考えたい。

【本記事の要点】

・外部環境分析と内部環境分析を土台として、競争優位の確立と維持のための手段を議論するのが、事業戦略立案の議論の骨格
・日本における議論は、競争優位の確立を議論する際に、イノベーション研究とマーケティング研究の知見が色濃く反映される傾向がある
・多様な教科書が特定の定石たる構成に収斂するのは、教科書が社会科学としての経営学の発展の経緯に即した構成を志向するため
・戦略フレームワークには得意・不得意があり、自社が置かれた事業環境、そして、自社の内部環境の特性に基づいて取捨選択する必要がある
・特に新興の産業や事業領域における事業戦略の検討にあたっては、「理解」と「判断」のみならず、「行動」の側面が無視できない
・行動の過程で一度決められた判断がどのように左右されるかは、事業戦略研究の古典的分野でありながら、1つのフロンティアでもある

第8回  全社戦略を立案する: 組織の永続に必要な4つの取り組み

第8回は、まず事業戦略と全社戦略の違いを明らかにしたうえで、教科書的な定石を明示する。そのうえで、より実務的な視点から全社戦略を再定義し、実際のビジネスの現場で何が求められるのかを詳細に議論する。

前回はまず、事業戦略の定石と戦略フレームワークについて解説した。そのうえで、事業戦略を検討する際に見逃されがちな「行動」に焦点を当てた考え方を紹介した。

今回は、全社戦略(Corporate Strategy)について議論する。全社戦略は、単一事業における事業拡大や競合との競争を扱う事業戦略(Business Strategy)とは異なり、組織全体の永続に向けた各種の取り組みを扱う。

まず、原点に立ち返ろう。そのためにも第4回で紹介したイゴール・アンゾフの理論から、その基本を理解する。そのうえで、全社戦略に関する議論について、1つひとつ整理していきたい。

全社戦略と事業戦略の違いは何か

事業戦略と全社戦略の境界は曖昧に見える。おそらくその理由は、実際に両者の重なりが大きいからだろう。

図1は、アンゾフの『Corporate Strategy(企業戦略論)』で示された、戦略的意思決定プロセスの概念図である。これはアンゾフ・マトリックスの成長ベクトルを選択する際、アンゾフが最も重要な戦略的意思決定と位置付ける、「多角化を選択するか否か」を検討するフローを表している。

図1:戦略形成のプロセス

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出典: Ansoff H. I. 1965. Corporate Strategy. McGraw-Hill, p. 27. より筆者作成

この考え方ではまず、みずからの組織の目的とゴールを設定する。そして、組織の内部と外部の機会を評価する。それらを勘案したうえで、戦略的意思決定(この例では多角化するか否か)を行う。

事業戦略を立案する際も、外部環境と内部環境に対する洞察から意思決定を行う流れまでは同一である。しかし、事業戦略がある産業における自社の競争行動を検討するのに対して、全社戦略とはより組織全体の方向性に影響を与えるものであり、アンゾフの言う「戦略的意思決定」である。

では、「戦略的意思決定」とは何か。第4回でも触れたが、もう一度、アンゾフが整理した戦略的意思決定の4つの要素を確認しよう。それらは極めて根源的であり、現代でもその重要性は変わっていない。

1.     製品と事業分野(自社がどの市場を事業領域とするか)
2.     成長ベクトル(自社の成長のためのアクション)
3.     競争優位(自社の競争優位の源泉をどこに持つか)
4.     シナジー(自社の事業領域間の相乗効果)

まず、自社をどう定義するかである。それには、どの事業環境を選択するか(製品と事業分野)であり、いかなる強みを醸成するか(競争優位)という議論が出発点にある。その出発点からある程度の事業展開を進めると、持続的な成長をさらに継続させるために、自社の成長をどう実現するか(成長ベクトル)が俎上に上がる。その後、自社の事業領域が多数並存するまでに成長が継続すれば、それらの事業のあり方を再編成するため、自社の事業領域間の相乗効果(シナジー)を考えることが議論の中核となるだろう。

すなわち、全社戦略が求める戦略的意思決定とは、まず、創業時点における組織目標の形成とゴールの設定、言い換えれば、製品と事業分野と競争優位を定める際に行われる。その後しばらくは、事業戦略を推進するため、全社戦略は補完的な位置付けとなる。しかし、成長を持続するための岐路に差し掛かるときや、事業上の困難に直面し組織の再編が迫られるときには、多角化を含む成長ベクトルの検討や事業間シナジーの評価など、また別の戦略的意思決定が求められることとなる。

伝統的な教科書が教える全社戦略の主題は、アンゾフ以来の伝統として、事業の多角化と、多角化した事業の管理が中核である。これはおそらく巨大企業では日々行われているが、社歴が浅く事業多角化に至っていない企業では馴染みが薄いはずだ。新興企業にとってはそもそも、事業の数が限られているため、 創業時点における事業戦略と全社戦略は大きく重なる。全社戦略が事業戦略とは別のものとして本格的に必要になるのは、ある一定以上の成長を実現した後である。

経営戦略の歴史を思い起こしてもらうと、その意味はわかりやすい。

経営戦略という言葉が普及した背景には、米国を先頭とした戦後世界経済の持続的かつ安定した成長があった。そして、多くの大企業が成長を継続するために事業を多角化し、単一事業の運営を超えて、複数事業の集合体としての企業の方向性を決める必要性に迫られた。さらに、コンサルティング会社やビジネススクールなどの勃興とも合わせて、経営戦略、ここでいう全社戦略の概念が広く普及したのである。すなわち、全社戦略が多角化と多角化事業の運営手法を中核として普及し、現代もそれが中核的な議題として扱われることに不思議はない。

教科書に見る全社戦略の定石

表1に、前回も参照した6冊の経営戦略の教科書が、全社戦略をどのように解説しているかを取りまとめた。

表1:教科書が教える全社戦略

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出典:筆者作成

たとえば『戦略経営論』と『経営戦略をつかむ』は、出発点であるアンゾフの議論の潮流を汲み、多角化を中心に議論を進めている。これは最も伝統的な全社戦略の形式に準拠した形式だろう。『戦略経営論』は多角化の各種形態にまで踏み込んでおり、『経営戦略をつかむ』は多角化の経済学的な背景への言及が充実している。

それに対して、『グラント 現代戦略分析』『MBA経営戦略』『経営戦略入門』では、まず、事業ドメインや企業ドメインに関する議論を丁寧に紹介し、それに紐づいた事業の多角化と、多角化した企業体の運営手法を解説する流れとなっている。これは目標とゴールを定め、それに基づいて事業を選択し、その事業群を編成するという、全社戦略の中核的な流れを意識した構成である。

なお、『企業戦略論』は下巻(上・中・下の3構成)である「全社戦略編」に、合併買収や戦略的提携などの関連テーマも合わせて採録している。しかし、その基本となるのはやはり多角化戦略と多角化戦略を推進する組織体制である。資源ベース理論を通した解釈で議論が編成されているが、これも伝統的な全社戦略の議論を踏襲しているといえよう。

全社戦略は、その議論の出発点にアンゾフの時代、すなわち安定的な経済成長が続くなかで、事業の多角化が魅力的な成長戦略として推進された時代がある。その時期の全社戦略とは、多角化をどう意思決定し、どう行うかであった。

その後、停滞する経済状況を反映して、BCGマトリックスのように、事業ポートフォリオ管理によって経営資源をいかに配分するか、すなわち多角化のマネジメントという議論が発展する。そこでは、すでに多角化した企業の資源管理であり、事業管理、そして再編が着目点であった。

1990年代からは、C. K. プラハラッドとゲイリー・ハメルによる『コア・コンピタンス経営』のように、戦略事業単位(Strategic Business Unit)を基軸に事業をポートフォリオとして捉えるのではなく、自社の競争力の源泉たるコア・コンピタンスを重要視する考え方が着目されるよになる(第6回参照)。

これはプラハラッドとハメルの言葉を借りれば、「戦略アーキテクチャー」をどのように設計するかという議論である。より一般的な言葉を使えば、企業ドメインや事業ドメインといった自社の強みの源泉の応用範囲を理解し、それをできるだけ広げ、その競争力を保持するための取り組みを継続する作業であった。

このような背景があるため、経営学の理論的系譜に忠実な教科書であるほど、また基礎的な部分を重視する教科書であるほど、議論は多角化とその運営手法を中心に行われる。また、前述した通り、新興企業や中堅企業の大半にとって、事業多角化の程度は高くはなく、ほとんどの場合は事業戦略を検討する範疇の議論で、必要が満たされてしまう。

結果的に、多くの実務家にとって、全社戦略は感覚的にはわかっていても、 それほど馴染みのない領域となるのである。

全社戦略を再定義する

私は、現在教えられている全社戦略の要素について、仮に理論的な発展の経緯を勘案せずに再定義[注1]するのであれば、図2のようになると考えている。

図2:全社戦略として検討すべき要素

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出典:筆者作成

ここで断りを入れたのは、学術的な蓄積を背景とすれば多角化の議論を主体とせざるを得ないからである。たとえば、Google Scholar で多角化戦略(“Diversification Strategy”)と検索すると、3万1900件の論文がヒットする。これはポーターのファイブ・フォース(“Five Forces”)の2万5000件、またBCGマトリックス(“BCG matrix”)の5200件よりも多い。学術的な知見に厳密になろうとするほど、成熟した研究分野である多角化の議論が中核となりがちだ。

ただ、前述した通り、多角化戦略で前提とされるような多数の事業領域を抱える大企業は、全体から考えればごく一部にすぎない。日本でも、一部の巨大電機メーカーや総合商社など、数百の関連会社を抱える事業体であれば、そうした議論が中心であっても納得感があるだろう。しかし、多くても3つか4つの基幹事業領域で勝負する中小中堅企業や新興企業などの大多数の組織にとっては、全社戦略で議論すべき、より重要な側面があると私は考えている。

図2に示した全社戦略の要素は4つからなる。その骨格となるのは、「1. 組織ドメインの定義、周知、更新」である。組織ドメインとは、組織の生存領域、生存目的であり、ビジョン、ミッション、バリューとも呼ばれるものである。これを定義するだけではなく、組織内に周知し、状況変化に応じて絶えず更新していくことが重要となる。

その際に見過ごされがちなのが、「2. 全社機能の戦略検討」であろう。全社の方向性を反映して、それぞれの事業の基盤となりうるインフラを構築していかなければならない。これは各事業の基礎体力を築く重要な取り組みであり、おろそかにしてはならない日常業務である。

そのうえで、伝統的な多角化や水平・垂直統合の議論は、「3. 事業領域の管理・再編」で取り扱われる。第1に、自社の事業をどう拡大していくのか、それを産業・市場における領域の拡大、価値連鎖における領域の拡大、地理的な領域の拡大の3つに切り分けて検討する。事業領域が多彩に広がったのちは、当然その無数の事業領域の管理が必要となり、絶え間ない選択と集中、再編が求められることもある。

近年特に重視されるのは、「4. 監査・評価・企業統治」であろう。企業の影響力が増大し、ときにそれが国家の力を凌ぐようになるなか、組織がみずから管理・監督し、事業を独自に評価し、さらには短期的な自己の利益だけではなく、社会厚生を加味した意思決定が行えるように組織整備を行うことが必要となる。これは組織の骨格となる判断基準であり、独立して議論すべき重要事項である。

以下、これらの4つの要素を1つひとつ概観したい。

[注1]国際経営戦略において、同様の試みをIESEビジネススクールのパンカジ・ゲマワット教授が行なっている。Ghemawat P. 2007. Redefining Global Strategy. Harvard Business School Press. 同書は高く評価され、多くのMBA課程で採用されている。

1.組織ドメインの定義・周知・更新

組織経営において、ビジョン(未来像)、ミッション(企業理念)、バリュー(行動基準)が重要であるということは、半ば常識のように語られている。

経営哲学者のピーター F. ドラッカーは、著書『Managing in the Next Society(ネクスト・ソサエティ)』の中で、「未来の社会においては、大企業、特に多国籍企業にとっての最大の課題は、その社会的正当性(Social Legitimacy)、すなわちそのビジョン、ミッション、バリューとなるだろう」(筆者訳)[注2] と語っている。これは組織が社会に存在する上での立ち位置であり、その存在意義でもあり、その方向性を決定づける礎となるものである。

この3つの階層構造を例示すると、ビジョンが実現したい将来の社会像の提示であり、ミッションがその社会を実現するための自社の役割であり、バリューがそのためにどのように行動するかを示したものである[注3]。この3つがすべて必要なわけではない。しかし、比較的規模の大きな企業の情報を参照すれば、少なくともミッションは明確に記載されているだろう。

これらの検討に当たって本当に重要なのは、それを定義してから先の話である。多くの企業の話を聞くと、新入社員研修の訓示で軽く触れられたり、投資家向け説明資料の文言に引用されたりすることはあるものの、それ以上に用いられることはあまりないという。本来であれば、創発的な戦略の形成を助け、また組織内の多様性の緩衝材となりえる組織ドメインが十分に活用されていないのは大きな問題だ。

その問題の源泉は大きく3つある。

1つ目は、定義が曖昧すぎて明確なメッセージとして機能していないケースである。具体的な社名の言及は避けるが「社会をよくする」や「経済に貢献する」など、自社でなくても言える経営理念では、理解はできても行動には結びつかない。

2つ目は、中途半端な周知にとどまっており、それを元にした人事評価基準の作成や社内言語としての浸透の支援、優秀者の表彰、社会貢献など、関連する活動との連携が行われていないケースである。逆に言えば、これらが日常業務の1つひとつの意思決定にまで浸透する企業では、その実践が評価に直結しており、意思決定の場における判断基準として明示的に参照される。

そして3つ目は、適切なタイミングでのこれらの更新が行われないことである。組織の構成員全体で、自社の組織ドメインの設定は適切か、時代を反映しているか、自分たちにとって最適であるのか、これらを絶えず見直す機会を設定していることが重要である。更新は手段であって目的ではないものの、それを見直すプロセス自体が、組織の構成員にとって組織ドメインの役割と意義を再認識させる。結果的に更新されずとも、構成員の理解も深まり、また新鮮となる。

図3は、アマゾンのミッション(企業理念)の骨格の変遷について、SEC filing(10-K)における記述の変化から読み解いたものである。上場時に「オンライン書店」と自社を定義していたアマゾンは、その後、音楽やビデオの販売を急速に伸ばし、さらに小売全般へと事業を広げていった。また2007年からは、これまで暗黙的に「顧客」という名称を使っていたのを、消費者だけではなく、販売業者、開発者も含めて顧客であることを明確化する。さらに2011年からは、コンテンツ生産者も顧客の一部として再定義して、現在に至っている。

図3:アマゾンのミッションステートメントの変遷

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出典:Amazon.com SEC filings (10-K)より筆者作成

アマゾンの事例からも読み取れるように、自社の事業領域の変化に基づいて、それを適切に表現するミッション(経営理念)を柔軟に変化させていくのが理想だろう。1997年の時点で、アマゾンが「地球上で最も顧客中心の会社を目指す」と主張しても、それは大味であり、誰にも相手にされなかったはずだ。しかし、2000年代後半以降、同社の多分野における世界的な躍進を背景として、これほど大きなミッションも適切な指針として評価されるようになった。

組織の構成員の自発的な判断と創造が重要となるからこそ、それらを束ねる組織ドメインは極めて重大となる。国際的に展開し、多様性を内包した組織に成長するほど、それは異なるバックグラウンドを持つ構成員同士が共有する基盤となり、組織ドメインは競争力の要となる。これは全社戦略の骨格として、最重要視する要素である。

2.全社機能の戦略検討

個々の事業の支援を行う各種事業機能の方向性を検討することは、機能戦略と呼ばれている。この機能戦略は、伝統的には戦略の階層構造の下部に位置付けられていた(図4参照)。その理由も歴史的な経緯によってである。

図4:全社戦略、事業戦略、機能戦略の伝統的な階層

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出典:筆者作成

1960年代の経営戦略自体がそうであったように、それぞれの機能の役割に関する議論が未成熟の時期であれば、機能戦略が事業戦略に従属的に存在することは理解できる。この時代ではマーケティングの概念も浸透しておらず、大量生産される商材の多くは標準品が中心であった。そのため、事業機能が組織の競争優位を左右する足腰であるという見方は一般的ではなく、差別化をもたらす源泉とは考えられていなかった。

しかし現代においては、事業機能のそれぞれが、組織の競争力に直結するような重要性を持つ事実が広く認識されつつある。たとえば、「戦略的マーケティング」「戦略的人事」のように、各機能の名称に戦略や戦略的という修飾語をつけ、それらを個々の事業に従属した部品としてではなく、全社の競争優位に資する独立した経営機能として理解する動きが顕著である。

最も重要な機能の1つは、やはり人事だろう。どのような人材を採用するのか。どんなトレーニングを提供するのか。いかなる制度で報酬や昇進を決定するのか。こうした意思決定は、組織の考える未来像、経営理念、行動指針と直結しており、その実現のために中核的な役割を果たす。たとえば、「創発的で自由度の高い、技術が人を幸せにする社会を目指す」という経営理念にもかかわらず、礼儀正しい“就活戦士”だけを採用し、 勤怠管理をガッチリとしながら、年功序列の賃金と昇進で評価していては、目指すべき組織ドメインにはたどり着かない。

人事以外にも、研究開発における基礎研究、全社員が影響を受ける情報システムの設計と運用、各事業が準拠すべき会計基準や経理プロセスの設計は、その優劣が如実に企業の足腰に影響をもたらす。顧客からの問い合わせを受けたとき、瞬時に在庫状況を判別し、価格の見積もりを算出し、配送可能な日数を提供できる企業と、そうではない企業がある。毎月締め日前になると、ほとんどの社員が1日がかりで経費精算や報告書類の執筆に追われる企業と、そうではない企業もある。そして当然、両者の間には大きな格差が現れる。

企業広告や広報渉外といった、より直接的に事業にインパクトをもたらす機能も存在する。企業全体のイメージは採用にも購買にも影響する。さらに、政府、監督諸官庁との関係性によっては、自社の事業は保護されることも、逆に改革の波にさらされることもある。

不祥事や天変地異における危機対応も、全社戦略の要素として勘案する必要があるだろう。特に災害大国である日本に拠点を持つ多くの日本企業は、大災害への十分な備えをする必要がある。もちろん、社員の不祥事や製品の不具合に対してどれだけ迅速に行動できるかは、事業戦略の領域ではなく、全社戦略として取り扱うのが適切なはずだ。

機能戦略は長らく、事業戦略に従属するか、あるいは独立した戦略として取り扱われてきた。しかし、これらは全社の方向性に直結し、全社の競争優位に直接的に影響を与えうる「戦略的意思決定」を多く含んでいる。そのため、機能戦略を全社戦略の重要な要素として取り扱うことで、それぞれの事業の足腰を確実に鍛え上げることができると私は考えている。

3.事業領域の設定と管理

事業領域の設定と管理では、自社の事業の範囲を議論する。伝統的な議論では、「事業の多角化」「垂直統合」「地理的な拡大」は、それぞれ別の文脈で語られることも多い。しかし、これらはすべて事業展開の方向性であり、全社戦略における選択肢である。

図5は、これらの3つの選択肢の関係を示した概念図である。

図5:事業展開の3つの方向性

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出典:淺羽茂・牛島辰男『経営戦略をつかむ』(有斐閣、2010年、p. 160)を参考に筆者作成

事業の多角化、すなわち産業・市場における領域の拡大は、新規事業への参入が典型である。自社が提供していなかった製品・サービス群の提供を開始することで、自社の事業領域を拡大する。大日本印刷が印刷技術を応用して半導体製造装置の開発に乗り出した歴史や、ヤマハが楽器や家具の製造から飛行機のプロペラ、そしてエンジン開発へと事業を広げていったのは有名である。また、アップルがパソコンからスマートフォン、タブレットへと商品群を広げていったのも典型例だろう。

垂直統合、すなわち価値連鎖(バリューチェーン)における領域の拡大は、自社がすでに提供する商品・サービスの付加価値創造の連鎖構造に、関係する他の事業を自社に取り込むことである。古くはヘンリーフォードがT型フォードを生産する際に、ガラスの精製工場や製鉄所までを傘下に収めていた事例がある。現在でも、たとえばアマゾンは、物流網が十分ではない国と地域では自社の配送網を整備している。グーグルが発電事業に参入するのも、莫大な数のサーバー群の稼働に必要な電力を自社で供給することにメリットがあるからだ。

地理的な領域の拡大は、ときに事業戦略を超えて全社の検討事項となる。特に国内の地理的な拡大だけではなく、国境を越えて国外に事業領域を拡大していく際には、単一の事業戦略上の要請だけではなく、全社的な資源配分の調整が必要となる。

この3つの事業展開の方向性は、同時並行で行えないこともありうる。その場合、経営者は選択を迫られる。新たな産業・市場へ事業領域を拡大することは、不確実性の最も高い方向性だが、既存事業のリスクや市場ライフサイクルとは一定以上切り離された事業領域への挑戦でもある。価値連鎖の領域の拡大は、既存事業の競争優位を一定以上活用した展開が可能となる一方で、特定の経営資源を内部に取り込むことで、本業の柔軟性が損なわれる可能性もある。地理的な領域の拡大は、この3つの中では不確実性が最も低い[注5]。

経営資源は限られている。したがって、全社戦略は絶えず選択の連続となる。特に事業領域は、自社が好調であり、成長を志向している限りは、絶えず資源配分の意思決定を継続し続けなければならない。単一事業の競争環境のみによらず、複数事業の集合体である自社の事業領域を再定義し続けることが肝要となる。

事業領域の設定と管理において最も難しいのは、超長期的な時代の変遷に合わせて、どのように自社の事業ポートフォリオを入れ替えていくのかである。

経営戦略の一般的な教科書であれば、BCGマトリックスなど関連する戦略フレームワークに言及しながら、多角化した事業の管理手法を紹介するところである。ただ、その概略は第4回で解説したので、本稿では2つの顕著な事例を紹介したい。

その2つとは、シーメンス(図6参照)とゼネラル・エレクトリック(GE)(図7参照)の事例である。これらの図は、経済産業省の資料に記載されていたものである。それを見ると、中長期的な事業構造の変化を先読みし、15年スパンでの事業構造の変革を実行したことが端的にわかる。以下、それぞれ見ていこう。

図6:シーメンスの部門別売上高の推移

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出典:経済産業省、2016年、「新産業構造ビジョン」 第4次産業革命をリードする日本の戦略 産業構造審議会 中間整理 、p.105より

シーメンスは、2000年代には売上げの5割に満たなかったヘルスケア、工業、電力の事業領域を過去15年かけて着実に積み上げてきた。その過程では、5度にわたる大型の事業売却、2度の事業買収を行い、資金を重点領域に振り替えていった。2000年時点では主力事業の1つであった情報通信とランプ・LED事業はほぼすべて売却され、輸送領域の事業も現在は中核分野から外されている。

興味深いのは、主力事業領域と定義された事業においても、成長可能性に限界があると判断された事業、具体的には工業のITサービス部門(2011年)と電力の原子力事業(2011年)を迅速に売却している点である。大枠の方向性とともに、各事業分野内においても、詳細にそれぞれの事業の将来性を入念に検討していると考えられる。

図7:GEの部門別売上高の推移

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出典:経済産業省、2016年、「新産業構造ビジョン」 第4次産業革命をリードする日本の戦略 産業構造審議会 中間整理 、p.106より

GEにおける、2000年から2015年の事業再編はさらに劇的である。2000年代に至る過程でも、GEは製造業から金融業へと劇的な転身に成功していた。しかし、2000年から2015年に至る過程で、2000年に5割以上の売上に貢献していた金融事業をほぼすべて売却し、そこで得た資金をヘルスケア、航空機、エネルギーの重点3分野に振り向けている。金融事業の売却により一時売上高は大きく減少したが、2016年度の最新の数字はUSD123B(1236.9億ドル)となり、成長軌道に順調に乗っている。

GEは、製造業領域の競争力の衰退を契機に、過去に抜本的な事業構造の転換を果たしていた。今回も、金融危機以降の融資事業における資金供給の困難さの増大、そして、政府規制の厳格化に伴い金融機関として規制対象となる可能性を理解していた。その結果、中核事業である金融事業を売却し、同時に発行済株式の20%に相当する500億ドル規模の自社株買いを実行して、投資余力を回復させる意思決定を行なった。短期的な売上規模の推移ではなく、長期的な事業の永続性を意識したうえで、同時に株主に対しても説明責任を果たす、優れた事業領域の組み替えの事例といえよう。

これは結果論にすぎないため個別の言及は避けるが、産業構造が劇的に変化していく時代、すなわち事業ポートフォリオの動的な組み換えが求められる競争環境において、日本企業は後塵を拝している印象を受ける。

自社事業をよい価格で売れるときには、利害関係者の反対を押し切ることができずに売却できず、全社的に追い込まれてからようやく売却を検討する事例が続発している。そして、土壇場になって1000億円規模の値下げ交渉を飲まざるを得ない状況に追い込まれた企業や、成長余力のある基幹事業を切り売りしながら、未来が見えない状態に落ち込んだ企業がメディアを騒がしている。

日本企業は、多角化した事業の経営管理が未成熟であり、 戦略的に事業領域を管理することに慣れていなかった。その結果、雲行きが完全に怪しくなってから事業売却に迫られる悲しい事態が現在も多く見られる。ただ、第4回でも述べた通り、これは米国企業も1960年代から1970年代にかけて歩んだ道である。彼らも経営資源が無作為に分散する状況を乗り越えて、事業領域の設定と管理、再編のノウハウを蓄えていったのだ。

当然ではあるが、必要なのはそこに教訓を得て、次に活かすことである。

4.監査・評価・企業統治

最後の要素として、これも機能戦略の一部として取り扱われがちであるが、監査・評価・企業統治という側面も、全社戦略の範疇で議論するべき内容と考える。

企業がその活動全般をどのように監督し、また評価するかは、企業の意思決定全般に大きな影響を及ぼす。現代社会において、国境を越えて活動する企業の中には、国家を超える力を持つと言える企業も存在する。そして企業が国家を超えるならば、企業は国家の定める法規制のみに基づかず、自発的にそれを律することで、社会厚生に資する存在となる必要がある。

何を評価し、何を評価しないのか。この価値判断基準の検討に当たって、伝統的な会計数字だけを追うのは不適切である。みずからの組織ドメインに基づいた評価基準で絶えず自己を省みながら、多面的な尺度で自己評価を行うことが求められる。

たとえば、コカ・コーラが自社で消費する最大の資源が水であることを認識し、水消費の効率性を2020年までに2010年の水準と比較して25%削減させる目標を掲げている事例が参考になる。単純なコスト削減ではなく、自社がもたらす社会経済環境への影響を監査し、評価したうえで、それを改善するための目標を提示して実行する。これは、企業活動の自浄作用を促進し、広くは企業社会責任にも通じる。

また、私が英国にいた際、マッキンゼー・アンド・カンパニーの元全世界のトップ(マネージング・ディレクター)であったイアン・デーヴィスが公の場で語っていたが、マッキンゼーのシェアホルダーズカウンシル(経営会議)では、同社の卒業生がフォーチュン500の経営陣として何名在籍しているかを継続的にモニタリングしているという。卒業生が活躍することを組織の健全性の長期的な尺度として、それを評価する。単純な会計指標に基づいた企業活動評価とは異なる尺度を導入することで、その指標が改善するように同窓会組織に継続的な投資を行うなど、短期的な成果に左右されない意思決定が支援されているのだろう。

自社事業を評価する尺度の検討に当たっては、シンプルでわかりやすい尺度を用いることが唯一絶対の正解ではない。一部の企業では依然として、比較的大きなプロジェクトでもNPV(正味現在価値)の計算が申し訳程度に添付されるにとどまり、事業価値評価が前時代的な状態のままの事態が散見されるという。たとえば、特に不確実性が高く、成功の場合にはアップサイドの可能性が極めて高い新規事業領域への投資では、DCF法(割引キャッシュフロー法)での試算よりリアル・オプション[注7]を用いた試算のほうが、(基本的には)事業特性に準拠した適切な投資価値が試算できるはずだ。さらにいえば、有力な競合が数社しかおらず、顧客に提示するパラメーター(価格や品質など)が限られるならば、ゲーム理論などの経済学の方法論も応用できる。

企業内部でどのような尺度を用いて事業を評価するのか。その物差しが前時代的なものでは、戦略は形にならない。こうした評価基準を自社の特性に準じて適切に設計して浸透させることも、当然ながら全社戦略の範疇であると私は考えている。

自社独自の事業実態を監査する体制整備、事業や各種取り組みの評価基準の設定、それらに基づいた企業統治のあり方を議論することが、各種の事業を展開する枠組みとしての、その組織の可能性を左右する。もちろん、監督諸官庁や証券市場など、利害関係者や関係法規制に基づいた諸規約や制度を整備するのは最低限の議論である。地道にも見える諸制度のつくり込みの積み重ねが、全社戦略という曖昧に見える存在に息を吹き込むのではないだろうか。

以上、ここまで社会科学としての経営学の蓄積のみに準拠せず、実務的な視点から、全社戦略の範疇において検討すべき4つの要素を概観してきた。それぞれのうちどれが最も重要であるかは、その会社の置かれた状況、組織の特性、組織ドメインによって異なる。だが、そのどれもおろそかにはできないことは明言できる。

また、前回紹介した戦略フレームワークのいくつかは、4つの要素を検討する際のいずれかに用いることができるだろう。ただし、議論の大前提として、外部環境(第5回)と内部環境(第6回)の解説で触れた各種概念を用いて、自社と、自社が置かれた事業環境を把握したうえでの議論となることは忘れてはならない。

[注2] Drucker P. F. 2002. Managing in the Next Society. Butterworth-Heinemann. p. 201.(邦訳『ネクスト・ソサエティ』上田惇生訳、ダイヤモンド社、2002年)
[注3] ビジョンとミッションが逆に提示されたり、または両者を同一のものと見なしたりする例もある。実際のところ、単一の正解は存在しない。
[注4] 同質的な構成員による事業開発を行なっている企業であるほど、組織ドメインを軽視しがちである。これは憲法のようなものである。構成員全員が信じるべき規範であり、異なる考え方や価値観を持つ多様な人材が集う組織では求心力の要となる。国際化が遅れている日本企業は、この重要性を再認識すべきであろう。
[注5] 第4回で紹介したアンゾフ・マトリックスでは、地理的な領域の拡大を市場浸透という最も基本的な成長ベクトルに位置付けている。
[注6]詳細は、<http://www.coca-colacompany.com/stories/setting-a-new-goal-for-water-efficiency>を参照いただきたい。
[注7]この概要は、早稲田大学入山章栄准教授による本誌連載がわかりやすい。入山章栄, 2015,“「不確実性を恐れない」状況は、みずからの手でつくり出せる”, DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー,August 2015. pp. 124-135.
[注8]たとえば、リアル・オプションとゲーム理論を組み合わせた「オプション・ゲーム」という考え方がある。概要は以下の記事がわかりやすい。ネルソン・フェレイラ, ジャマンティ・カー, レノ・トゥリジオリス, 2009, “オプション・ゲーム 戦略選択の分析手法”, DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー, July 2009, pp. 82-93.

未来の組織と全社戦略

最後に、全社戦略を検討する際に今後大きな課題となる潮流を1つ紹介したい。それは、いま影響力を増しつつある新たな組織形態の成長である。

図8は、近代企業の成長の歴史を振り返ったものである。企業は、その誕生から規模を着実に拡大し、選択と集中の時代を経て、現在は新たな組織形態の可能性を模索し始めている。

図8:近代企業の成長と経営組織の変遷

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出典:琴坂将広, “外部資源活用による事業成長の加速”, 調査月報, 日本政策金融公庫, 2015 Nov. p. 39.

これは1990年代から予測されていることではあるが、より自律分散協調的な、ネットワーク型の組織運営の可能性が幅広い産業で高まっている。それを背景として、「全社」という場合の「全社」が自社のみで適切なのか、という疑問が生じてくるだろう。

古くから、トヨタ自動車を語るのであれば、その系列までを含めて語るべしと言われてきた。トヨタ自動車などの自動車会社の事業力は、本体のみでつくられているのではなく、無数に広がるサプライヤー網によっても磨き込まれてきたからである。今後、複数の企業が協調的に行動することで付加価値創造の連鎖構造を構築する時代を迎えるとき、小規模な企業が大規模な企業群を最大限に活用して世界的な価値連鎖を掌握する時代がやってくるとき、全社戦略のあり方はまた変わらざるをえないだろう。

そうした近未来においては、プラットフォームや、エコシステム、クラスターといった、自社が属する企業グループの塊を意識した戦略構築が重要になるはずだ。そして、みずからの組織が所有する経営資源だけを対象とした議論ではなく、影響をもたらせる経営資源、そして協業する組織や個人の広がりまでを対象とした全社戦略のあり方が求められるだろう。

未来の組織がどうなるかは、まだ誰も知らない。しかし、いま存在する組織の形が、長い歴史的文脈では単なる通過点にすぎないであろうことは、確かである。

さて、今回をもって、経営戦略の骨太の部分を紹介する旅がひと段落する。次回からは、特に戦略の実行という側面に着目し、戦略の実行と浸透にどのような手法が用いられているかを概観する。そのうえで、新興企業の戦略や国際化など、経営戦略をめぐる周辺トピックにも触れていきたい。

【本記事の要点】

・全社戦略で検討すべきは、根源的には戦略的意思決定であり、その骨格はアンゾフの『Corporate Strategy』で十分に議論されている
・事業戦略も、全社戦略も、外部環境と内部環境の分析という部分で大きな重なりがある。また、多くの企業にとって多角化企業を前提とした全社戦略の議論は馴染みがないため、両者は混同されがちである
・経営戦略の一般的な教科書は、社会科学としての経営学の蓄積にできる限り準拠しようとするため、その内容は多角化を骨格としたものとなる
・実務家的な視点から全社戦略に必要な要素を再定義するのであれば、それに必要な要素は、次の4つがある。1.組織ドメインの定義・周知・更新、2.全社機能の戦略検討、3.事業領域の管理・再編、4.監査・評価・企業統治
・未来には、分散協調的に多数の組織体が連携して事業を創造する可能性が高い。その場合「全社」をどう把握し、どう戦略を検討すべきか、新たな議論が必要となる

第9回  経営戦略を実行する: 重要業績評価指標(KPI)の適切な運用

第9回は、経営戦略を実行するうえで欠かせない、数値の管理に焦点を当てる。管理会計と経営戦略は異なる発展を遂げてきたが、その境界は次第に曖昧になりつつある。両者がどのように結びつき、経営の現場ではどのように運用されているのか。また、今後はいかなる発展を遂げる可能性があるのだろうか。

本連載ではこれまで、紀元前から続く経営戦略の歴史、そこから生じた議論の系譜、そして、事業戦略と全社戦略をめぐる現代の理論までを俯瞰してきた。

 ここからはまず、現代における戦略立案および実行の要となる、非財務情報までを含む経営数値の活用を議論する。そのうえで、言語や慣習、属人的つながりを含む組織文化をどう活用すべきかに触れる。さらに、新興企業の戦略と国際的な事業環境について述べ、経営戦略の未来の可能性を概観する予定である。

今回は「数値の管理」を軸とした系譜を概観しよう。これは、経営学の中でも管理会計という分野に位置付けられ、経営戦略とは別に発展してきた理論体系を元にしている。管理会計と経営戦略は、同時期に生まれ、別々の進化を辿ってきたものの、2000年前後を境に両者の境目は次第に見えづらくなっている。

管理会計の潮流からは、非財務的な指標を取り込み、不確実性の高い環境下でより戦略的な意思決定に資するにはどうすればよいかという議論が進展した。一方、経営戦略の潮流からは、創発的な経営戦略を前進させるために、戦略意思決定の場に対して、いかに現場の最新の情報を構造的かつ効率的に届け続けるかが議論されている。これらを背景として、戦略管理会計(Strategic Management Accounting)という研究分野が生まれるなど、管理会計と経営戦略は密接に関連し始めている。

管理会計の詳細な議論に関しては、専門書に譲りたい。本記事では、それが経営戦略との接合点に至るまでの簡単な流れと、現代の経営戦略立案と実行における「数値の管理」の役割について考察する。

経営戦略と管理会計は同時期に生まれた

戦略の実行において、一つの骨組みとなるのが管理会計(Management Accounting)である。これは経営戦略という言葉が一般化するよりはるか以前から、組織運営において極めて重要な役割を果たしてきた。

その体系化の契機となったのは、ロバート・アンソニーの1965年の著作である[注1]。これは、イゴール・アンゾフが経営戦略を体系化し、『Corporate Strategy(企業戦略論)』を出版したのと同じ年であった。

アンソニーによる著作は、複雑化する組織の経営を背景として、アンゾフが戦略的意思決定を体系化した(第4回参照)のと同様に、会計情報の活用の側面から、分権化された組織の計画と統制を発展させた著作であった。だが、同氏により開拓された伝統的な管理会計の議論は、管理会計の役割とは、策定された戦略をいかに実行するかであると理解していた。戦略を実行して得られた数字をどう戦略の策定につなぎ直すかを体系的に議論することは、1990年代に至るまで明確には行われなかったのである[注2]

戦略の実行から得られた各種の経営数値を経営の意思決定の場に提供し、それにより意思決定を促進させる管理会計の手法は、組織の複雑化に伴い持続的な発展を遂げていた。それは、経済成長に伴う企業の大規模化と国際化の流れと符合する。とはいえ、経営戦略との接合という観点から見れば、その発展は、「プラン」としての経営戦略(第2回参照)を支援する経営数字の提供であり、「パターン」としての経営戦略、すなわち創発的な戦略を充分に支援するものではなかった。より創発的な、経営システムを戦略の立案と実行に活用する経営の現場の現実は、経営戦略の領域においても、管理会計の領域においても未発達の状況が長らく続いていたのである[注3]

当時は、貨幣価値により記録される売上や費用は、実際の経営の現場で発生した事実の遅行指標にすぎなかった。そのため、次なるプランを立案する参考情報とはなりえたが、現在進行形で実施されている戦略の方向性に対する意味合いを導き出すのは困難であった。

だが、戦略的意思決定において経営者が最も必要とするのは、より定性的な情報であり、経営の現場において「いま」何が起きているのか、これから何が起きようとしているかを捉えるための先行指標である。さらに、複雑化し、そして変化の速度が早くなった事業環境を背景として、遅行指標とならざるを得ない会計数値ではなく、先行指標となり得る経営数値の有用性を指摘する声が高まっていった[注4]

そうして、財務的指標に過度に依存した議論を展開する伝統的な管理会計の理論体系は、生産現場や業務遂行の助けとしての改善は着実に進んだものの、次第に経営戦略策定の議論においてその役割を失っていたのである。

そこに一石を投じたのが、トマス・ジョンソンとロバート・キャプランである。彼らは、1992年、その著作である『Relevance Lost(レレバンス・ロスト)』[注5]において明確な問題提起を行なった。

戦略と数値をつなぎ合わせる

トマス・ジョンソンとロバート・キャプランは、同じ問題意識を抱えながらも、その後は2つの異なる方向性を作り出していく[注6]

ジョンソンは、経営活動における適切な間接経費の配賦を実現すべく、活動原価計算(ABC: Activity Based Cost)を開発した。これは、より適切な原価管理を推し進めることにより、管理会計の本流を前進させようとする潮流である。一方、キャプランは、管理会計をより戦略的な議論として捉え、管理会計の知見と経営戦略策の知見を融合させるべく、バランスト・スコアカード(BSC: Balanced Scorecard)を提唱した[注7]

BSCは、競争戦略が、マネジメント・コントロール・システムにどのように影響するかを検討する理論体系である[注8]。BSCを代表とするマネジメント・コントロール・システムと経営戦略の結節点にある近年の研究は、生産や販売の現場における非財務的な情報をより重視し、それを組織の戦略策定の中心に位置付けることを志向している。これは、投資利益率(ROI)や経済的付加価値(EVA)に代表される財務指標が過去の短期的な業績を強調するのに対して、将来の業績の先行指標となる非財務的な指標をよりバランスよく、客観的に把握すべきであるという理解が根底にある。

もちろん、経営の現場における非財務的な情報は、それまでも戦略的意思決定の中核に存在していた。しかし、それは経営幹部の直感や暗黙知に昇華されたうえで反映されたにすぎなかったと言える。組織の大規模化と国際化の進行は、そうした直感や暗黙の知識による非財務的情報の把握と管理を次第に困難にした。加えて、財務的な情報に反映されにくい無形資産、知識や技能といった要素が、企業価値の重要な部分を占めるようになってもいた。その結果、戦略的意思決定に資する情報や事実を構造的かつ客観的に取得することが、実務家の間でも強い要請となったのである。

その要請を受け、1990年代半ばからのBSCや統合報告書(Integrated Reporting)を代表とする業績評価、利益計画、組織統制のシステム化の潮流[注9]は、経営と組織を「事実」に基づいて理解し、その「事実」に基づいた経営を目指していた。そして、経営に関する「事実」を多面的に提供することで投資意思決定や利害調整への会計情報有用性を引き上げていこうとする試みは、2000年代に入ってさらに多くの企業が導入を進めている。

なお、ここでいう「事実」とは、第三者からも客観的に評価可能な構造化されたデータであり、金銭的価値に変換された財務的なデータのみならず、金銭価値に変換しにくい、非財務的指標を含むデータであった(表1参照)。

表1:財務的・非財務的指標の例

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出典:出典:ロバート・サイモンズ『戦略評価の経営学』(ダイヤモンド社、2003年、p.77)より。原著最新版はこちら。Simons, R. 2014. Performance Measurement and Control: Systems for Implementing Strategy. Pearson Education.

特にBSCは、財務、顧客、業務プロセス、学習と組織の視点に注目し、その作成の過程を通じて戦略目標の周知連携を行い、経営の上層から下層へと戦略を伝達する「コミュニケーション」を重視した考え方と言える[注10]。北米の管理会計の潮流が、ゲーム理論や契約理論を用いた企業内のエージェンシー問題の分析に焦点を移しつつある一方、BSCはより戦略策定、そして戦略の実行に焦点を移すことで、特に経営戦略の領域において実務家を中心にその応用事例を広げていった。

[注1] Anthony, R. N. 1965. Planning and Control Systems: A Framework for Analysis. Boston: Division of Research, Graduate School of Buiness Administration, Harvard University.
[注2]櫻井道晴『管理会計 第6版』(同文館出版、2015、p. 560-610)、または浅田孝幸・ 伊藤嘉博編『戦略管理会計』(中央経済社、2011年、p.31)を参照のこと。
[注3]経営戦略と管理会計の関係性を示す初期の研究として、以下が参考になる。Simons, R. 1994. How New Top Managers Use Control Systems As Levers Of Strategic Renewal. Strategic Management Journal, 15(3): 169-89.
[注4]たとえば、 Eisenhardt, K. M. 1999. Strategy as Strategic Decision Making. Sloan Management Review, 40(3): 65-72.  は、不確定性が高い現代の市場では、会計数値ではなく、経営数値を用いて戦略を決定するべきであると主張した。
[注5]Johnson, H. T. & Kaplan, R. S. 1988. Relevance Lost: The Rise and Fall of Management Accounting. Harvard Business School Press.(邦訳は『レレバンス・ロスト』〔鳥居宏史訳、白桃書房、1992年〕)
[注6]小菅正伸, 1997, 戦略会計手法としてのバランスト・スコアカード, 商学論究, (45)1: 13-45., p.17.
[注7] 欧米において広く研究が進んだBSCであったが、日本では独自の管理会計体系の発展もあり、その応用は限定的であったという。以下を参考。加登豊「我が国における欧米発管理会計システムの受容・変容・進化」(廣本敏郎・加登豊・岡野浩編『日本企業の管理会計システム』〔中央経済社、2012年、pp. 215-238.〕)。
[注8] Shields, M. D. 2015. Established Management Accounting Knowledge. Journal of Management Accounting Research, 27(1): 123-32., p.127.
[注9]同時並行的に、減損や資産除去、退職給付などの将来予測を含んだ財務的な指標の開発と応用も進んだ。そのため、「レレバンス・ロスト」が叫ばれた時代と比較すると、現代では貨幣価値で記録されているからといっても、必ずしも遅行指標とは言えない状況となっている。
[注10]  Malina, M. A. & Selto, F. H. 2001. Communicating and Controlling Strategy: An Empirical Study of the Effectiveness of the Balanced Scorecard. Journal of Management Accounting Research, 13: 47-90.

バランスト・スコアカードの進化を読む

BSCの概念は、1992年のロバート・カプランとデビット・ノートンの論文[注11]“The Balanced Scorecard – Measures That Drive Performance”(バランスト・スコアカード – 業績を伸長させる経営指標)で公表されている。

この論考の貢献は、経営に関わる各種プロセスを財務的指標だけでなく、非財務的指標からも把握する重要性を説き、そうした指標を企業組織の全域からバランスよく収集する価値を主張したことにある[注12]。ただし、その時点では、非財務的指標をどのように構成してBSCをつくり上げればよいかは不明瞭であった。

この批判に応えるべく、1993年の論文[注13]“Putting the Balanced Scorecard to Work”(バランスト・スコアカードを活用する)では、BSCの活用にあたっては、戦略的成功と紐づいた指標の選択が重要であると理論を補完している。さらに、二人の著者はBSCの応用事例を積み重ね、1996年、『The Balanced Scorecard(バランスト・スコアカード)』[注14]の出版により、BSCを戦略構築と実践の考え方として体系化した。

しかし、純粋な財務情報と異なり、時に数字で表しにくい定性的な情報も取り扱うBSCは、実際の運用が極めて難しく、戦略ツールとしての一般化は困難であった。特に指標の設計においては、個別企業の置かれた状況やビジョンと戦略に基づいてゼロから設計することが求められるため、BSCはその後も数多くの試みにより改善が継続された。

カプランとノートンが2001年に出版した『The Strategy-focused Organization(キャプランとノートンの戦略バランスト・スコアカード)』[注15]は、こうした初期の試みの集大成である。これは特に「戦略マップ」(Strategy Map)という考え方を応用し、BSCの各尺度を、戦略の成果となるべき尺度と、その成果を導き出す尺度との論理的な因果連鎖の構造として理解することを提案している。

同書は「戦略は連続した手続きの一つのステップである」[注16]と表現している。この理解を前提として、BSCは「求められる成果(遅行指標)を導くドライバー(先行指標)を確認し、戦略的な仮説を系統化することで検証可能な一連の因果関係として説明する」[注17]と主張する。

この遅行指標と先行指標の一連の因果関係を単純化すると、図1のような概念図となる。

図1:遅行指標と先行指標の因果関係

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出典:『キャプランとノートンの戦略バランスト・スコアカード』(櫻井通晴訳、2001年、東洋経済新報社、p.109)より

BSCではこのように、事業戦略や全社戦略で描き出されたビジョンや戦略が、財務の視点のみならず、顧客の視点、内部ビジネスプロセスの視点、そして学習と成長の視点と論理的に因果関係が接続される。つまり、構造化され相互に接続された数値が、経営の前線と意思決定の舞台を「事実」で接続するのである。

たとえば、事業成長の結果として、営業利益率の改善を株主に提案したとする。その目標は、利益に対して影響を与える「顧客の視点」から見た各種の指標に落とし込まれる。さらにそれらの指標は、「内部ビジネスプロセスの視点」から見た指標群に落とし込まれ、そして「学習と成長の視点」に分解される。

図2は、そうした数値間の関係を典型的に用いられる尺度とともに簡略化して図示したものである。

図2:各種数値間における因果関係の構造

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出典:筆者作成

これらはもちろん一例にすぎない。しかし、こうした各種指標を相互に接続することにより、営業人員のスキルレベルの学習と成長を把握し、それぞれに対する内部ビジネスプロセス、顧客に対する打ち手が、最終的に戦略とビジョンに至るべく全体の調整が図られる。

経営戦略の実行を担保し、経営の前線における最新の状況を新たな意思決定に反映するため、事業遂行に関連する多様な数値を非財務的な情報まで含めて構造化し、その因果関係を可視化する。この発想の源は、カプランとノートンが調査を開始した1990年当初から変わっていない[注18]。これこそが、バランスト・スコアカードの戦略活用の本質である。

BSCの背景には、予算計画を各種の業績指標で補完することで、財務的な指標では把握し切れず、統制できない活動を管理改善するという思想がある。単に財務的な目標を各部署に割り振るだけではなく、財務的な数値の原因となりうる各種の非財務的な業績指標と組み合わせることにより、より根源的な事業活動の目標設定と管理を可能とし、戦略と数字を結びつけている。

こうした戦略と会計を融合させる考え方は、BSCに限らない。これ以外にも、財務的な指標と非財務的な指標を論理的に接合させることで、経営の意思決定と事業の現場のギャップを埋めようとする考え方はいくつも発展している。

たとえば、BSCの考え方と対照的であり、また特に日本において幅広く認知されているのは、京セラの稲盛和夫氏が提唱している「アメーバ経営」であろう。

アメーバ経営は、本質的には管理会計の発展系と捉えることができる。そこでは、「時間当たり採算」という独自の管理会計の概念を用いる[注19]。「市場に直結した部門別採算制度」に関して、売上や利益を上げるプロフィットセンターのみならず、通常は社内で費用を計上するコストセンターでも徹底的に組織の最小単位で導入することで、「過去の数字ではなく、現在の数字」で把握することを狙った経営手法である[注20]

BSCが非財務的指標を論理的かつ構造的に財務的指標に接続することを目指すのに対して、アメーバ経営は、財務的指標で表しにくい活動までを財務的指標で把握することで経営意思決定の構造に取り込んでいる。こうした考え方は、広義には「ミニ・プロフィット・センター」と言われ、ラインカンパニー制、職場別利益管理制度、グループ経営、ライン採算方式など、性質の異なる事例が数多くある[注21]。また、これらを発展させた組織運営の考え方は「自主管理型組織」とも呼ばれ、ザッポスやエアビーアンドビーなどのスタートアップ企業での採用事例が多い[注22]

それぞれの企業が考案したこれらの経営手法が狙うものは、本質的には同一である。それは「戦略と数字をつなぎ合わせる」という一点に集約される。

数字を活用することにより、形式に囚われない組織構造を実現し、組織の柔軟な変革と迅速な戦略の実践を担保することを目指す。そして、経営戦略の実行を担保する行動(第7回参照)を担保する一つの手段は、このように多面的な数値管理を組織の末端に至るまで張り巡らし、そこで得られた情報を絶えず戦略的意思決定に反映することなのである。

[注11]Kaplan, R. S. & Norton, D. P. 1992. The Balanced Scorecard–Measures That Drive Performance. Harvard Business Review, 70(1): 71-79.
[注12]論文発表から10年前の1983年には、ロバート・カプランは日本や西欧企業と米国企業の格差を理解するためには、非財務的指標を用いた事業理解が必要になるとの論考を2つ出版している。BSCの原点にはこうした問題意識があると考えられる。Kaplan, R. S. 1983. Measuring Manufacturing Performance: A New Challenge for Managerial Accounting Research. The Accounting Review, 58(4): 686-705. Kaplan, R. S. 1984. Yesterday’s Accounting Undermines Production. Harvard Business Review, 62(4): 95-101.
[注13]Kaplan, R. S. & Norton, D. P. 1993. Putting the Balanced Scorecard to Work. Harvard Business Review, 71(5): 134-47.
[注14]Kaplan, R. S. & Norton, D. P. 1996. The Balanced Scorecard: Translating Strategy into Action. Harvard Business School Press(邦訳は『バランス・スコアカード』〔吉川武男訳、生産性出版、1997年〕)
[注15]Kaplan, R. S. & Norton, D. P. 2001. The Strategy-Focused Organization: How Balanced Scorecard Companies Thrive in the New Business Environment. Harvard Business School Press(邦訳は『キャプランとノートンの戦略バランスト・スコアカード』〔櫻井通晴訳、2001年、東洋経済新報社〕)
[注16]Ibid., 日本語訳, p. 103.
[注17]Ibid., 日本語訳, p. 108.
[注18]BSCは、1990年にKPMGの調査機関であったNolan Norton Instituteの調査に原点がある。この調査は、財務指標に依存した成果評価は未来の組織では役に立たず、非財務指標を活用することで組織に隠された成長の可能性を洗い出すことができると考え、その手法を探索していた。
[注19]三矢裕『アメーバ経営論』(東洋経済新報社、2003年)を参照。
[注20]稲盛和夫『アメーバ経営』(日本経済新聞出版社、2006年)を参照。
[注21]櫻井道晴『管理会計 第6版』(同文館出版、2015、p. p729-736.)を参照。
[注22]以下の論考が参考になる。Bernstein, E., Bunch, J., Canner, N., & Lee, M. 2016. Beyond the Holacracy HYPE. Harvard Business Review, 94(7/8): 38-49.(邦訳は以下。「“自主管理”の正しい導入法 ホモクラシーの光と影」, DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー, December 2016, pp.10-28.)

スタートアップの主流はKPI管理

BSCのように比較的網羅的に、企業経営の多面的な側面をバランスよく数値で把握する方策を検討することは、事業環境の不確定性が高く、また組織の形が刻一刻と変化していく急成長企業には馴染まない。よりシンプルかつ、重要な経営指標のみに注力した数値管理を行い、それ以外の要素は機動的かつ属人的に処理することがより効率的となるだろう。

特にスタートアップ企業は、不確実性の高い事業領域において少数精鋭で事業展開を行うため、重要業績指標管理(KPI: Key Performance Indicators)を基軸として事業運営を行う利点が大きい。実際、より創発的な戦略が重要となり、流動性の高い市場環境で経営を行うスタートアップでは、KPIやメトリクス管理(評価尺度管理) 、あるいはKGI(Key Goal Indicators)やSF(Success Factors)という言葉とともに、重要業績指標管理の考え方(以下、KPI管理) が一般化している。

多種多様な経営数値のうち、財務的指標のみに限らず、自社にとって最も重要な経営指標に焦点を当てた経営が望ましいとする考え方は、のちにマッキンゼー・アンド・カンパニーのマネージングディレクターとなる ロナルド・ダニエルの、1961年の記事[注23]に源流がある。ダニエルが“Success Factors”(成功要因)と表現した考え方は、その後、管理会計の原点とも言えるロバート・アンソニーの1965年の著作にも“Key Variables” (重要変数)という表現で取り入れられている。

KPI管理をどのように定義するかは、依然として多様な議論が混在する[注24]。だが、重要数値管理の考え方はどれも、1992年から提唱されたBSCと同様の目的、すなわち戦略と数字をつなぎ合わせることで経営効率を改善するという目的を共有している。

一つ異なるのは、KPI管理は企業業績を示す指標をバランスよく収集・評価するのではなく、業績に最も大きな影響を与える重要な変数群、特に企業業績に対する先行指標に着目し、それを重点的に管理することで経営を効果的に改善する点である[注25]

たとえば、インターネット関連のスタートアップ企業で典型的に用いられるKPIは表2で示されるような指標である。ここでは、顧客関連、サービスや商品のUX関連、財務関連、そして事業の外形的な状況を把握するための指標が特に用いられている 。

表2:スタートアップで用いられるKPIの例

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出典:筆者作成

誤解されやすいが、こうしたKPIを独立した変数として解釈することは誤りである。それぞれのKPIは、自社の事業の特性や、自社の戦略が最重要視する要素に基づいて論理的に接合され、構造化される必要がある。

たとえば、オンライン・レシピサイトのクックパッドは、ユーザーストーリーに基づいたKPIを設定している[注26]。同社では、自社を利用するユーザーの活動を1)記事の発見、2)記事を読む、3)記事の評価、4)記事の回遊、5)サイトの評価の5段階に切り分けている。すなわち、自社の顧客のコア体験を「記事を読む」と定義し、そのそれぞれのステップごとに負うべき指標を設定して、その改善の成果を数字で判断できるように構造化している。

クックパッドはまた、それぞれの各ステップに対して、1)Page view、Unique User、2)スクロール数、読了率、滞在時間、3)いいね数、ツィート数、はてブ数、4)回遊率、5)公式Facebookいいね数をそれぞれKPIとして設定している。そのうえで、個別の改善施策をGithubのIssue機能で管理し、各施策のリリース後には、それぞれのKPIがどう変化したかを即時に確認、検証できる体制を構築している。

このように、それぞれのKPIを独立した変数として扱うのではなく、事業の重要なプロセスの流れの一部として捉えることは、定石として極めて有効である。たとえば、顧客の視点によるプロセスの構造化では、500 Startupsのデイブ・マクルーアが2007年に発表したAARRRフレームワーク[注27]がよく参照される。これは、顧客との関わりを獲得(Acquisition)、活性化(Activation)、継続(Retention)、紹介(Referral)、収益(Revenue)の5段階に切り分ける考え方であり、クックパッドが導入した考え方と同じ方向の構造化といえる。

顧客の視点としてKPIを構造化する以外にも、製品・サービスごとに切り分けたKPIの構造化を進める例もある。また、研究開発を重点とする企業においては、研究員の生産性や活動をKPIの重点項目とする企業も見られる。このように、KPIの構造化には一様の答えはなく、それぞれの企業の戦略とビジョンに基づき独自に編成されるべきである。

KPIによる事業管理とは、事業の根幹を成す事業プロセスを構造的に把握し、その状況を代表できるごく限られた数の数値情報(すなわちKPI)を継続的に収集する経営手法である。KPI管理は、戦略の前線での適切な実行とその継続的な刷新を実現することを目的とする、戦略と数字をつなげる打ち手なのである。

KPI管理のカギは
組織的なすり合わせの継続にある

当然ながら、KPI管理を導入し、それを更新し続けることは簡単ではない。特にKPIの構造化は、担当者一人でも、経営者一人でも行うことができない。KPI管理を導入し、それを継続的に効果的なものとするには、全社的な取り組みが必要となる[注28]。なぜなら、どのKPIを重視するのか、それぞれのKPIをどのように論理的に接合するかは、それぞれの企業の戦略や方針に大きく影響されるからである。

これらをどう構造化するかという議論を取りまとめるには、意思決定と利害に関わる多数の意思を統一する必要がある。KPI管理は、単に論理的に数値を接合するのではなく、意思決定者一人ひとりが合意できる最適な論理構造と、数値のゆらぎに対する正しい理解を醸成することが必要となる。

では、こうした利害の統一をどのように行えばいいのだろうか。

たとえば、オンライン・フリーマーケット・アプリのメルカリは、DAU(1日当たりアクティブユーザー数)、新規インストール数、新規出品数、継続率、出品率、購入率、商品購入金額、新規顧客獲得数、CPI(新規顧客獲得効率)、ROAS(広告費用対効果)、LTV(顧客生涯価値)などの典型的なKPIを採用している[注29]

同社がLTVの改善を目標値としてKPIを再編成しようとしたとき、その構造化をどのように行うかという困難に直面したという[注30]。たとえば、新規ユーザーと既存ユーザーに切り分けるのであれば、その区分(例:常連・初心者)の差異を重要視することとなる。また商品ごとに切り分けるのであれば、その区分(例:高価格/低価格、新品/中古品)が判断の軸となる。したがって、KPIは論理的に正しい因果関係で接合されるだけでは不十分であり、意思決定者の納得感があり、その企業の戦略の方向性と整合性のある構造を持つ必要があった。

メルカリは、こうした論理構造を議論してKPIを構造化するため、取締役、執行役員、プロデューサー、データサイエンティストが集まる1泊2日の合宿を行い、「納得感」のあるKPI管理を完成させた[注31]。意思決定と利害に関わる関係者を一堂に集め、時間をかけて納得感を醸成できるまでとことん議論を重ねることで、数値を経営判断に活用する体制を再整備したのである。

経営陣がトップダウンでKPIを定めてしまえば、その意図が現場に十分伝わらず、また当事者意識を持って担当者がその数字を扱うのは困難であろう。逆に、それぞれの担当者が別々にKPIを検討しては、それらをつなぎ合わせた際の全体像が、戦略とビジョンと同じ方向を向かなくなる危険性がある。

KPIを設定する作業自体が、組織の構成員の方向性を統一させる側面もある。これは、BSCの導入プロジェクトが組織にもたらす影響と似ている。数値を組織に導入する過程そのものが、個々人の中に暗黙的に眠っていた理解や常識が可視化され、組織全体が一つにまとめるのである。

もちろん、どれだけの困難を得てKPI管理を導入したとしても、それは長く続く旅路の出発点にすぎない。KPI管理を実践するうえで、意思決定者と利害関係者の意識をすり合わせる活動は、企業が変化を続ける限り、永続的に継続する必要がある。

2013年に『Lean Analytics』[注32]を出版したアリステア・クロールとベンジャミン・ヨスコビッツは、事業を共感(Empathy)、定着(Stickiness)、拡散(Virality)、収益(Revenue)、拡大(Scale)の5つの段階に切り分ける[注33]。 そして、スタートアップはこの5つ段階ごとに、比較しやすく、理解しやすく、比率や割合で表現される、行動に直結したKPIを選択し、注力すべきだという。

これはすなわち、組織が最重要視すべきKPIは、その状況が変化するたびに変わるため、その変化に合わせて組織はKPI管理を絶えず見直す必要があるという主張である。特に成長する組織では、KPI管理は刷新され続けなければならない。いったん設定したKPIの構造や、その確認と検証のプロセスも、企業のステージが進むごとに見直し、必要に応じて再編成することが求められる。さもなければ、賞味期限の切れたKPIが組織を誤った戦略に導いてしまうだろう。

戦略と数字をつなげるためには、個々の数字の因果を構造的に把握し、それを組織的な取り組みで導入し、さらに継続的に見直すべきである。これは平坦な道のりではない。しかし、それに成功すれば、他者がまだ見ぬ情報を片手に、迅速かつ的確な戦略的意思決定を行うことができるはずだ。

PL責任の明確化と権限移譲

このように、スタートアップ企業のように、限られた事業領域において、限られた人員が事業に関わるのであれば、KPIの論理構造は比較的シンプルな構造に収まる。そこで最も困難なのは、組織を一体にまとめることであり、絶えず移り変わる事業環境と自社の組織構造に対して、適切なKPI管理の刷新を続けることである。

他方、組織がより複雑化し、事業規模が拡大し、複数の事業や無数の製品群を保持する企業となれば、財務会計上の数値と管理会計上の数字をより明示的に切り離し、各事業、機能の責任者が全社の方向性の基づいた意思決定を行うように誘導する必要が生まれる。

コストセンター、たとえば総務、人事、経理の責任を持つマネージャーは、単に自分に割り当てられた予算を消化するという発想ではなく、その予算をより効率的に活用するよう誘引づけられる必要がある。また、プロフィットセンター、すなわち営業部隊やオンラインストア、販売促進に責任を持つマネージャーは、与えられた経営資源を前提としながらも、それを有効活用する施策を提案する義務がある。そして、コストセンターとプロフィットセンターを統合する責任(PL責任)を持つマネージャーは、両者の調整を図りながら、異なる部署間の全体最適と、異なる時間軸間の全体最適を実現する責務を負う。

こうした異なる責任、権限、義務を持つスタッフが同じ方向性を向くために、KPI管理やBSCの一環として設定される各種指標は、適切に各部署、各個人に因数分解される必要がある。優れた実行を伴う戦略は、個々人に対する動機付けまでが一貫している。企業レベルの達成目標が、各事業、各部署、各チーム、そして各個人に落とし込まれ、それらが相互に矛盾しない。そして、各人がその目標の意義を十分に理解し、また達成を現実的な目標として意識することができている。

各事業、各機能ごとにPL責任を明確化させることは、単に利益計画を達成し、内部統制を補完することが目的ではない。より重要なのは、各事業、機能、個人の業績を評価し、その評価の枠組みを持って行動を一定の方向に動機づけすることである[注34]

高業績を上げる多国籍企業(例:アップル、レノボ、ユニリーバ、P&G、BP)の多くは、全社の目的と整合性のある動機付けを組織に整備するため、期待された成果を達成できる経営幹部に高額の報酬を支払い、短期間で責任ある立場に昇進させる仕組みを整備している。その報酬体系も、業績に関係なく支給される固定報酬よりも、短期・長期の業績を反映するインセンティブが手厚く支給される設計となっている[注35]。もちろん、期待された成果を上げることができなければ、躊躇なく解任されたり、報酬が引き下げられたりする前提のうえである。

何もしないことが最大のリスクとなるため、こうした条件に置かれた経営幹部は、好調時には積極的に未来に向けた投資を行い、逆に不調時には数字を達成するために可能なあらゆる手段を検討する。当然、成果主義を追い求める副作用があるかもしれない。また、業績不振時にも高額の報酬を受け取ることが問題視される事例も散見される。しかし、数多くの高業績を上げる企業が、明確な成果指標とそれに紐づいた報酬体系により優秀な人材の活用に成功しているのは事実である。

ただし、単に網羅的かつ構造的に、KPIをそれぞれの部署や個人に割り振るだけでは、全体最適の達成に必要な機動的な行動を各個人が果たせなくなる可能性がある。特に、突発的な事象や不確実性の高い事案に対しては、経営陣や本社の主導において機動的にKPIを調整するか、KPIの範囲外から必要な経営資源を投下することが効果的である。

社名は控えるが、経済危機や天災が発生した際に、本社予算を機動的に活用し、競合他社が予算を縮小して販売促進を自粛するなかでも、格安の広告媒体やがら空きの店頭に商品を流し込むべく準備を重ねる企業がある。企業買収のための資金や事業開発のための資金をあらかじめ本社に蓄積し、その獲得に向けて各事業部の創意工夫を競わせる企業もある。戦略的な商品の世界展開のため、各リージョンのPL責任とは切り離して、戦略的な商品の広告宣伝費を配分する企業は多数ある。あえて研究開発予算と人員に余裕を持たせ、それぞれの研究部隊が自由な発想で製品開発に臨めるよう配慮する企業も多い。

重要なのは、BSCやKPIで定義される業績指標を、論理的に組織と個人に割り振ることだけではなく、その配分がカバーできない不確実性や創造性を担保すべく、機動的な予算やその他の経営資源を活用する体制整備である。論理的かつ構造的に設計された数値管理の枠組みと、ビジョンと戦略に基づいて柔軟に活用される経営資源の存在、その両者が揃うことで、複雑化した事業環境における不確実性下において、大規模な組織が繁栄することができるはずだ。

[注23]Daniel, D. R. 1961. Management Information Crisis. Harvard Business Review, 39(5): 111-21.
[注24]KPI管理の諸説や定義に関しては以下の論文が参考になる。徳崎進. 2015. マネジメントにおけるKPIの意義を再考する : 文献研究を基礎として. ビジネス&アカウンティングレビュー, (16): 17-36.
[注25]経営改善以外に、企業のIR活動の一環として、企業経営の現状を効果的に投資家に伝達する手段として用いられることも多い。以下を参考。PricewaterhouseCoopers. 2007. Guide to Key Performance Indicators – Communicating the Measures that Matter. PricewaterhouseCoopers LLP.
[注26]以下を参照。http://techlife.cookpad.com/entry/2015/11/23/110000.
[注27]以下を参照。http://500hats.typepad.com/500blogs/2007/06/internet-market.html.
[注28]BSCの導入においても、そのKPI設定には経営上層部の関与が重要であると言われている。
[注29]以下参照。http://www.smartnews-ads.com/post/2016-03-16-marketing-interview-mercari/; http://www.sbbit.jp/article/cont1/30300;  http://mercan.mercari.com/entry/2016/06/08/123000.
[注30]以下参照。 http://mercan.mercari.com/entry/2016/11/22/110000.
[注31]Ibid.
[注32]Croll, A. & Yoskovitz, B. 2013. Lean Analytics: Use Data to Build a Better Startup Faster. Sebastopol, California: O’Reilly.(邦訳は『Lean Analytics』角征典訳、オライリージャパン、2015年)
[注33]共感は、解決すべき問題を明確化し、その解決策を見出す段階。粘着は、少数の初期の顧客に対してサービスを作り込む段階。拡散は、より大きな顧客層にサービスを売り込む段階。収益は、事業のマネタイズに取り組む段階。そして、拡張は、事業の拡大に取り組む段階である。
[注34]KPIやBSCで定義される業績目標の適切な構造化と配分以外にも、個々人のインセンティブの設計には考慮すべき要素が多数ある。以下を参考されたい。ロバート・サイモンズ『戦略評価の経営学』(伊藤邦雄訳、ダイヤモンド社、2003年、pp. 287-320.)。原著最新版は以下。Simons, R. 2014. Performance Measurement and Control Systems for Implementing Strategy. Pearson Education., pp. 230-254.
[注35]以下の資料が参考になる。経済産業省, 2015, 日本と海外の役員報酬の実態及び制度等に関する調査報告書, http://www.data.go.jp/data/dataset/meti_20150706_0307.

数値管理のフロンティアはどこに

これまで述べてきたような数値管理を最大限に活用しようとすると、その限界として立ちはだかるのが、取得しにくい数値の存在である。特に非財務的な情報を扱う際には、数値として取得しにくいものの、戦略的に重要な数値をどのように手に入れるかが勝負の分かれ目となる。

インターネット関係のスタートアップであれば、自社の製品やサービスが常時ネットワークに接続された端末で展開されていることが大半であるため、多種・多様なデータを取得することが比較的容易にできるだろう。また、営業部隊やコールセンター、サポートスタッフなど、人間が情報を取得して入力できる体制を整備できる事業構造であれば、他の用務の合理化によって余裕時間を生み出し、それにより必要なデータの収集・入力を依頼することが可能だ。

しかし多くの場合、最も重要な情報は定性的であり、また個々人の暗黙的な理解の中に存在している。そのため取得は困難であり、また取得の場合のコストも膨大となる。こうした無形資産に分類される知識や能力、さらには感情や人のつながりをデータで理解することは極めて難しい。したがって、もし競合よりも効率的に情報を収集し、それを活用することができれば、飛躍的に自社の競争力を高められるとも言える。

KPIは、伝統的にはSMARTの頭文字をとって、明確で(Specific)、計量できる(Measurable)、権限移譲が可能な(Assignable)、実現可能であり(Realistic)、期限が設定された(Time-related)ものであるべきでだと考えられてきた[注36]

だが、SMARTは元来1981年に提唱された概念である[注37]。それから35年以上が経過したいま、技術進化と競争の激化により、明確で計量できる定量的に把握しやすい数値のみを捉えていては、競争に立ち遅れる時代となりつつある。現代において本質的な差別化を実現するデータは、実際のところ明確ではなく、計測が難しく、責任者が定義しにくく、収集が困難で、絶えず継続的に管理し続けなければいけないデータではないだろうか。

たとえば、ホテルチェーンのリッツ・カールトンが名声を築いた背景には、顧客データベースの活用がある。同社では、ホテルのスタッフが顧客と話す際の1つひとつの顧客のコメントに耳を傾け、顧客の情報をあらゆる角度から収集していた。それを当時はまだ未成熟であった顧客データベースに入力し、顧客に関わる全スタッフがそれを参照できるようにしたことで、顧客一人ひとりの好みを反映したパーソナルサービスの提供を実現した。これがリッツ・カールトンの名声につながり、小規模ホテルチェーンであることの不利を挽回させたのだ。

現代においては、ネットワークに接続された小型センサーを活用して幅広い環境情報を取得することや、これまでに活用されてこなかった未整理かつ大量のデータを深層学習によってシステムに自律的に解釈させることが、現実的な費用、時間、労力で可能となりつつある。IoT、ビックデータ、人工知能と呼ばれるような技術トレンドは、着実に経営の現場に浸透しつつある。リッツ・カールトンが情報を武器に既存の高級ブランドの序列を突き崩したように、こうしたデータを活用する企業が、新たな勢力として台頭する可能性があるだろう。

少なくとも、こうした新たな技術を活用し、数値と戦略を結びつけることが、避けては通れない未来が刻一刻と近づいている。

***

さて、次回は定量化が議論となる数値管理とは裏側にある、組織文化、組織フィールド、センスメイキングなどの定性的な議論を取り扱う。組織の慣習、文化、常識、非公式のつながりを意図的に設計し、そしてそれらを醸成することも、戦略家にとって欠かすことのできない日常業務である。戦略を浸透させるうえで不可欠なこうした要素を、どのように議論すべきかを考えたい。

【本記事の要点】

・管理会計は、経営戦略と同じく、1965年の書籍によって体系化された
・1990年代に管理会計と経営戦略の距離が大きく縮まった
・BSCやKPIの議論が、非財務的情報を財務情報と接合したことが転換点となった
・BSCが組織の全容を明らかにするのに対して、KPIは重要指標に焦点を当てる
・BSCもKPIも、その導入に当たっては全社的な取り組みが必要
・BSCもKPIも、事業環境や組織構造の変化に合わせ、継続的な刷新が必要
・複雑化した巨大組織では、各種指標を各事業、機能、チーム、個人に因数分解する
・突然の変化に対応すべく、ときには本社主導の機動的経営資源投入も求められる
・論理的かつ構造的な数値管理と、柔軟で機動性ある資源投入の両立が成功には不可欠

[注36]これは、1981年のジョージ・ドランの解説を元にしているが、これ以外にも多様な頭文字の解釈がある。たとえば、Mを「誘引づけられた(Motivating)」、Aを「合意された(Agreed)」や「到達できる(Attainable)」、Rを「関連した(Relevant)」、Tを「追跡可能な(Trackable)」とするものがある。
[注37]Doran, G. T. 1981. There’s a S.M.A.R.T. Way to Write Management’s Goals and Objectives. Management Review, 70(11): 35.

第10回  経営戦略を浸透させる: 人間への理解がもたらす組織の前進

第10回は、人間の本質をより深く掘り下げる。「人間は合理的である」という前提に疑問を投げかけることで、経営戦略を現実の組織でいかに浸透させるかの議論を進める。

前回は、数値管理をどのように考えればよいかについて、管理会計を源流とする考え方からひも解いた。これは全社の目標を財務的、非財務的数値に落とし込み、それを因数分解して組織の隅々まで接続することで、数字を軸に組織を一体化させることを目的としていた。

今回は、もう少し「人間」に着目してみたい。経営戦略を実行するのは、最終的には(いまのところ)人間である。我々がどのような意思決定を重ねているのか、そして、それをどのように方向付ければよいかを考えることから、経営戦略を浸透させるために必要な土台、土壌について議論する。

ただし、それはあまりに深遠なテーマであり、すべてを語り尽くすことは不可能である。今回はあくまでその導入として、組織を研究する際に理解すべき基本的な概念に触れ、近年研究が進むセンスメイキングや新制度派組織論などを簡潔に紹介する。そのうえで、マネジメントからリーダーシップにその焦点が移り変わる、現代の組織管理について考えたい。

完全に合理的な意思決定はできない

人間は、みずからの行動をどのように決定するのだろうか。この根源的な問いに対しては、さまざまな角度から多様な調査研究が進んできた。

前回紹介した管理会計の系譜とともに、戦後、急速にその研究が進んだのが、組織論や組織行動論と呼ばれる研究領域である。これは組織が人間の行動にどのような影響を与えるのか、また反対に、人間の行動の集合体である組織がどのように行動するかを探究する学問領域である。

この研究の最初の礎を築いたのは、経営学のみならず、多様な研究領域に影響をもたらした、ハーバート A. サイモンの論考であろう。サイモンはそれまでの経済学が前提としていた「合理的」な人間像を現実に照らし合わせて発展させた。

遡れば、第3回で紹介したフレデリック・テイラーや、エルトン・メイヨーの研究は、このさらに上流に存在する。同様に、チェスター・バーナードによる『The Functions of the Executive(経営者の役割)』(1938)[注1] は、経営組織を個人の協働によるシステムとして捉えた優れた作品であり、サイモンの理論構築に大きな影響を与えている。

サイモンが1947年に出版した『Administrative Behavior (経営行動)』[注2]は、彼の博士論文を原典として、それ以降における、自身の研究の礎となる作品であった。この作品は、人間が「合理的」であることは否定しないものの、人間は完璧ではなく、その認知能力、処理能力、持てる時間に制限が存在するがゆえに、人間は限られた合理性しか持ちえないと説明する。

これは「限定合理性」と呼ばれる人間の一つの本質である。彼はこの概念を主軸とした組織の意思決定プロセスの研究などから、1978年にノーベル経済学賞を受賞している。

サイモンは、これまでの組織行動に関する議論が、人間一人ひとりの意思決定の特性を十分に勘案しておらず、また、それぞれにおける相互の関係の分析が、職能や権限により規定される公式の組織構造の分析に過度に依存していると批判した。

彼は、組織を限定合理的に行動する人間が役割を分担して相互関係を持つシステムと捉えた。その行動は、人間の意思決定の特性と、相互の関係の特性に左右されると主張する。つまり、人間は完全に合理的な意思決定をすることはできない。限られた時間で、限られた情報を前提に、しかし合理的に最善な答えを探し求める。人間は最高の答えに至ることはできず、常に最善な答えをもとに行動を決めているという。

また、人間同士の関係はそれぞれのコミュニケーションと関係のパターンによって確立され、公式の組織構造のみでは、その特性を完全に捉えることはできない。組織の行動はより複雑な調整のプロセスにより決定されており、その調整のプロセスが個々人の意思決定を統合し、より高次元の意思決定を可能にするとサイモンは言う。

サイモン自身も、合理性では説明しがたい要因が人間の行動に影響を与えることは否定していない。心情であったり、倫理観であったり、そうした価値的な要素も、人間の日常の行動には大きな影響を与えうる。しかし彼は、組織に所属し、その枠組みの中で活動する人間は、組織がその行動を制約するがゆえに、より合理的に行動する人間となるという。

すなわち、経営人あるいは組織人としての人間の行動は、一定の合理性の上に成るという解釈が可能である。組織は人間の合理性の土台となる。組織の諸制度が個人の価値的な要素を束縛し、個人の行動の選択肢を制約する。さらに、多数の人間による調整のメカニズムが、個々人の価値的な要素を相互に中和することで、組織内の個人の集団は限定合理性を持つ意思決定を下すようになる。

この前提に立てば、経営者の重要な役割の一つは、経営戦略を実行に落とし込むために、自社の組織に参画する人々が、限定されているとはいえ、合理的な意思決定の結果として、組織の目標達成に資する意思決定と行動をとるように組織を整備運営することである。

第7回で議論したように、実行と成果に至らない経営戦略に意味はない。したがって、人間の集合体である組織をどう方向づけるかは、経営戦略の領域でも大きな関心事である。こうした人間の行動の特性を理解せずして、経営戦略の実行は成果に結びつかない。

現代の経営戦略は、サイモンが議論したような組織内部の特性までを取り扱う。実行と成果につながる経営戦略の特性を探究し続けた結果、その研究の潮流は、戦略と組織の接合点までを扱うようになったのである。

事実、“Microfundations of Strategy”(経営戦略のミクロ的な土台)と呼ばれるような、組織内における個人の行動や個人間の協業に関して、経営戦略を理解するために研究する潮流は、2000年代から大きく広がりを見せている[注3]。これは経営戦略研究の学会である「ストラテジック・マネジメント・ソサエティ」のカンファレンスのテーマとなるなど[注4]、多様な研究者を惹きつけている[注5]

このように経営戦略研究も、組織内部の要因や、個人の特性を無視できない時代を迎えたのである。

エージェンシー理論は何をもたらしたのか

一定の合理性を持つ人間の組織内の行動を分析し、その行動特性を理解することから組織運営の最適解を導く。

それをどのように行えばよいかは、多様な角度から探究されてきた。特に、限定合理性を持つ人間という前提から、この問いを探究する最も大きな潮流は、エージェンシー理論であろう。

エージェンシー理論は、経営組織をそれに参画する主体同士による契約関係の集合体と捉える。この理論は、当初、株主と経営者の関係[注6]を取り扱うことから形成が進んだが、現在では、経営者と従業員の関係[注7]や従業員同士の関係、そして、その他の利害関係者との関係性までを取り扱う理論体系へと成長している[注8]

この理論は、プリンシパル・エージェント理論と呼ばれることもある[注9]。なお、委託する主体をプリンシパル、委託される主体をエージェントとして、この両者の関係をエージェンシー関係と呼ぶ。

エージェントはプリンシパルに対して特定の業務を行う契約を結ぶが、必ずしもこの両者の利害が完全に一致するとは限らない。また、プリンシパルとエージェントが持つ情報量には格差が存在するため、より多くの情報を持つ主体は、より情報を持たない主体に対して優位に立つ傾向がある。そのため、この両者の契約に伴って各種の問題が発生する可能性が生じ、それに伴う費用が経営組織の形態に影響を与えると説明する。

たとえば、エージェンシー理論で頻繁に扱われる問題は、アドバース・セレクションやモラル・ハザードと呼ばれる。アドバース・セレクションとは、エージェントが不都合な情報を開示せず、プリンシパルがそれを知らずに不都合な契約関係を結んでしまう問題である。モラル・ハザードとは、プリンシパルがエージェントの行動を完全には管理監督できないことから、エージェントがプリンシパルにとって不都合な行動をとる問題である。

経営者は、できる限り従業員に働いてもらいたい。しかし、従業員は必要以上に働きたくはない(利害の不一致)。経営者は、できる限り従業員の業務を管理しようとする。一方で、従業員の行動を完全に把握することは難しい(情報の非対称性)。経営者は、できる限り売上と利益を成長させたい。しかし、従業員は予算を達成すればそれ以上に努力をしたくはない(利害の不一致)。経営者は、膨大な数値情報を限られた時間で処理しなければならない。一方で、本当に重要な現場の情報は一人ひとりの従業員が握っている(情報の非対称性)。

エージェンシー理論は、組織運営において避けて通ることのできないこうした問題の悪影響を、モニタリング(管理)とインセンティブ(報酬)の二つの側面から軽減しようと説明する(図1)。

図1:エージェンシー問題への対処例

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出典:筆者作成

単純化すれば、モニタリングは情報の非対称性を軽減させる取り組みであり、インセンティブは利害の不一致を軽減させる取り組みである。これは、前回解説したバランスト・スコアカードや、KPIの設計と運用にも通じる要素がある。モニタリングにしても、インセンティブにしても、ある程度以上を仕組みに落とし込み、それを組織的かつ継続的に行うことで、合理的に行動する人間の特性を組織的に誘導することが一定程度は可能となる。

もちろん、モニタリングの仕組みも、インセンティブの仕組みも、組織が目指す方向性にひも付いていなければならない。社員一人ひとりを信頼でつなぐ組織を目指しているのに、過度に社員の行動を管理し、日々の行動を報告させるような組織では、社内の信頼はなかなか醸成されない。顧客満足度を最優先にしているというのに、勤怠評価や報酬制度が売上げのみにひも付いているのであれば、顧客満足度をないがしろにして売上げを追い求める社員が増えても不思議ではないだろう。

限定的であるにせよ、人間が合理的な選択をして、行動をとることを前提とするのであれば、当然その組織のあり方も、組織の構成員が経営戦略の方向性に照らして合理的に行動する形へとつくり変えていく必要があるのだ。

[注1]邦訳は、『経営者の役割』(山本安次郎・田杉競・飯野春樹訳、ダイヤモンド社、1956年)
[注2]邦訳は、『経営行動』(松田武彦 ・二村敏子・高柳暁訳、ダイヤモンド社、1989年)
[注3]Foss, N. J. & Pedersen, T. 2016. Microfoundations In Strategy Research. Strategic Management Journal, 37(13): E22-E34.
[注4]https://copenhagen.strategicmanagement.net.を参照されたい。
[注5]Felin, T., Foss, N. J., & Ployhart, R. E. 2015. The Microfoundations Movement in Strategy and Organization Theory. Academy of Management Annals, 9(1): 575-632.
[注6]Jensen, M. C. & Meckling, W. H. 1976. Theory of the Firm: Managerial Behavior,. Agency Costs and Ownership Structure. Journal of Financial Economics, 3(4): 305-60.
[注7]Ross, S. A. 1973. The Economic Theory of Agency: The Principal’s Problem. American Economic Review, 63(2): 134-39.
[注8]Jensen, M. C. 2000. A Theory of the Firm: Governance, Residual Claims, and Organizational Forms. Harvard University Press.
[注9]厳密には、株主や債権者などの外部者と経営者との関係性など、企業の所有権の実態に主眼を当てて研究する系譜を実証的エージェンシー理論と呼び、企業内部における経営者と従業員など、より一般的な主体間の関係性に主眼を当て、より数学的に議論を行う系譜をプリンシパル・エージェント理論と呼ぶことで、両者を区別することがある。

人間の非合理性をも理解する

「人間は合理的である」

これを前提とする組織研究は、長らく大きな潮流を形成していた。しかし、特に近年、人間が合理的に行動することを必ずしも前提としない考え方が、少しずつその勢力を増してきている。

これは当然の流れかもしれない。人間は一定の制約のうえで合理的であるという前提が生み出されたのは、いまから70年も前である。世界はそのとき、第二次大戦の混乱から完全には回復していなかった。超大国・米国は経済発展の真っ只中にあったものの、経営組織のあり方は現在とは大きく異なっていた。

当時は、いまよりも単純な生産工程であり、知識労働に従事する人の数も限られていた。ホワイトカラーと言われるような中間管理職の数もいまほど多くはなく、何よりも、産業構造が現在と比較すれば安定的であった。競争優位が短期間しか持続せず、情報通信技術や生産販売運送技術の進化によって意思決定とその実行が迅速化され、絶えず事業領域の変革と製品・サービスの刷新を求められる現代の競争環境に比較すれば、変化と確信を求められる厳しい経営環境ではなかった。

何よりも、第二次世界大戦中に急速に活用が進んだ統計や確率の手法は、人間が限定合理的であるという理解と同じ方向を向いていた。こうした手法はオペレーションズ・リサーチとも呼ばれ、戦中から生産工程での生産性や品質の向上、船舶や航空機の航路選択、戦術目標の数値的評価に大いに活用された。

こうした統計や確率論的な考え方は、特にジョン・フォン・ノイマンとオスカー・モルゲンシュタインが最初に定式化した期待効用[注10]と合わせて、不確実性の高い現実世界における人間の行動も、統計と確率の概念を応用することで「合理的である」と説明できる可能性を提示したのである。

こうした時代背景を前提とすれば、組織運営において少数の人間に自由と発想、変革の機会を与え、組織全体の運営をより科学的、合理的に理解し、それに基づいて設計することも不思議ではなかった。サイモンやノイマン、モルゲンシュタインが人間の合理性を探究した時代は、たしかに合理性が説明力を持つ時代であった。

では、人間は本当に合理的な意思決定をするのだろうか。

第二次世界大戦の終結から四半世紀を経て、1970年代から、「人間は本当に合理的な判断をしているのか」に関する研究が盛んに行われるようになる。そして、この人間の心理的な側面に光を当てた研究の潮流は、1970年代の終わりにはプロスペクト理論[注11]などの理論体系の確立につながる。

その第一人者として知られるのが、ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーである。2人は1969年の終わり頃から共同研究を始めると、次第に、人間が確率や統計に基づいた意思決定をするという前提は、特に不確実性の高い状況では当てはまりにくいと確信を深めていく。

彼らは、人間はごく少数のヒューリスティック、すなわち経験則、または意思決定の近道に頼っており、ときにそれが合理的な判断につながることもあれば、反対に、連続的かつ深刻な誤りにつながることもあると主張した。これは当たり前のようにも思える。自分自身や、自分の周囲を見渡して、できる限りの情報収集をしたうえで、確率や統計の発想を用いて合理的な判断を下そうとする人間はどれだけいるだろうか。現実には、その場の思いつきであったり、過去の経験であったり、自分の好みで意思決定が下されることは多い。

できる限りの情報を入手したうえで、理論や論理的思考法に基づいた合理的な判断を下そうとする社員もいるだろう。その一方で、自分自身の成功体験に基づき、偏見を恐れずにそれにこだわる社員もいる。もちろん、そのどちらにも分類しえない、いわば「直感」で意思決定を進めていく社員もいるだろう。

実際には、人間が合理的に判断を重ねていくと理解するべきなのか、それとも自身の経験の積み重ねや意思決定の近道から判断を重ねていくのか、どちらを優位とするかは学術的な決着はついていない。ここで重要なのは、組織は合理性が支配する人間だけで構成されているわけではないという理解である。一人ひとりが客観的に見て合理的な意思決定ができるわけではない。組織設計の基本は合理性にあるが、それだけでは優れた組織にはつながらないだろう。ときに合理的とは思えない人間の行動をどう誘導するか、それを考え抜くことが、特に不確実性の高い環境では有効となる。

表1は、こうした議論を整理したものである。

表1:人間はどのように意思決定するか

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出典:Fox, J. 2015. From “Economic Man” to Behavioral Economics. Harvard Business Review, 93(5): 78-85., page 85.(邦訳は以下。フォックス、意思決定の仕組み:フォン・ノイマンからカーネマンまで、DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー, March 2016, p.113) などを参考に著者作成

人間の意思決定を大別すると、限定合理性と期待効用で説明しやすい意思決定、ヒューリスティックとバイアスで説明しやすい意思決定、直感で説明しやすい意思決定という、3つのタイプに区別できる。

限定合理性と期待効用で説明しやすい意思決定は、エージェンシー理論で扱いやすい問題であり、数値管理を中核としたバランスト・スコアカードやKPIの実践により、ある程度までは誘導しうる。

より難しくなるのは、ヒューリスティックやバイアス、直感に基づいた意思決定をどう誘導するかである。それを単に組織内の雑音と捉えるのか、それとも、社員のそうした特性をまでに一定の方向性を与えようとするのか、ここに一つの大きな挑戦が存在する。こうした困難の存在こそが、前述した「経営戦略のミクロ的な土台」のような研究潮流の直接的な源流なのである。

もちろん、あるべき理想は、人間のヒューリスティックやバイアスをも経営戦略の方向性に誘導することである。だからこそ、これは一つのフロンティアとして、数多くの多様な研究者を惹きつける研究課題である。

センスメイキング理論は何をもたらしたのか

特にヒューリスティックとバイアスの知見は、心理学の知見として経営学に最も大きな影響を与えたとも言われる、センスメイキングの理論にも密接に関わり合っている。

センスメイキング理論は、『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』本誌の早稲田大学・入山章栄先生の連載でもすでに紹介されているが、「組織のメンバー・周囲のステークホルダーが事象の意味について納得し、それを集約させるプロセス」を探究する理論体系である[注12]

センスメイキング理論は、カール・ワイクによる1995年の著作[注13]以降、急速に発展した[注14]。この理論は、ヒューリスティックやバイアスの議論と同様の人間像を背景に構築を進める。単純化すれば、人間一人ひとりが持つこの世界に関する主観的な理解が、その人間の行動を色濃く左右するという理解である。つまり、人間は唯一絶対の客観的な理解に至ることはなく、その合理性は、それぞれの独特な解釈や固有の世界像に影響されるという前提に立つ。

人間は周囲の環境を感知し、その環境を解釈し、自己の行動を決定している。何もしなければ、その感知、解釈、行動はそれぞれにおいて多義的となる。すなわち、個人の集団のベクトルは一つに定まらない。

ある人間にとっては、売上げ10%増は十分な成長率であろう。しかし、別の人間はそれを失敗として解釈する。ある人間は従業員の幸せを最重要と考え、ある人間は組織の成長を最重要と考える。センスメイキング理論は、合理性には多様性があり、人間は唯一絶対の価値判断基準で行動するわけではないと考える。

特に現代社会においては、各人は知性を有し、相応の思考、哲学、判断力を持つようになってきている。少なくとも70年前に比べれば、知的労働者の比率は著しく増加しており、教育水準も極めて高くなっている。個人が入手できる情報源も多種多様となり、人と人をつなげる社会的なネットワークも、情報通信技術の発達により地理的な制約を超えるようになってきた。

こうした経営環境においては、個々人の多様性を前提とすること、すなわち個々人の認知と解釈が多義的であることを前提として組織を設計し、運用することが重要となるだろう。この傾向は、企業の生産と販売の活動がより複雑化し、付加価値創造において知的生産活動が占める割合が急速に高まったことも後押ししている。また、特に不確実性が高く、刻々と状況が移り変わる競争環境においては、客観的な情報を背景として、組織内の一人ひとりの合理的な判断と行動を期待することが、非効率どころか非現実的となることすらある。

したがって、センスメイキング理論に関係する諸研究は、組織の構成員をどう納得させるか、説得するかを探究する。それは、それぞれが客観的に状況を理解し、合理的に判断してもらうことを必ずしも期待するものではない。重要なのは、組織の構成員が行動することである。目標に資する行動がとられるのであれば、論理的、合理的な理解は必ずしも必要ではない。

それぞれの構成員が、それぞれの独自の判断軸で、ヒューリスティックに、ときにはバイアスに基づいて判断することも、彼らが納得し、説得されるのであれば何ら問題はないのである。

[注10]Von Neumann, J. & Morgenstern, O. 1947. Theory of Games and Economic Behavior, 2nd Edition. Princeton University Press.(邦訳は『ゲームの理論と経済行動』〔銀林浩・橋本和美・宮本敏雄監訳、東京都書、1972年〕)
[注11]Kahneman, D. & Tversky, A. 1979. Prospect Theory: An Analysis of Decision under Risk. Econometrica, 47(2): 263-91.
[注12]入山章栄, 2016, “「未来は作り出せる」は、けっして盲信ではない”, DAIMONDハーバード・ビジネス・レビュー, October 2016, pp. 126-136, p. 127.
[注13]Weick, K. E. 1995. Sensemaking in Organizations. Sage Publications.(邦訳は『センスメーキングインオーガニゼーションズ』〔遠田雄志・西本直人訳、文眞堂、 2001年〕)
[注14]Maitlis, S. & Christianson, M. 2014. Sensemaking in Organizations: Taking Stock and Moving Forward. Academy of Management Annals, 8(1): 57-125.

組織のトップは
構成員をどう誘導すべきか

では、組織の構成員の行動がヒューリスティックやバイアス、直感に左右されるとすれば、経営戦略の立案者はそれにどう対処すればいいのだろうか。

人間の行動が合理的な判断には必ずしも基づいておらず、個々人の説得や納得のプロセスが重要であるとするならば、組織の文化を醸成すること、すなわち、各組織の独特の価値観や判断基準を確立することが極めて重要となる。

実は、企業のミッション、行動規範、行動憲章といった組織目標の策定は、究極的には組織の構成員の主観的な理解を意図的に誘導する手段でもある。朝礼や社内報、そして新年会や社員旅行、さらには創業者の墓参りや社歌の斉唱に至るまで、組織はありとあらゆる手段を活用することで、その構成員が入手する情報に偏りをつくり出そうとする。組織は、構成員が日常的に触れる情報をコントロールすることによって、構成員それぞれの認知、解釈、判断を特定の傾向に導くことができる。

これは、前回議論した数値管理とは異なり、またモニタリングやインセンティブとも異なる戦略の浸透のプロセスである。実際、組織論の研究においては、公式の組織構造や数値管理や業績管理など目に見える指標の管理以上に、より曖昧で、属人的で、心理的なプロセスに関心が割かれている。

もちろん、組織人の合理的な行動を前提としつつも、真に組織の成果を左右するのは、いかに個々人の裁量に自由度を残しながら、同時に、彼らの行動を一定の方向に集約させるかである。これは良い言葉を使えば、いかに組織の構成員に「共感」してもらうかであり、悪い言葉を使えば、いかに組織の構成員を「洗脳」するかである。

人間の主観的な理解を誘導し、一定の方向性に向かうよう動機づける要因については、多様な角度から研究されている。それこそ、太古の昔から、人間は自分たちの集団の方向性を統一すべく、さまざまな手法を編み出してきた。それは政治学であり、社会学であり、宗教学であり、文化人類学であり、およそ人間集団に関わりのある学問体系の知見を、少なからず営利組織経営の文脈においても価値を持つ。

近年多くの調査研究が発表されている領域としては、第一に組織固有の行動様式を“New Institutionalism”(新制度派組織論)の観点から分析する潮流がある。この理論体系は、ある特定の行動特性を共有する組織や個人のつながりの範囲を“Organizational field”(組織フィールド)と呼び、それがどのような特性を持ち、どのような要因で変化し得るのかを探究している[注15]

たとえば、新しい事業を立ち上げる際、起業家がその事業の価値をどのように社会に納得させていくかを研究したり[注16]、すでに成熟した産業領域において、その産業特有の行動様式がどのような要因で変化するかを探究したり[注17]する。また、組織が持つ独特のしきたりや固有の儀礼が、どのようにその組織が確立させた固有の価値観や行動様式を保持しているかを調査した研究もある[注18]

私自身もこれに関連して、創業200年の老舗和菓子店である船橋屋の調査研究を行っている。200年の伝統から培われた「売るより作れ」「他人より一銭かけろ」「浮利を追うな」「正直」といった船橋屋の伝統が、8代目である渡辺雅司氏の経営改革、新しい経営戦略を通じてどのように変遷したかを追っている。

組織の構成員の判断と行動に染み込んだ老舗企業の伝統は、構成員の自信と自負につながり、それが高い品質の顧客への約束となり、高いブランド価値をつくり出す。しかし、時代の変化にともない、こうした強い伝統は逆に変革の推進に負の作用をもたらすこともある。したがって、伝統と革新をどう両立させるか、これは経営戦略推進のうえで極めて重要な調査課題である。

こうした研究は、依然として黎明期にあり、「こうするべきだ」といえるような強いコンセンサスが生まれているわけではない。だが、それら研究の成果を活用することで、不確実性の高い状況下において、ある一定の経営戦略を実行する際に必ず直面する事業課題に対して、答えを見出せる可能性がある。

実際、新制度派組織論はあくまで、実証的な関心から交流した理論体系であるが、その知見を土台として、組織は戦略的に制度に影響力を行使し、その特性を活用すべきとする考え方も登場し始めている。これは“Institutional Strategy”(制度戦略)と呼ばれ、新制度派組織論の大家であるトーマス B. ローレンスなどが中心となり、そのあり方の規範的な探究が進んでいる[注19]

コミュニケーションとストーリーで
経営戦略を伝播させる

他人を説得するという観点からは、リーダーのコミュニケーションに焦点を当てた調査研究も広がりを見せている。

たとえば、スティーブン・デニングの2004年の『ハーバード・ビジネス・レビュー』の論考[注20]は、事実の分析や論理的な解説よりも、ディテールを最小限にしたシンプルな物語の方が組織の構成員を引きつけ、その行動を引き出すことができると解説する。同様に、ピーター・グーバーの2007年の論考[注21]も、無機乾燥した客観的かつ網羅的なデータよりも、自分自身と聞き手に対して誠実な、その場の状況に忠実であり、本質的な使命に焦点を当てたメッセージが有効であると主張する。

こうした論考は、組織の構成員や株主や投資家などの利害関係者を説得するうえで、どのような物語性、いかなる語り方が有効であるかを議論する(表2)。

表2:効果的な物語の特徴

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出典:Denning, S. 2004. Telling Tales. Harvard Business Review, 82(5): 122-29., p. 127(邦訳は以下。スティーブン・デニング, “ストーリーテリングの力”, DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー, October 2004, pp. 100-111., p. 107)より抜粋

他人をいかに説得するかという議論は、何もコミュニケーションにとどまらない。経営戦略の立案作業それ自体において、ストーリー、すなわち自社を主役としてあらゆる関係企業の目的、意思決定、アクションを織り込んだ台本を書き起こすことが有益とする考え方もある。

たとえば、マイケル G. ジャコバイズの2010年の論考[注22]は、自社の戦略に関する「台本」を練り上げることから、逆に自社の戦略を見直し、将来に備えた行動を立案することができるという。同様に、一橋大学の楠木健教授の『ストーリーとしての経営戦略』[注23]のカギとなるメッセージも、優れた経営戦略が「思わず人に話したくなるような面白いストーリー」であるという事実であった。

こうした“Narrative”(物語)が経営戦略を“Practice”(行動)に落とし込む際のカギであるという調査研究は、オーガニゼーション・スタディーズなどの学術誌でも発表されている[注24]。たとえば、組織内の構成員同士がどのように物語を交換し合い、それがどのように組織全体の一体感や個性の醸成に貢献するかが理論化されている[注25]。特に、内部の資源が少なく組織の歴史が浅いスタートアップでは、その存在価値や競争力を説明する際に、実際の競争力よりも事業の物語性やビジョンとミッションが重要であることが研究者間での共通理解になりつつある[注26]

物語の重要性は、老舗企業でも変わらない。前述の老舗和菓子屋である船橋屋においても、現代表である8代目のみならず、経営改革を先導する若手経営幹部が、繰り返し船橋屋の「新しい伝統」を取引先や社員、採用候補者に伝え続けている。生産工程へのISOの導入や、和カフェ事業への参入、乳酸菌発酵の知見を応用した医薬品や健康食品の展開が、なぜ船橋屋の200年の伝統を受け継いでいるのか、それを丹念に納得と共感が得られるまで、経営陣が繰り返し関係者に伝播させているのである。

経営戦略を成果につなげるためには、単にその経営戦略が組織にとって最善な判断であることだけでは十分ではない。そこから成果を上げるためには、行動にその戦略をつなげる必要がある。そして、その実現にあたっては、それぞれの構成員の経験則や主観に訴えかける諸制度の整備であり、組織フィールドの醸成であり、さらにはストーリーとしてのシンプルさと面白さ、伝わりやすさと柔軟性が必要なのである。

[注15]この領域の古典的な研究としては、以下の文献が必読である。DiMaggio, P. J. & Powell, W. W. 1983. The Iron Cage Revisited: Institutional Isomorphism and Collective. Rationality in Organizational Fields. American Sociological Review, 48(2): 147-60.
[注16]たとえば、Maguire, S., Hardy, C., & Lawrence, T. B. 2004. Institutional Entrepreneurship in Emerging Fields: HIV/AIDS Treatment Advocacy in Canada. Academy of Management Journal, 47(5): 657-79.
[注17]たとえば、Greenwood, R. & Suddaby, R. 2006. Institutional Entrepreneurship In Mature Fields: The Big Five Accounting Firms. Academy of Management Journal, 49(1): 27-48.
[注18]Dacin, M. T., Munir, K., & Tracey, P. 2010. Formal Dining at Cambridge Colleges: Linking Ritual Performance and Institutional Maintenance. Academy of Management Journal, 53(6): 1393-418.
[注19]たとえば、Lawrence, T. B. 1999. Institutional Strategy. Journal of Management, 25(2): 161-87.
[注20]Denning, S. 2004. Telling Tales. Harvard Business Review, 82(5): 122-29. (邦訳は以下。スティーブン・デニング, “ストーリーテリングの力”, DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー, October 2004, pp. 100-111.)
[注21]Guber, P. 2007. The Four Truths of the Storyteller. (cover story). Harvard Business Review, 85(12): 52-59.(邦訳は以下。ピーター・グーバー, “ストーリーテリングの心得”, DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー, March 2008, pp. 80-92.)
[注22]Jacobides, M. G. 2010. Strategy Tools for a Shifting Landscape. (cover story). Harvard Business Review, 88(1/2): 76-84.(邦訳は以下。マイケル G. ジャコバイズ, “ストーリーによる戦略構築のすすめ”, DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー, November 2010, pp 44-57.)
[注23]楠木健『ストーリーとしての経営戦略』(東洋経済新報社、2010年)
[注24]たとえば、Fenton, C. & Langley, A. 2011. Strategy as Practice and the Narrative Turn. Organization Studies, 32(9): 1171-96.
[注25]Ibarra, H. & Barbulescu, R. 2010. Identity As Narrative: Prevalence, Effectiveness, and Consequences of Narrative Identity Work in Macro Work Role Transitions. Academy of Management Review, 35(1): 135-54.
[注26]たとえば、Cornelissen, J. & Clarke, J. 2010. Imagining and Rationalizing Opportunities: Inductive Reasoning and the Creation and Justification of New Ventures. Academy of Management Review, 35(4): 539-57. あるいは、Navis, C. & Glynn, M. 2011. Legitimate Distinctiveness and The Entrepreneurial Identity: Influence on Investor Judgments of New Venture Plausibility. Academy of Management Review, 36(3): 479-99.

マネジメントの時代から
リーダーシップの時代へ

著しい成果を上げ、カリスマ的な経営者と呼ばれる経営者の多くは、人間のヒューリスティックな側面、そして直感に訴えかけることができる人物である。

優れた経営者が知性と論理で優れた事業計画を示し、それを高いマネジメント能力で推進できるのは不思議ではない。だが、そのうえで現代の経営者に求められているのは、組織全体の方向性を一つにし、その構成員の自発的な行動と自由な発想を育むリーダーシップ能力であろう。

第3回で触れた経営戦略の前史の時代、フレデリック・テイラーの時代は、労働者が従事する作業の内容も、そして労働者自身の社会的な生活の質も限られた時代であった。マネジメントという概念が広く広まった黎明期には、個々人の持つ世界観の多義性を深く考慮する必要性は限られていると理解されていた。

しかし、テイラーが『The principles of Scientific Management(科学的管理法)』(1911年)を出版してからすでに100年以上が経つ。すでに世界は、ピーター F. ドラッカーが“Post-Capitalist Society”(ポスト資本主義社会)と呼んだ[注27]時代に移り変わっている。

その時代とは、最も重要な生産要素が知識となり、サービス労働者が付加価値創造の中核となる世界である。専門知識を持つ個人がそれらを結合させ、協働し合うことが付加価値創造活動の中心となりつつあるのである。

こうした時代においては、階層的組織構造の中で上から下に意思決定を伝達するような旧来型のマネジメントではなく、構成員一人ひとりの専門性や人間性を最大限に発揮できるよう、チーム全体の方向性を示し、関係者の利害を調整し、関係者の意欲を高めることができるリーダーシップが重要となる。

もちろん、組織の計画性、組織化、管理といったマネジメントの側面を無視して、リーダーシップのみを語ることはできない。リーダーシップ研究の大家であるジョン P. コッターによれば、マネジメントとリーダーシップは対比関係にあるという(表3参照)。

表3:マネジメントとリーダーシップの対比関係

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出典:Kotter, J. P. 2001. What Leaders Really Do. Harvard Business Review, 79(11): 85-97(邦訳は以下。ジョン P. コッター, “リーダーシップ強化法”, DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー, September 1999.)& Robert Simions, 1996, “Control in an Age of Empowerment”, Harvard Business Review.などから筆者作成

いま、経営企画やマーケティング、そしてデザインや製品規格、研究開発や新規事業の創出など、現代の付加価値を創出する多くの経営機能では、効果的なマネジメントだけではなく、リーダーシップが求められる時代になった。

前回議論したような、バランスト・スコアカードや、KPIの議論は、どちらかというとマネジメントの方向性に関する議論である。また、限定合理性や期待効用を前提としたモニタリングやインセンティブの仕組みも、どちらかというとマネジメントの方向性の議論である。

しかし、本稿で述べてきたように、人間は必ずしも合理的に行動しているとはいえない。そして、そうした行動はより不確実性の高い環境で発生しやすい。知識生産とサービス産業が付加価値生産のかなりの部分を占めるようになった現在、組織のミッションやビジョンを提示し、優れた物語性を与えることができるリーダーは、まさに組織の目標達成のカギを握っている。

今後、さらに情報処理技術やセンサリング技術、そしてロボティクスが進化していけば、すでに急速に進化しつつある深層学習や強化学習の知見と合わせて、情報処理のための中間管理職は不要になるだろう。これまでマネジメントのために必要であった数多くの枠組みが不要となり、人間はより創造的な作業にその活動の焦点を移していくのである。

こうした劇的な技術変化によって大量の職が失われることが、破滅的な政治的危機や国際紛争につながらないのであれば、情報を合理的に処理して判断を下す作業の多くを人間ではない存在が担うようになる。そして、人間はより高次元の枠組みを考案することや、予期し得ない状況に対応すること、よりそれぞれの個性に根ざした活動から付加価値を社会に提供する存在となるはずだ。

そのような世界では、いっそうリーダーシップが重要となる。それは人間の人間的な側面を理解し、それを導き、束ね、前に進める存在である。その存在が経営戦略を実行に落とし込み、成果につなげていくのだろう。

***

今回は、経営戦略の議論のフロンティアである、戦略論と組織論の接合点に関わる考え方を幅広く扱った。実行と成果につながる経営戦略の立案には、人間とその集団である組織の理解は欠かせない。経営戦略を効果的に実行するためには、合理的に行動する人間を一つの前提としながらも、ときに非合理に見える判断や行動をとる人間の特性を最大限に活用した、組織運営が必要なのである。

次回は、新興企業の戦略について考えたい。競争優位もない新興企業は、どのように成長していくのだろうか。新興企業の戦略は「いきあたりばったり」にも見えるが、彼らが「意図されない戦略」をどう意図的につくるのかに焦点を当てて議論を進めたい。

【本記事の要点】

・人間は、認知、情報処理、時間の制約から限定合理的だと考えられてきた
・モニタリングとインセンティブは合理的な人間の行動を統制する手段である
・1970年代より、人間のヒューリスティックとバイアスに関する理解が進んだ
・心理学の知見が、合理的にみえない人間の行動に関する理解を深めた
・主観的理解を誘導し、説得により納得を引き出す作業も極めて重要である
・企業の行動規範、行動憲章などは、人間の行動を誘導する手段でもある
・新制度派組織論は、人間の認知を左右する組織フィールドの理解を深める
・組織フィールドを意図的に誘導する制度戦略という考え方が発展しつつある
・説得においては、コミュニケーションや物語性も極めて重要
・現代はマネジメントからリーダーシップの時代に移り変わりつつある
・人工知能などの現在進行中の技術発展は、リーダーシップの重要性を高める

[注27] Drucker, P. F. 1993. Post-Capitalist Society. Harper Business.(邦訳は、『ポスト資本主義社会』〔上田惇生訳、ダイヤモンド社、2007年〕)

第11回  新興企業の経営戦略: 意図されない戦略を、どう意図的につくるか

第11回は、これまで議論した経営戦略の定石を踏まえたうえで、新興企業の戦略を論じる。ゼロから立ち上がり、試行錯誤を重ねながら変化が求められ続ける企業は、どのように経営戦略を構築すればよいのだろうか。

本連載ではこれまで、経営戦略をめぐる理論的な発展と、それを考える際に必要な要素を幅広く紹介してきた。

まずは経営戦略の定義を議論し(第2回)、その原点を紀元前にまで遡り(第3回)、経営学の黎明期から戦略論の誕生までを理解した(第4回)。そして、古典的な戦略論が一斉を風靡した時代から、外部環境から考える道筋(第5回)と、内部環境から考える道筋(第6回)がどのような経緯と議論をたどって形成されたかを概観した。さらに、事業戦略(第7回)と全社戦略(第8回)、そして論理を軸とした実行(第9回)と感性を軸とした実行(第10回)を対比させ、現代の経営戦略の実務に必要な考え方の全体像を提示してきた。

ここからは、これまで築いてきた各回の土台に基づき、3つの特殊な経営環境を考えてみたい。

1つ目は、今回議論する新興企業の戦略である。ゼロから立ち上がり、試行錯誤を重ねながら成長する企業は、どのように戦略を考えていけばいいのだろうか。2つ目は、国際的な企業の戦略である。世界中の多様な特性を持つ事業環境にどのように適応し、それをどう活用すればよいのだろうか。3つ目は、第四次産業革命とも呼ばれる新たな技術革新である。人工知能、ロボティクス、センサー技術、ビックデータなど、今後の経営戦略を大きく変える可能性がある各種技術について、それが経営にもたらす影響を検討したい。

いずれの特殊な状況にも、基本的には、これまでカバーしてきた内容のすべてが当てはまる。検討すべきことの根幹や、経営戦略の役割は変わらない。しかし、初期の事業立ち上げ、国際的な経営の推進、技術変革の取り込みにあたっては、通常とは異なる経営戦略の推進が必要になる場合がある。

今回は特に、事業立ち上げ期の戦略のあり方について考えたい。実は、その時期は特に、起業家個人の趣向が色濃く反映される。私がこれまでインタビューしてきた数百人の起業家を見ても、その初期の経営戦略にはそれぞれに個性があり、哲学があり、多種多様なアプローチが取られていた。

ここでの議論は、現在進行中の調査研究から得られたデータを根拠に組み立てており、「こうすべき」という絶対的な指針を提示するものではない。本連載で紹介してきた考え方や理論を思考の柱としながら、起業家がどのように経営戦略を推し進めるか、その大枠を解説するのが目的である 。

新興企業が成長可能な事業環境を考える

新興企業と一言で表現しても、その状況は各社で異なる。

創業当初から数百億円の予算を持つ事業もあるだろう。当初はまったく資金がなくとも、創業から2、3年で百億円以上の投資を受ける例も珍しくない。一方で、長期の潜伏期間、すなわち人もお金も不十分なままに事業のあり方を探し求める状態が続くこともある。

その起業家がどのような事業環境に身を投じるかによって、戦略立案の方向性は変化する。これは第7回で解説した「戦略パレット」(The Strategy Palette)からも理解できる。

戦略パレットは、事業環境の特性を「予測困難性」「可鍛性」(その状況を変質/変化させうるか)「生存困難性」の3つの要素から分類する(表1)。

表1:戦略の5つの特性と経営環境の関連

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出典:Reeves M, Haanaes K, Sinha J. 2015. Your Strategy Needs a Strategy. Harvard Business Review Press. を参考に著者作成(第7回表4を再掲)

特に新興企業が存在する事業環境では、予測困難性、可鍛性、または生存可能性のいずれかが高い可能性が予見される。まず、その事業環境の特性を理解することが戦略立案の第一歩である。

予測困難性も低く、可鍛性も低い場合は、経営戦略の立案は古典的(Classical)となる。たとえ新興企業が事業を行うとしても、事前の詳細な計画や、それに基づいた周到な準備が重要だ。事業環境は成熟かつ安定しているため、参入に際しては規模感のある資本、そして十分な知見と経験が求められる。多くの場合、それは新興企業の得意とするところではない。

一方、予測困難性が高く、可鍛性が低い場合は、新興企業にも事業機会が存在する。予測困難性が高いということは、非連続的な変化が持続している環境でもある。こうした環境において、事業モデルの工夫や技術や仕組みの革新によって自社のみが先回りできれば、既存企業が対抗しえない競争優位を得ることができる。ただし、小規模な新興企業がそれを得るのは困難ではあり、多くの場合、適応的(Adaptive)な戦略を使いこなす既存プレイヤーに強みがある。新興企業が勝負をかけるならば、初期段階から十分な経営資源が必要となり、既存企業との合従連衡は欠かせない。

これらに対して、予測困難性が低く、可鍛性が高い状況に産業構造が転換しつつあるときは、新興企業にとって事業成長の大きな機会である。こうした事業環境は、新技術や新サービスの展開、すなわち洞察的(Visionary)な戦略が事業環境の構造を変化させうる状態にあるからだ。

たとえば、電力自由化と再生エネルギーへの政策的な誘導が行われているような状況では、エネルギー産業にも多様な新興企業が参入する余地がある。同様に、電化製品や自動車など多種多様な製品がそれぞれ独自の集積回路を必要とする時代が訪れたことにより、一部企業の寡占化が進んでいた半導体産業においても、ARMのような新興企業が大きくシェアを伸ばすこととなった。変化の方向性を理解できる起業家が適切な事業モデルを推進すれば、大きな成長可能性をもたらすのである。

予測困難性も高く、可鍛性も高い事業環境や、既存のプレイヤーの生存困難性が高い事業環境は、当然、多種多様な新興企業による新たな市場創出の主戦場である。こうした環境下では、成形的(Shaping)な戦略や復興的(Renewal)な戦略が発揮するだろう。これまでの事業環境の常識に囚われない発想、すなわち、必ずしも現在の外部環境や自社が有するリソースに左右されない、新しい事業の方向性が求められる。ただし、それは自由度が高い反面、初期から確実性の高い計画を立案するのは不可能に等しいと言える。

以上のように、新興企業が成長しうる環境は、不確実性が高く、状況が変化しやすい。そのため、こうした事業環境では、どちらかといえば洞察的、成形的あるいは復興的な戦略を取ることが求められる。そうした背景によって、新興企業の戦略立案は一般的な打ち手とは少し異なってくるのである。

新興企業の主戦場は
「シュンペーター型」の競争

先進国を中心に経済が成熟し、かつ複雑化した現代、資源の限られる新興企業が比較的短期間で競争優位を得られる産業領域は限られている。これはジェイ・バーニーが1986年の論文[注1]で示した「競争の型」という概念からも説明できる。

新興企業が特に成長する事業領域は、バーニーの議論を援用すれば、安定的な産業構造が企業間の競争を誘導する「IO型」でも、既存プレイヤー間の競争関係が事業環境を規定うる「チェンバレン型」でもなく、イノベーションが競争構造を組み替えうる「シュンペーター型」の競争が発生する事業領域であろう(表2参照)。

表2:バーニーが示した「競争の型」

写真を拡大出典: Barney, J. B. 1986. Types of Competition and the Theory of Strategy: Toward an Integrative Framework. Academy of Management Review, 11(4): 791-800., p. 797を元に作者作成.

IO型の競争が行われる事業環境は、比較的産業構造が安定的であることが多い。すでに確立された事業モデルを持つ既存企業が存在しており、長期間にわたり、その事業環境下の企業の戦略も変わらない。多くの場合は寡占化が進行しており、後発参入者である新興企業が事業を拡大しようとしても、既存の枠組みを打ち破ることが難しい。

チェンバレン型の競争環境は、新興企業にもう少し可能性が残されている。それぞれの企業は各社の独自性をもとに事業を行うことが求められるが、既存企業との十分な差別化が可能であれば、新興企業にも十分に成長の可能性がある。とはいえ、比較的安定的な事業環境下で、すでに大きな事業規模を持ち、大きな経営資源を有する既存企業との競争に打ち勝つのは容易ではない。そのため、新興企業の中で一部の限られた企業のみが成長を実現することとなり、いわば例外的な事例である。

シュンペーター型の競争環境は、一般に流通している言葉で言い換えれば、「破壊的イノベーション」や「創造的破壊」といわれるような、技術や事業モデルの抜本的な革新が芽生える事業環境である。これはまさに、戦略パレットにおける、予測困難性や可鍛性、生存困難性が高い状況である。それは産業構造が大きく変化しつつあるか、あるいは既存企業のイノベーションが停滞するときであり、こうした事業環境でこそ、無数の新興企業が生まれ、無数の試行が繰り返される。企業や事業の多産多死の状況でもあるが、だからこそ新興企業の事業拡大の主戦場となる。

戦略検討の定石だけでは
新興企業には不十分

シュンペーター型の競争環境では、外部環境を理解し、内部環境を理解し、自社の競争優位を定めるという基本的な道筋だけでは、新興企業の現実に対応できない。すなわち、創業当初から正しい答えを導き出すのは極めて困難なのである。したがって、新興企業の戦略検討には、絶えず移り変わる外部環境の特性に柔軟に対応でき、同時に、自社の成長に伴い絶えず変化する内部環境の特性を逐一加味できるような、より創発的で柔軟な戦略検討の考え方が必要となる。

本連載の第7回において、日米の一般的な経営戦略の教科書で解説される経営戦略の立案手法の定石について解説した。それは以下のようなものである。

 1.外部環境を理解する:ポーターのファイブ・フォース分析やPESTEL分析、シナリオ分析など、本連載の第5回で解説した手法を用いる。

 2.内部環境を理解する:資源ベース理論や知識ベース理論、ダイナミックケイパビリティなど、本連載の第6回で解説した概念を用いる。

 3.競争優位の源泉を決める:差別化、コスト優位、イノベーションの3つの主な方向性があり、特殊な競争環境では、競合との関係がカギとなる。

新興企業の経営戦略を考えるにあたっても、この骨格は揺るがない。しかし、新興企業がその強みを発揮でき、急速に成長する可能性が高い市場領域は、必ずしも外部環境の構造が安定しているとは限らず、また、どのような自社資源や知識、能力が競争優位につながるかを特定することが難しい。

こうした認識から、新興企業の戦略をめぐる議論は独特の発展を遂げている。これは第2回に解説した、ヘンリー・ミンツバーグらが1985年に発表した論文である「臨機応変な戦略形成(Strategy Formation in an Adhocracy)」の問題意識と同様である。

ミンツバーグは、経営戦略が直線的な経緯をたどるという理解、すなわち外部環境の分析と内部環境の分析から競争優位の源泉を定め、それを粛々と実行するという理解に反証事例を提示した。彼は、経営戦略が日々の行動の実践から次第に生み出され、成功体験を積み重ねることで草の根から組織の各層に浸透し、それが経営戦略として認知される過程を示した。これは後に「創発的戦略」と呼ばれる、経営戦略が段階的に創出されるプロセスである。

もちろん、新興企業には創業当初の戦略が必要ないというわけではない。

新興企業の多数が興隆する事業環境は、予測困難性、可鍛性、生存困難性の少なくともいずれかが高い可能性があり、絶え間ない革新で競争優位を再定義し続けるシュンペーター型の競争にさらされていることが多い。こうした事業環境では、当初の戦略は指針にしかならないのである。

だからこそ、新興企業は自身の行動を通じて、日々、みずからの事業の方向性を修正し、刻一刻と移り変わる事業環境の特性に即応し、絶えず戦略の舵を柔軟に動かし続ける必要がある。

[注1]Barney, J. B. 1986. Types of Competition and the Theory of Strategy: Toward an Integrative Framework. Academy of Management Review, 11(4): 791-800.

スタートアップにおける戦略検討の特性

2000年代以降に注目を浴びる、新興企業の事業開発手法の議論に関する直接の原点は、リタ・ギュンター・マグレイスとイアン C. マクミランが1995年に『ハーバード・ビジネス・レビュー』に出版[注2]した「Discovery-Driven Planning(仮説思考計画法)」にあるだろう。

仮説思考計画法は、まず、経営陣が成功を信じる事業の仮説を詳細に検討させる。次に、その事業の売上や費用に関する仮説を競合や市場平均と比較しつつ、 事業に必要なそれぞれの要素を詳細に記述して構造化する。そのうえで、この過程で必要となった仮定条件、たとえば部品の価格や配送費用などの数値を検証し、可能な限り具体的かつ現実的な数値に落とし込む。これらの数字は、事業を推進する過程で絶えず見直され、それに伴い当初の計画も進化していく。

この方法は、新興企業が戦う事業領域においては、計画を立てる時点では確実な情報が限られるという現実を反映している。不確実な要素を無理に明らかにしようとせず、事業創造の進展に合わせて、手に入る情報を段階的に組み入れる発想である。

それまでの経営計画の発想が、当初計画からの大きな乖離を悪と見なしていたのに対して、仮説思考計画法はそうした乖離は自然であり、不可避であると考える。ここで重要なのは、本格的な投資を開始する前にその事業仮説を現実の数字に置き換え、できる限り予測を盤石のものにすることである。検討プロセスの紆余曲折は想定内であり、より不確実性を許容した考え方である 。

スタートアップにおける戦略検討は、事業モデルが確立され、市場で一定のポジションをすでに保持しており、既存の社内資源による制約も大きな成熟企業とは異なり、より不確実性と密接に絡み合っている。「つくりながら走る」「入れ替えながら回す」「絶えず更新し続ける」。こうした言葉に表されるように、現在の環境、自社の現状を前提とするのではなく、あくまでも仮定とし、それらが組み変わっていく現実に密接に寄り添った発想が必要となる。

なお、仮説思考計画法を再考した2017年の『ハーバード・ビジネス・レビュー』の記事[注3]では、著者の一人であるリタ・ギュンターにインタビューを行い、この手法を用いる際の注意点をまとめている。

仮説思考計画法は、たとえば20億ドルを投じる半導体工場のようなプロジェクトには馴染まない。より不確実性が高く、大量の前提条件を走りながら検証し、事業の型を創発的につくり出す新興企業に向いている。無論、新興企業も事業規模が成長を続けるにつれて、伝統的な計画立案法に徐々に転換する必要がある。つまり、これは大規模な組織に向く考え方ではない。

また、仮説思考計画法は、1回のプロセスで計画を完成させるものではない。絶えず前提条件を更新し、そして計画を刷新し続けることが不可欠となる。すなわち、絶えず現状の計画を更新し続け、実行と計画のサイクルを短期間で回し続けることが肝要である。

当初の前提条件が誤っていることを恐れてはいけない。仮定や前提条件が正しいことを信じて、それを証明しようとするのではなく、仮定や前提条件が適切であるかを検証する客観的な姿勢求められる。当初の仮説は出発点にすぎず、その正しさを証明しようとすることはむしろ害悪となり得る。

仮説思考計画法が提示されてから、すでに20年以上が経過している。もちろん、この考え方の根本、その精神は現在でも普遍的価値がある。

しかし、仮説思考計画法も万能ではない。未来を志向した前提条件を取り入れる必要があること、特に自社事業の競争優位がどの程度持続できるのかを深く検討し、仮説を検証する期間をより短期間とする必要があることがすでに指摘されている[注4]。また、元来の発想が伝統的な予算と数値管理を前提とした経営計画立案の手法に根ざしているために、実務での応用にあたっては、やはり経年劣化が否定できない。

こうした現実を反映し、2000年代後半からは、この発想を参照点として、よりスタートアップの実務家にとって使いやすく、理解しやすいフレームワークや経営コンセプトが数々と登場し、それらが一世を風靡した。

リーン・スタートアップという
新たな戦略フレームワークの登場

新興企業の創業当初の経営戦略立案は、経営戦略という言葉よりむしろ、イノベーションやビジネスモデル、プロトタイピングといった言葉に紐付けられる。それは新興企業における経営戦略の立案が、その企業の中核的な事業の設計とほぼ同義であるからだろう。

事業開発手法をめぐっては、多種多様な考え方が登場しては消えていった。しかし、仮説思考計画法の発想を原点に、それをより使いやすいフレームワークに落とし込んだのが、2000年代後半に発案され、エリック・リースが2011年に出版[注5]した 『The Lean Startup(リーン・スタートアップ)』により広く普及した、「リーン・スタートアップ」の考え方である。

スティーブ・ブランクの2013年の論考[注6]によれば、リーン・スタートアップの要点は3つに集約できる。

この概念はまず、仮説思考計画法が、複雑に絡み合う仮定や前提条件をそれぞれの事業ごとにゼロから検討していたのに対して、ビジネスモデル・キャンパスと呼ばれる戦略フレームワークなどを活用し、新興企業が事業開発を行う際に仮定を置き、前提条件を設定しなければならない要因について、限られた要素に整理している(表3参照)。

表3:ビジネスモデル・キャンパスによる仮説の図式化

写真を拡大出典:Blank, S. 2013. Why the Lean Start-Up Changes Everything. Harvard Business Review, 91(5): 63-72., p. 66; 原出典:https://strategyzer.com/canvas/business-model-canvas(日本語版:スティーブ・ブランク. 2013. “リーン・スタートアップ:大企業での活かし方”, DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー, August 2013, pp. 40-51: p. 43)より筆者作成

そして新興企業の創業初期においては、事業モデルを探索するカギとなる、これらの要因を探索的に検証し、当初の経営戦略の有効性を検証することに注力すべきであると説く。この際、全要素を網羅的に精緻に検証するのではなく、たとえ荒削りであっても、仮説の概略を構成する主要構成要素に絞った効率的な探索を迅速に行うべきであるとした。

事業の細かい点に関しては、拡張性のある戦略の方向性を見出してからでも遅くない。あくまで重要なのは、全体の枠組みを検証することであり、詳細なつくり込みはある程度の規模を得てからでも構わない。創業初期に重要なのは、中核的な事業概念の検証であり、その根源的な収益性を左右する要因の検証であり、それに関連する要素のつくり込みである。

また、リーン・スタートアップの特徴は、経営戦略の立案にあたって顧客を巻き込み、市場での検証を通じて、それを磨き込むアプローチを取ることである。

まずは小さな市場を対象として、潜在顧客に積極的に会いに行き、同時に、事業を拡大した場合に協業する取引先の候補と創業初期から積極的な意見交換を重ねる。こうした活動からの情報入力を絶えず自社の事業に反映し、市場の中で自社の事業仮説を試しながら磨き込んでいく。

これはまさに、新興企業の多くが存在する事業環境でこそ取れるアプローチである。言い換えれば、その実践が極めて難しい事業領域も多数存在する。たとえば、発電プラント、鉄道、橋梁など、1つひとつの製品がそれぞれの顧客の要請にもとづいて設計され、政府機関など極めて限られた数の顧客しか存在しない場合などが代表例だろう。こうした事業領域では、不完全な完成度の提案を限られた数の重要な顧客に何度もぶつけることは適切とはなりにくい。

一方で、新興企業の主戦場となる事業環境においては、まず、ビジネスモデルを探索するための検証を市場で繰り返す「探索(Search)」と、それが見えた段階で販売促進活動の支出を増大させ、組織を急速に整備する「実行(Execution)」の二段構えのアプローチは、有効に機能する可能性が高い(図1)。

図1:顧客との対話から戦略をつくり込み、その結果に資源を投入する

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出典:Blank, S. 2013. Why the Lean Start-Up Changes Everything. Harvard Business Review, 91(5): 63-72., p. 68;(日本語版:スティーブ・ブランク. 2013. “リーン・スタートアップ:大企業での活かし方”, DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー, August 2013, pp. 40-51: p. 44)より筆者作成

新興企業は、顧客を発見し、顧客と対話しながら有効な経営戦略を見出す。それを通して当初の事業仮説を検証し、誤りであるときには経営戦略の抜本的な転換(ピボット)を行う。逆に、その事業仮説の有用性が説明できるのであれば、採用を拡大し、販売促進に投資し、組織体制を整えながら方向性を固めていくのである。

リーン・スタートアップの考え方は、こうした事業仮説の磨き込みを迅速に実行し続けることも奨励する。できるだけ多くの修正点を反映した次世代の製品やサービスの完成を目指すのではなく、当初の事業仮説を少しずつ磨き込み、それを絶えず迅速に改善させていくことに注力している。

実はこの点は、リーン・スタートアップのもう1つの原点である、「トヨタ生産方式」(英語圏では「リーン生産方式」として知られる)にも通じるところがある。顧客からのフィードバックを絶えず反映し続け、それによって段階的に製造現場をカイゼンしていくトヨタ生産方式は、中央集権型の組織構造をとり、限られた数の経営陣やエンジニアが生産ラインを分析して、再編成する手法とは真逆に存在する。

「ステルスモード」と呼ばれるように、自社の経営戦略が社外に漏れないよう厳密に情報管理を行い、一定の完成度に到達してから顧客にそれを問うという発想にも一定の価値があるだろう。それに対して、リーン・スタートアップの考え方の根底には、機密保持よりも現場の情報に価値を見出し、引きこもって考え込むのではなく、市場に出て叩かれたほうがよいという発想が存在する。

[注2] McGrath, R. G. & MacMillan, I. C. 1995. Discovery-Driven Planning. Harvard Business Review, 73(4): 44-54.
[注3]Gallo, A. 2017. A Refresher on Discovery-Driven Planning. Harvard Business Review Digital Articles, pp. 2-7.
[注4] McGrath, R. & MacMillan, I. C. 2014. The Origins of Discovery-Driven Planning. Harvard Business Review Digital Articles, pp. 2-4.
[注5]Ries, E. 2011. The Lean Startup: How Today’s Entrepreneurs Use Continuous Innovation to Create Radically Successful Businesses. Crown Business.(邦訳は『リーン・スタートアップ』井口耕二訳、日経BP社、2012年)
[注6]Blank, S. 2013. Why the Lean Start-Up Changes Everything. Harvard Business Review, 91(5): 63-72.

探索のフェーズにおける
新興企業の取り組み

探索のフェーズが目指す重要なマイルストーンは、「プロダクト・マーケット・フィット」(PMF: Product Market Fit)の確立である[注7]

PMFは、顧客を満足させうる製品やサービスと、一定規模以上への成長を可能とする製品やサービスに最適な市場の組み合わせによって成り立つ。ここで重要なのは、よい製品やよい市場だけではPMFを確立できず、あくまで製品と市場の組み合わせであるという点である。すなわち、製品を軸にして市場を探すプロダクト・アウト(Product Out)でもなく、市場を軸にして製品を考えるマーケット・アウト(Market Out)でもなく、プロダクトとマーケットの両者の間の整合性、すなわちフィットを目指すことが肝要である。

どれほど優れた製品やサービスを考案しても、市場が存在しなければ価値を持たない。同様に、どんなに可能性がある市場を見出しても、その市場に最適な製品やサービスを提供できなければ意味がない。ある製品やサービスの価値を見出すのは市場であり、ある市場の潜在性を発掘し、その成長を加速させるのは製品やサービスである。したがって、プロダクトとマーケットの相互作用により両者が両者を補完し合う構造を発見する必要がある。

この構造を発見するためにはまず、PMFの確立の前段階として、より根源的な「プロブレム・ソリューション・フィット」(PSF: Problem Solution Fit)を見出すのが定石とされている。

ソリューション(解決策)はプロブレム(課題)にひも付いているのが基本であり、それは無数に存在しうる。そのため、プロブレム・ソリューション・フィットを発見するには、まずプロブレム(課題)から入るのが有効である。さらに、プロブレムとソリューションはそれぞれ顕在と潜在、既存の組換と新規の創出の2つに大別できる。この組み合わせから、PSFを見出すための4つの基本的な方向性が説明できる(図2参照)。

図2:PSFを発見するための基本的な取り組みの型

写真を拡大出典:筆者作成

まず、「既存手法の改善、特化による差別化」である。たとえば、無印良品、ビームス、スノーピークといったセレクトショップや専門ブランドは、特定の趣向やデザイン・コンセプトに焦点を当てることにより、比較的特化した領域から支持層と事業を広げていった。スマホゲームのように開発に用いられる技術や手法が枯れているなかで、その組み換えや改善を通して他社との差別化を図る道もある。これは特に、市場構造が比較的安定的な事業環境で用いられる。

次に、「他の市場への既存手法の応用」である。アグリテックやフィンテック、そしてHRテックといった言葉があるが、これらは当初インターネットサービスによって開発された手法や技術を応用し、そうした技術が浸透していない事業領域の潜在課題を発掘し、解決しようとしている。これも比較的、産業構造が安定的な事業環境に新規参入する際に有効な方向性である。

「新技術・手法による顧客・市場の深耕」は、すでに顕在化しているニーズに新たな技術や手法で挑戦する。たとえばゴアテックスは、防水浸透性素材という防水性と浸透性を両立させる新素材を活かして、アウトドアの愛好家から圧倒的な支持を集めた。急速に成長するフリマアプリも、既存のオークションサービスなどが要した、出品と落札に要する手間暇を大幅に軽減することで支持されている。

もちろん、「新技術・手法による新市場の創出」も不可能ではない。インターネットや仮想通貨など、まったく新しい概念で新市場をつくり上げることも、限られた一部のプレイヤーには可能であろう。しかし、これを自社単独で成し遂げることは難しく、多種多様な利害関係者との協力のうでのみ成し遂げられる方向性である。

PSFとPMFのギャップの正体

では、PSFとPMFの間に存在するギャップとは何か。起業家ごとに持論があると思われるが、その共通点を一言でまとめれば「数字が合うか」である。

「数字が合うか」とはまず、PSFの検証からつくり出された製品やサービスが一定以上の成長が見込めるか、を示す。いかに優れた製品やサービスであっても、極めて限られた数の顧客しか存在しないのであれば、事業として成立し得ない。同様に、少なくとも事業がある一定規模に達したとき、製品やサービスを提供することで得られる収入が、それらをつくるために必要なコストを上回ると予測できるかも重要である。これは現代的には、「ユニット・エコノミクス(Unit Economics)」とも言われる。経済学や管理会計分野において古くからある言葉を使えば、限界費用や限界収益に近い。

この2つの前提のうえで、特段の努力をしなくとも販売量や契約数が継続的かつ自然に増加していく状態に至れば(もしくはその兆候が見えれば)、探索のステージは速やかに(少なくとも一旦は)終わるべきである。

この発想と検証のプロセスの効率化を目指す手法は数多く存在する。ただし、これに至る道は極めて難しく、予測がつかない。

たとえば、IDEOが提唱する「デザイン・シンキング」[注8]のアプローチは、この過程を「Inspiration(着想)」「Ideation (概念化)」「Implementation (実現化)」の3つのプロセスに分解し、それぞれで製品やサービスのプロトタイプの作成とユーザーテストを繰り返すことで、事業化のヒット率をできる限り高めようとしている。また、アッシュ・マウリャが2012年に出版した『Running Lean』[注9]のように、リーン・スタートアップの手法をより実践的に解決し、PMFに至るための手法を解説する書籍も多数ある。

しかし、新興企業の経営者がどのようにPSFを満たし、最終的にPSFを説明できる経営戦略を見出したかをヒアリングすると、デザイン・シンキングのように体系化されたアプローチを採用した起業家は、少なくとも日本にはほとんどおらず[注10]、現状では、探索の過程は起業家の“職人芸”に依存している。日本の新興企業の起業家は、エンジェル投資家や先輩経営者などからの助言、自身の過去の事業経験から得た知見を元に、属人的にこの作業に取り組んでいるのが現実である。

実行のフェーズにおける
新興企業の取り組み

PSFを「説明」できる状況に達したら、次は実行のフェーズに移る。これを別の言葉で説明すれば、「資源投入ステージ(Resources Mobilization Stage)」とも言える段階である。

ここで重要なのは、「説明」で十分であり「証明」しようとしてはならないという点である。特に新興企業が置かれる事業環境は、刻一刻と変化して流動的である。無数の新興勢力が立ち上がっては消えていく状況下では、どれだけ可能性のある経営戦略であろうと、その正しさを証明することは不可能に近い。

経験値の浅い起業家によくある間違いは、資金調達のために事業計画書やビジネスプランの書類を大量に書き溜め、データでできる限り自分の事業の正しさ、すなわちPMFを証明しようとする行為が挙げられる。これは新興企業の大半が置かれる事業環境では意義の薄い行為であり、私の知る限り、そうした資料を高く評価するシード投資家は一人もいない。

もちろん、実行のフェーズに移行して以降は、「説明」が「証明」に少しずつ近づいていく。この段階は資源投入の段階であり、経営資源を投じて顧客をかき集め、製品やサービスを段階的に改善していくフェーズである。創発的な段階から組織的な段階への遷移であり、より科学的な定量的なアプローチが有効となる段階への移行である(本連載の第9回で紹介した重要業績評価指標(KPI)は、特にこのフェーズで活用しやすい)。

数値を元に事業モデルの状況を構造的に把握し、それぞれを同時並行的に改善するアプローチは、スタートアップの間では「グロースハック」という言葉で最もよく知られている。これは製品やサービス自体だけでなく、その集客手段や運営手段までを含む全社のコスト構造と収益構造を対象に、特に実証データに基づく仮説検証を繰り返す手法である。

この言葉は、米国の実業家であり、現在はGrowthHackers.comのCEOを務めるシェーン・エリスによる、2010年の記事[注11]が初出だと言われる。彼は、リモート・アクセス・サービスであるログミーイン(LogMeln)やオンラインストレージのドロップボックスの成長に貢献した経験から、定量的な仮説検証を繰り返すアプローチにより、PMFが確立された事業であれば、高い確立で事業成長を成し遂げることができると主張した。

グロースハックの象徴ともいえる分析手法はA/Bテストである。これは製品やサービス、あるいは広告やキャンペーンの実装の選択肢のうち、どれが最も効果が高いかを本格的な実装の前に検証する手法である。現在では、オプティマイズリー(Optimizely)[注12]やKAIZEN Platform[注13]のようなサービスを用いて、こうした定量的な検証が機動的に実行できる。

無論、グロースハックと総称される取り組みでは、A/Bテスト以外にも多数の方法論が用いられる。たとえば、Conversion Rate Expertsがまとめたグロースハックのための27の手法と、それに関連するウェブサービスの一覧[注14]は参考になる。同社は、顧客に1対1で直接自社のスタッフと対話するよう動機づけ、SNSへの投稿などの公開情報を収集し、また類似の事業を行う非インターネット企業の取り組みまで調査すれば、より幅広い範囲のサービス改善ができると説明する。

日本でも特にテレビCMなどのマスメディア広告を中心に、どのようなクリエイティブに効果があるのか、どの時間帯が最も効果が高いかなど、数値を軸に広告や販促の効果を定量的に計測検証するノウハウが浸透してきた。ユーザーインタビューやサーベイなどの伝統的な調査手法を日々の業務ルーチンに取り入れ、その学びを迅速に製品やサービスに取り入れることも常識となりつつある。フェイスブック、そしてエアビーアンドビーやウーバーのように、こうした取り組みを「グロースチーム」などと呼ばれる専業部隊で実行する企業も無数にある。

これらの意味するところは、新興企業の具体的な経営戦略は、その実行の過程の中で決定されていくという単純な事実である。

もちろん、A/Bテストなど定量的な改善を基本とするグロースハックは、それぞれの機能、UI/UX(ユーザーインタフェース・ユーザーエクスペリエンス)、システム構成の改善である。しかし、こうした日々の取り組みの積み重ねが、次第にサービス全体の再編成や人員・組織体制の変革、さらには提供価値の再定義につながることもあり得る。新興企業はこうした検証と改善を行いやすい事業領域に存在しているため、実行の中から戦略を動的に転換するアプローチと親和性が高い。

一方、繰り返しになるが、20年から30年の事業期間が必要となり、一旦投資を決定すると設計の見直しが極めて難しいインフラ事業、基礎設計から製品販売までに5年以上の期間を要して高い安全性が求められる乗用車、さらに開発期間も長くリスクも高い航空機事業などでは、こうしたアプローチは取りにくい。

また、既存事業の規模が大きくなればなるほど、製品やサービスの根源的な設計を見直すコストは加速度的に高くなる。だからこそ、新興企業が長期的な競争優位を築くためには、初期段階において、実行を通じて絶えず自社の戦略を変化させ続けることが極めて重要なのである。

[注7] プロダクト・マーケット・フィットという言葉は、著名実業家であり投資家であるマーク・アンドリーセンが、2007年6月25日のブログ記事で最初に用いたとされる。すでにこのブログ記事は存在しないが、web.archive.orgのアーカイブで当時の記事を閲覧することが可能である。以下を参照されたい。http://web.archive.org/web/20070701074943/http://blog.pmarca.com/2007/06/the-pmarca-gu-2.html
[注8]ティム・ブラウン. 2008. “IDEO:デザイン・シンキング”, DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー, December 2008, pp. 62-63.
[注9]Maurya, A. 2012. Running Lean: Iterate from Plan A to a Plan That Works. O’Reilly.(邦訳は『Running Lean』角征典訳、オライリー・ジャパン、2012年)
[注10]筆者は、過去3年間で100名以上の日本の起業家にヒアリングを重ねているが、新興企業の成功した経営者に限定した場合、そうしたアプローチが言及されたことはなかった。
[注11]以下を参照されたい。http://www.startup-marketing.com/where-are-all-the-growth-hackers/
[注12]以下を参照されたい。https://www.optimizely.com/
[注13]以下を参照されたい。https://kaizenplatform.com/ja/aboutus.html
[注14]以下を参照されたい。http://www.conversion-rate-experts.com/conversion-tools-infographic/

新興企業が成熟するとき

新興企業は、いつまでも新興企業のままではいられない。

10人程度の組織であれば、全員が経営陣の隣りに座っているような環境をつくれる。また100人程度であれば、優れた経営者であれば、おそらくほぼ全員の名前と顔が一致しているだろう。しかし、それが500人、1000人規模となれば、それはもう不可能である。経営陣、役職者以外の何らかの力によって、組織を一つにまとめ続けなければならない。これこそが、本連載の第10回で解説した、経営戦略を浸透させるものである。

新興企業は特に、創業当初は経営資源が極めて限られた状態にあり、日々その経営の方向性も変わっていく。したがって、定量的な評価基準や細かなインセンティブ設計よりも、日進月歩で組織や戦略が変化するなかで根源的に信じるべきもの、組織の構成員全員が共有すべきバリューやミッションが要となる。

これらは創業初期にはそれほど重要でないかもしれない。しかし、組織文化、制度、風土とも呼ばれる組織の定性的な要素は、一昼夜では醸成できないがゆえに、創業初期からつくり上げ、熟成させていかなければならない。

また、コミュニケーションという概念も同様に重要となる。組織が小さなときには仕組み化は求められないが、急成長する組織でこれを怠ると、気づかぬうちに人心が離れていく。そして、離れ始めてからそれを始めても、ほとんどの場合はもはや手遅れである。すなわちこれも、創業初期から実行しなければならない重要な取り組みとなる。

こうした組織の足腰を鍛える取り組みが立ち遅れれば、採用が難航したり、中心メンバーの心が離れたりするだけでなく、組織の意思決定の方向性が歪んでしまう。組織が大きくなればなるほど、経営幹部一人ひとりの意思決定に依存せざるを得ない。その個別の意思決定を統制するものは、バリューやミッションといったその組織が共有する価値観や考え方であり、日々経営陣から発信されるコミュニケーションの蓄積なのである。

新興企業も、いつしか成熟企業となる。そこに至る過程で、当初は事業戦略と全社戦略の間に大きな重なりがあったものが、次第に全社の戦略がそれぞれの事業の戦略から独立していく。

第8回で議論したように、組織を永続させようとするのであれば、全社戦略が欠かせない。その中核となるのは、前述したミッションやバリューの確立と、それをもとにした組織内コミュニケーションによる、組織ドメインの定義・周知・更新である。その土台の上で、それぞれの事業機能を成長に合わせて再編成しつつ、事業領域の設定と管理を継続していくこと、そして、自社の活動を監査・評価・統治することが、単一の事業を超えて組織が継続するために必要となる。

たとえば楽天は、上場企業となって以降、創業事業である楽天市場の拡大のみならず、銀行やトラベルなど周辺領域の事業を積極的に買収することで成長を遂げた。これはPL(損益計算書)による成長からBS(貸借対照表)による成長に舵を切ることで、単一事業の成長を超えた企業価値の最大化を狙った動きであろう。

SPEEDA事業で創業したユーザベースがNewsPicks事業に乗り出し、印刷事業で成長したラクスルが配送事業であるハコベル事業に乗り出し、フリマアプリで成長したメルカリが子会社のソウゾウでメルカリ アッテやメルカリ カウルに取り組むのも、単一事業の限界を超えて、企業としての持続的な成長を模索する全社戦略の取り組みといえよう。

また、株式の上場を目指し、上場企業としての組織体制を整える過程で、その企業の方法論、組織文化、運営手法が次第にスタートアップ特有の特徴を持つものから、いわゆる大企業特有の特徴を持つものに変遷することも、避けることはできない[注15]

株式上場以後も、新興企業は株式市場との対話を重ねる。組織は事業規模を拡大させ、多様な構成員によって運営されるようになる。この成長の過程で、新興企業も成熟企業へと転換していく。そして、既存事業の生産性を引き上げれば引き上げるほど、逆に新規事業に対する創造性は発揮しづらくなる[注16]

しかし、ある時点ではふたたび、創発的な戦略検討が必要になる。どのような事業であっても、変化を続ける事業環境に対して永続的な価値を提供することはできない。実際、イノベーションが停滞し競争力を失いつつある成熟企業は、さまざまな手段を用いて、探索のステージに回帰しようとする。

いま苦境に立つ大企業の多くも、過去には新興企業であった。その時代を思い出し、現代の新興企業の戦略構築手法を学び、小さなところからでもまず実践することが、遠回りに見えるかもしれないが、実は近道なのではないだろうか。

【本記事の要点】

・予測困難性、可鍛性、生存困難性のいずれかが高いと新興企業が生まれやすい
・新興企業の多くが戦う事業環境では、シュンペーター型の競争が起きており、戦略検討の「定石」はそうした事業環境では不十分である
・新興企業の経営戦略は、ミンツバーグの創発的戦略の概念で説明できる
・1995年に提示された仮説思考計画法の考え方が、新興企業の戦略検討の源流
・2000年代後半にかけて確立されたリーン・スタートアップは、仮説思考計画法と同様の考え方を戦略フレームワークとして広く伝播させた
・リーン・スタートアップは、事業開発を「探索」と「実行」に切り分ける
・探索では、市場との対話からプロダクト・マーケット・フィットを見出す
・実行で行われる戦略検討は、グロースハックと呼ばれている
・急速な成長の継続には、創業初期からの組織文化醸成が欠かせない
・新興企業の戦略検討では、段階的に全社戦略が事業戦略から独立する
・成長の過程で、新興企業はその特性を失い、成熟企業へと変化する
・成熟後も創造性を失わない企業が、組織の永続性に近づいていく

[注15]Kotosaka, M. & Sako, M. 2017. The Evolution of the ICT Start-up Eco-system in Japan: From Corporate Logic to Venture Logic? .In Nakano, Tsutomu, (Ed.), Japanese Management in Evolution New Directions, Breaks, and Emerging Practices. Routledge.
[注16]琴坂将広. 2014. “企業は創造性と生産性を両立できるか”, DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー, November 2014. pp. 38-51.

 

前編  経営学は 実学と科学を両立できるのか 一橋大学教授・楠木建×慶應義塾大学准教授・琴坂将広【前編】

後編  良い経営論と悪い経営論、 その境界はどこにあるのか 一橋大学教授・楠木建×慶應義塾大学准教授・琴坂将広【後編】

経営学は実学であり、科学である。慶應義塾大学の琴坂将広准教授によるそんな問題提起がきっかけとなり、一橋大学の楠木建教授からこの問題を一緒に考えたいという提案をいただき、両者の対談が実現。実務から学問の道へと進んだ琴坂氏と、学問の道で探究し続けて来た楠木氏。2人の気鋭の経営学者が、それぞれ異なる立ち位置からこの難題に対する見解をぶつけ合った。

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