近代市場組織の形成:日本製糸紡績業の場合

Reading notes:

◆ 中林真幸「近代資本主義の組織」序章、第4章

伝統的な経済史研究:産業構造の資本主義的な変化に注目し、産業組織の変化(i.e.産業革命)が近代的な経済発展の始まり

新古典派的な数量経済史研究:数量的に把握する国内総生産の持続的な増加を近代的な経済成長(economic growth)として理解され + その近代的な経済成長は、産業化によって始まる:在来産業の拡大ではなく、工場制工業の勃興?

○ 市場の構造 → 組織形成(個別から全体) ← → 取引統治の制度

1)市場経済の相対価格の構造の変化に対応する時の革新または移転(技術や、市場取引の制度や、工場制、会社組織といった生産組織や企業組織の革新や移植-いわゆる産業化)が産業組織の変化をもたらす

(市場の構造-相対価格の構造、要素賦存、技術的条件-は全ての変化に対して作用する制約条件)

— 国内経済の全体は自由貿易の移行により国際市場に影響されでも、主権国家を単位とした比較優位によってではなく、まとまりのある地域経済のそれぞれにおける、それぞれの産業の比較優位によって決まる。[1]

2)しかし、市場構造が決まったとしても、続く経済発展の経路が多様である。従って、所与の市場構造の下における資本主義的な生産組織の形成を分析することは重要な課題。

—(Crafts: 産業構造の変化は急激より漸進的、全体より一部地域的、近代産業よりも在来産業的。初期工業化から工場工業化に至る経路は多様である。例えば日本の織物業において近代に問屋制が拡大した。)

3)持続的な高成長と固定資本の増大を可能にした金融市場と、そこにおける取引統治の制度も資本主義的な経済発展を実現の条件としては不可欠。また生産組織の形成とは補完的である。

— 非効率均衡を避けるための取引の統治は必ずしも一様ではない:第三者に統治されるか、経済主体間の関係における内生的な統治されるか。特に後者の場合にはその取引統治の制度は、市場で販売される商品の生産を目的として形成された組織の性質とも、相互に強い影響を及ぼしあう。

(例えば、強い誘因によって労働者に緊張を強いる労働組織が機能するには、より高賃金の工場を求めて労働者が自由に移動する、競争的な労働市場の成立が必要かもしれない)

 

○ 相対価格体系の調整 → 近代製糸業の勃興(新組織&新市場構造)→ 在来産業の組織再編 ← → 政策金融により効率的な市場取引

1。市場構造と産業組織(影響する経路):

(自由貿易の始まった19世紀後半の日本経済は資本/労働相対価格が低く、また労働の無制限供給が存在したため、在来産業が拡大し、実質賃金の上昇なき成長がWWRI前まで続いた。そうした通念とは異なって、)

*近代製糸業の発展過程:

– 近代後期、都市の発達により在来織物業の需要の拡大に伴って、在来製糸業が農業の副業として発達した。1859の自由貿易開始は、対ユーロッパ輸出の拡大と、生糸相対価格の上昇によって、その拡大を促した。

– 1870年代に入ると、近代製糸業の移植が始まった。しかし、それが直ちに近代製糸業の本格的な勃興をもたらしたではない。

– 1880後半以降、長野県諏訪郡において、近代製糸業が本格的に勃興した。しかも、その生産組織は1870年代に移植された組織とは全く異なった。

– 勃興した諏訪郡の近代製糸業と、その生産組織を模倣した他地域の近代製糸業が、在来製糸業から近代製糸業への移行を主導した。養蚕農家が自家製糸を放棄し、原料繭供給に特化するという、産業組織の再編が進行した。

 

近代製糸業の形成と在来製糸業再編の要因:

1)国際市場構造の変化:

– 1870年代に中国糸との競争から、また1880年代にヨーロッパ市場の停滞から、日本の在来製糸業は自由貿易の開始に伴う相対価格体系の調整によって、競争力を失い、在来的発展の可能性は失われてしまった。

– 1880年代からアメリカ市場は本格的に拡大しつつ←1880年代に絹織物業の発展が急速に進行し、大衆消費需要である中下級品生産にふさわしい原料糸を需要する。 → 国際市場の構造変化を与件として近代製糸業が勃興し、労働生産性と実質賃金を持続的に高めつつ発展した。

– 1880年代から1900年代にかけ、鉄道網の整備により市場統合は産業組織の再編を加速した

 

— しかし、以上要因は特別なものではない、こうした条件は諏訪郡の近代製糸業が瞬く間に世界最強の国際競争力を獲得した理由を説明するものではない。

— また1910年代以前において、日本の繰糸器械の技術水準は劣っていた。

— さらに、近世期以来の在来製糸業の成長は、群馬県や長野県北部、山梨県、福島県などに目覚ましかったにもかかわらず、1880年代半以降は諏訪郡製糸業に対する原料繭供給地になってしまった。

 

→ 2)効率的な生産組織の形成:

制約条件は資本主義経済発展の与件であって、そのものではない。再編の中心は資本主義的な生産組織の形成であった:生産組織と労働組織、そしてそれらと補完的な取引統治の制度)

 

2。組織と制度(いかに形成する):

制度は、ある経済社会を構成するすべての経済主体の行動を制約するが、組織は、一部の経済主体の行動を制約する。[2]

○ → 生産組織また取引制度の形成は制約を作る

 

雇用関係から始まる組織が資本主義的な組織である。

近代以降に著しい発展を遂げた産業の労働組織においては、高度な分業制と工場制、位階制が支配的であった。この工場制と内部に形成された位階制をとる企業組織が資本主義的な生産組織の核心であり、そして効率的で考えられた。

 

なぜ効率(生産技術に関わる要素以外):

1取引費用を減らす←市場取引費用の減少+個々の経済主体の情報処理限界、限定された合理性

→ 情報処理の経路や意思決定の手続き、執行の評価の仕組み - 雇用関係のつくり方が企業組織の効率性を大きく左右する。

2 asset specificity – opportunism

3 residual rights of control – uncomplete contract

しかし、情報非対称性から生ずる非効率と弱い誘因制御(moral hazard)

← 現代の日本企業において実際には昇進階梯などと組み合わされた強力な誘因体系が機能している。→ 誘因制御に優れている限り(重点が置かれるか、誘因制御の費用の節約か)、取引費用を決定する技術的な条件とは独立に、資本主義てきな組織の効率性は成り立ちうる。 → 誘因制御は組織形成の当初からのひとつの目的 → 所与の技術的な条件が同一であることは、必ずしも同一の経済発展を意味しない (williamsonは単に分析が不十分、組織内部の資料を厳密に分析すれば、隠れていた誘因体系が浮上する)

○ → 誘因制御の設計という内生かつ主観的な行動が生産組織の形成の効率性を決める(?)

 

*近代製糸業の発展過程(続):

諏訪郡に勃興した近代製糸業が、1880年代以降、工場制の下に卓越した効率性を獲得していた:

a) 共同再繰結社

– 長野県諏訪郡の機械製糸家は1870年代の末から横浜市場への共同出荷のため(問屋から荷為替立替金の供給を受ける信用力を確保)、製糸結社を設立した。当初はフランス向けの生糸を生産していた。

– 1880年代に、アメリカ市場の需要(出荷単位の大きい+均一性の高い生糸)を開拓することによって、本格的に発展を始めた諏訪郡の製糸家は、共同再繰を行っていた。← (一つ一つ工場の小規模という当時の資本制約)

– 共同再繰の技術導入(水車動力)よりも、(開明社の)組織の構築は卓越:

– 1880年代まで、製糸家が横浜の売込問屋に出荷し(結社にも品質管理なし)、貿易商社に販売される際に貿易商社による検査を受け価格を判明され → 情報非対称性:製糸家が生糸の品質また価格の多元な決定要素を知らない、従ってincentiveがない + 貿易商社は買い取った生糸を分類し、荷造をし直し、商標を添付し、品質プレミアムを獲得

→ 共同再繰結社は品質検査と管理を行い(賞罰を設置+情報を開示)、品質情報を集積し、それを共同で出荷し、検査の結果を加盟製糸家への売上金の配分に反映させ、また高品質を保証する独自の製造者商標を確立し、高品質プレミアムを獲得した = 情報非対称を是正し、誘因を与え、市場取引を内部管理化 = 近代製糸業の生産組織の形成

○ 市場取引と比べて組織内取引は必ずしも弱い誘因制御ではない。しかし、組織内において利益の一致性は必須である。(開明社の加盟製糸家は、新規加盟の少ない固定的な生産効率の高い製糸家であった)

b) 大規模工場

– しかし、1890年代半には、アメリカの景気後退と力織機の高速化により、共同再繰の均一性水準は厳しくなった要求を満たせなくなった

– 共同再繰結社の限界:繰糸工程の管理は加盟する各工場に委ねられ、中には人力工場が含まれていた(技術限界) + 中小製糸家との共同出荷は、大規模製糸家の品質向上への誘因を減殺した(誘因制御限界)。

→ それゆえ、加盟する製糸家のうち、有力な製糸家は共同再繰結社から独立し、大規模工場を設立し、さらに品質管理を徹底するために、共同再繰を行わず、繰糸から再繰、検査に至る一貫生産を行い、自家の商標を付けて販売した。加盟製糸家の間の生産効率に格差があるため、離脱した自家大工場の製造者商標を確立した。

a) + b) → 近代製糸業は、勃興の当初から、品質の管理と商標の確立による品質プレミアムの獲得を目的として、生産組織を形成し、発展させた。→ 品質管理の誘因整合的な設計された生産組織と、商標による取引統治の制度とは、補完的な関係にあった(品質管理と商標の整合が非効率均衡を避ける)← この補完性=高品質高価格から逸脱しない誘因:市場における高低品質製品の価格差(アメリカ市場)+長期的な利益を重視する(工場規模の拡大)+供給家の生産効率が高い(不合格率の向上)

(しかし公正中立な第三者格付けによる取引統治の効果も必要とされ:1910年代に中小製糸家の参入に伴う格付けの混乱 → 生糸取引には二つ基準が併存 → 同じく非対称性を解決するが、取引費用の帰属が違う ← 技術条件や、歴史的な経路といった外生的な条件と他の制度との補完性によって選択される)

○ 利益を追求するための生産組織の設計により、内生的な取引統治の制度が形成される。また、両者は補完的になり、自己強化の発展になりうる。しかし、状況により、外生的な取引統治の制度も必要である。

c)賃金制度

– 製糸家にとって、労働者に対する誘因制御はWWRIIまで重要な課題:1。製糸家は1880年代末から相対賃金制を導入した。2。1900年代前半までの間に、多次元的な業務の成果を全て賃金に反映させる賃金体制が構築され。

– 1890年代急激な拡大により、労働市場は常に逼迫していた → 個々の製糸家は自身の雇用する労働者の移動を妨げようとする(非効率均衡)→ 労働者の移動取引を効率化するため、諏訪郡の製糸家は諏訪製糸同盟を結成し、労働者登録制度を作った。労働者の使用権を事実上の物権として取引する制度を構築した。

(新制度学派は近代的な市場経済の発展には、近代的な所有権を保護する近代的な司法制度の形成を必要とした。しかし、公的な司法制度が常に最適な取引統治を提供するとは限らない。近代製糸業の発展に伴って、取引を私的に統治する制度が形成された。)

 

3。組織的な市場取引:

金融市場が非効率的であれば、補完的に資源配分も歪み、技術的に最適な投資水準が満たされず、社会全体が停滞的な均衡に止まってしまう

*近代製糸業の発展過程(続):

– 1880年代以降における日本の産業化において、日本銀行を始めとする政策金融機関は金融市場の拡張を促した:

産業組織の再編により、製糸家が大量の原料繭を購入、加工されるまでの短期間のうちに、大量の資金が必要となる。この購入資金の多くは銀行の資金供給を受ける横浜の売込み問屋や、地方銀行から借り入れられた。また日本銀行は横浜正金銀行や市中銀行を通じて、近代製糸業に対する大規模な信用供与を継続的に行った。

 

— しかし、高度成長期における日本の事例のような、政策金融の成功は希少であり、これは資金配分を政府が直接に制御する、統治的な手続きのせいだ ← 情報非対称性によるmoral hazard ← 適切に選別、監視することが必要

 

→ 製糸家に対する金融の中、最も重要なのは売込問屋の金融:売込問屋が特定の銀行との間に長期的な関係を結び、そして製糸家が特定の売込問屋との間に長期的な関係を結び、銀行による売込問屋の監視と、売込問屋に製糸家の監視が、適切に機能することによって、より効率的な取引が可能となる

← 逸脱しない理由は、レントの配分にあった。日本銀行の供給する低利金利から生ずるレント、また関係の下における効率性の増大が十分に大きなレントを生ずる。→ 1890年代後半以降、横浜金融市場は自律的な調整機能を強めて行く。

○ 取引統治の制度を私的に形成される場合=組織の長期関係の形成=一種の大きな組織の形成にはレントの存在と見込みが必要

 

問題:

1。なぜ諏訪だけ。在来産業発達地域との差別

2。内部の強いインセンティブ設計の可能性と意図性

3。外部制限から多様な経路-内部組織再編を決定する要素

4。上海製糸業に対する日本の優位性:情報の非対称性の解決

 

[1]

– やがてはマクロ経済構造をも大きく変えてゆくであろう重要な変化であっても、当初はマクロ経済指標を激変させる変化としてではなく、国際自由市場に対して開かれた、個別の地域における産業化への動きとして現れるであろうからである。

– 理由は:1時間差。1880年代に近代製糸業や紡績業が勃興した後もWWRIまで、在来産業の拡大は続いた。2国民経済の平均的な水準を超えて発展した近代産業にふさわしい大量需要は、実際には国際市場によって与えられてきた。先端的な近代産業は、国内に需要を創出しつつではなく、国際市場の構造に反応しつつ発展し、その成長が、やがて国民経済経済の構造をも変えてゆく。(日本の近代製糸業とアメリカ市場の需要)

 

[2]

– 制度:経済主体が自己執行的に従う行動制約を、技術的に決まるものと、それ以外の社会的な条件によって決まるものとに分けるならば、その社会的に決まるものを制度と呼ぶ。

– 近代的な市場制度は、社会において内生的に作られた制度である。しかし、それが制度として安定すると、個々の経済主体は、その市場経済を外生的な与件として、さらに新たな制度を形成してゆく

– 近代的な市場制度が既に成立した社会において、経済発展を左右する重要な要素の一つが組織である

– 組織:組織を構成する経済主体相互の関係においては、組織の目的のために最適な行動制約が存在する。その行動制約に従うことが、従わない場合よりも自己の利益を増やす時自己執行的に従う。

– 近代の社会において、最も重要な取引統治の制度は市場制度である。

 

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◆ 谷本雅之「問屋制家内工業の経営管理」

「問屋制家内工業」という戦前日本の産業発展において(工場制工業のほか)重要な生産組織の形成と存続・発展の要因

家内工業:零細な作業場(生産現場の就業形態)

問屋制:原料供給を基軸として組織する主体(産業経営の方法)

問屋制家内工業:工場制の未成立ゆえに江戸時代の生産組織の残滓というより、むしろ1880年代以降本格的に普及する新しい生産形態。→ 近代日本の産業成長の過程において、新たに採用された生産組織

しかし、問屋制は管理問題から見た経営の不安定性と生産管理の困難(原料の着服)が常に抱え、それを回避するには集中作業場として工場の成立を促した。

また、家内工業生産の活発化が、必然的に問屋制的な組織化を現出することではない(中国、インドネシア)。問屋制家内工業のような生産と流通の組織化は、商人・小農の活動から、自動的に導き出されるものではない、むしろ近代日本の産業発展の特徴の一つであった。

 

2 買入制から問屋制へ

買入制:織物生産を担う農家と仲買商の取引が、製品の売買を基本としていた

問屋制:1880年代後半から1920年代の力織機工場の族生まで、問屋制経営=織元が本格的に出現し、(入間地方)の織物生産の中核となる

→ 製織工程は共通、区別は原料糸調達:買入制では農家が自ら原料糸の調達、加工を担当し、織りあがった製品を仲買商に販売する。問屋制では原料糸の調達、加工は織元が担い、家内工業の製織作業に対して織元が織賃を支払う契約担っていた。→ 織元は仲買商より大きいリストを担う。

問屋制が広がった要因は:

1880年代から顕著となる織物市場の需要の高度化(発注される織物についての細かく分類を要求され)を背景とし、産地間競争の激化であった。→ 多様な織物の調達は、原料糸の供給によって、あらかじめ集荷する織物の特性を決定しない限り難しい。(競争力を維持するため生産を組織化)

 

3 問屋制の経営管理

1)賃織と農家経営

販売市場の情報を生産に反映させる仕組みの進化なら、集中作業場の工場制は問屋制より効率的である → 工場制に対比して問屋制経営の有するメリットとデメリットの比較考量

労働力の調達・管理:

賃織世帯は、一方で農業経営世帯であり、労働供給は農家固有の労働需要に大きく規定された。農家内の相対的に安価な余剰労働力を調達するためには、問屋制経営の採用以外にはない → 相対的低賃金と生産現場の分散性のpay-off ← 管理問題を処理し得るか否かが問屋制経営のメリットを決める

2)取引の規模と継続性

発注=回収反数の増大は、発注先賃織戸数の増加とともに、一戸あたり年間発注の比較的大きな賃織との取引によって実現していた。とはいえ、賃織別の発注規模の多様性は存続し、むしろ滝沢家は、賃織によって発注行動を使い分けていた。中核的な賃織とは、比較長期にわたって発注を行い密接な関係を形成し、その一方で、多くの賃織を小規模で短期的な取引を行い、年間発注反数の変動に対処していたと考えられる。(規模の差はなぜ?成長の可能?調整として使うのは100反未満だけのではないか?だから年数は短期になるの?)

3)賃織の地理的分布

発注先賃織の地理的分布を見ると、滝沢家の発注先は、各時期ごとに特色を示していた。主な特徴は従来の出荷地の影響力から脱し、滝沢家の所在地と地理的に接近する地域への発注に傾斜した(凝集的な産地構造の形成に向かっていた) → この取引先賃織の分布の変遷は、地理的拡散がもたらす管理問題への戦略的対応を示すもの。(なぜ東金子は減少した?)

○ 2)+ 3) 組織形成・発展の行動 → 機会主義の抑制+管理コストの削減+需要変動への対処

4)集荷管理-原料糸抜き取り問題

原料糸抜き取り問題:賃織が渡された原料糸の一部を製織せず、手元に留保しておく → 品質面で欠陥を生ずる (実際滝沢家の場合、原料糸と製品の重量比率は92.8%〜96.3%)

→ この行為を織元側が掌握すれば、織元側が賃織の糸の保留を前提に、あらかじめ多めの原料糸を渡し、品質問題を回避することができる。

← 実際、1910年代半以前に歩留まりは入間地方の織物生産動向と逆相関の関係が見られことは、滝沢家における集荷管理手法の発展を示した。(生産拡大時期に賃織を確保ために余分な原料糸を給付し、逆の時期には給付量を絞る)

→ しかしこの誘因制御はコストをかかる:+7.8%の給付=40%弱の利益の喪失 ← 織元の申し込みにより、政府からの取締が行われ、原料着服また織元が意識的に行う余分な現物給付を禁止され、歩留まり自体の上昇を実現された

(moral hazard → political economy)

○ 経済主体が効率性のため実行した組織制度の形成・発展は必ずしも最も効率のいい均衡を達成するわけではない。非効率均衡を避けるためには取引統治の制度が必要。

5)集荷管理-納期遅延問題
納期遅延問題:問屋制家内工業では、労働時間を賃織側の裁量に委ねられる(農繁期に製織日数が顕著に増える)+コストの過半を占める原料糸の回転を早めることが利潤率を上げる+織物需要の季節性により、迅速な織物調達は経営上に最も望ましい

→ 1900年代半から1920年代まで、滝沢家の製織日数は短縮化された

← 高機能の織機転換+発注規模の増大と発注地域の集中化による、賃織との接触(製織督促や他の織元からの依頼への牽制)を効率化し、賃織の納期管理をする ← 織元との接触の度合いが製織日数に影響を与える

 

○ 外部市場構造の変化と制約条件により、組織が変化と形成を始めた。従って、各内部経済主体は個々の利益のため戦略を調整し、組織内の制度を整備し、組織変化と形成を安定させる。また新たな外部市場構造の変化が出来たらこの過程を繰りかえす。

○ しかし、歴史の経路は必ず正しいかどうか ← 外来的な与件は市場構造に与える制約条件は組織発展経路を決める。しかし経済主体は必ずしも効率的な均衡を到達できる保証はない。初期の市場構造により経済主体が取ったex-anteな行動が予想されないex-postの利益または損失を生じるかもしれない。(例えば、諏訪郡の機械製糸家と入間の在来製糸産業との比較)

○ 管理コストと誘因制御、また補完性から考えると、経済主体間の関係における内生的な取引統治の制度は第三者の統治における外生的な取引統治の制度を優れる。(expectationにより関係が維持できる時限定?)

 

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◆ 谷本雅之「生産組織の選択と技術」in 「日本経済史」第3章

1。欧米型生産モデルの移植

生産組織の選択 ← 生産技術 ← 製品市場および生産要素市場の条件

後発国の工業化における大規模機械制工場の直接的な導入(資本財に体現された製造技術と動力源+集中作業場=資本集約な性格) ←  相対的に労働が豊富で資本の蓄積が不足している日本では、必ずしも資源賦存に適合ではない / ← しかし、競争上求められる生産性と製品の質を他では実現できない場合、同業への参入にはこの欧米型生産モデルの移植が不可避:機械紡績や汽船造船業、近代製鉄業

○ 組織形成の選択は従来の基礎から競争をできるまでに必要される技術程度で決める漸進改造全面革新の2パタンがある。前者ができる場合には、従来の資源賦存を利用しつつ、もし内生的自己強化的効率のいい循環になり、またその組織関係性から後者の市場よりもtranscation cost低減またincentive向上また技術的な予想できぬ利益を発生することができたら、後者より持続的な高速発展を獲得し得る。(必ずしもではない、むしろ発展の中間過程にすぎないケースが多いかも)

機械製綿糸紡績業
開港後輸入された機械製紡績糸 → 広範囲な国内綿糸市場が形成され →  機械製紡績企業設立の動き → 規模の過小性、水車利用の不安定性、紡績技術者の不在、イギリス紡績機械と国産綿花の不適合により、経営的には成功しなかった(単に機械導入だけでなく、世界レベルで標準的な生産方式がセットとして移植される必要)→ 明治の紡績業史を主導するビジネスモデルを示す大阪紡績会社:大きな生産規模、蒸気機関として動力源、日本人技術者、原料綿花を中国綿やインド綿へ → 追随する紡績企業の勃興を経て、国産綿糸による国内市場の輸入代替を達成

こういったビジネスモデルの移植には:
a) 立ち上がりから多額の設備投資資金が必要となる ←  株式会社制度(生産組織の移植 ← 地方政府の指示)
b) 高い資本コストと相対的に安価な労働力による機械技術の経済性 ← 昼夜二交代制(深夜業、24時間操業)の採用による期間あたり生産量の増大 + 作業の熟練度を下げ、低賃金労働力の利用可能性を広げるような技術選択
c)  資本回転率の高め ← 技術面:機械の円滑運転+工場の安定操業 ← 技術知識を備えた人材の確保(高等教育機関、海外で技術研修)

製鉄と造船業:
伝統製鉄:機械用不向き、低品質 → 近代製鉄:官営経営不振、民営再生させ、低い労賃により競争力、しかし生産量限界、資本不足 → 官営八幡製鉄所(1901):資本集約的な技術体系の導入、日本鉄鋼生産急速増大、自給率上昇 ← しかし生産効率キャッチアップは1910:官営での政府からの補助金

(機械工業を代表する)造船業民間造船の出発:1880年代官業払い下げによる安価な設備入手 → 1890末政府が補助金奨励金を通じて海運業を助成 ← しかし設備投資の資金源が封鎖的な出資(製鉄業:官営主導/紡績業:公開株式融資)+ 造船所の経営規模の拡大は技術習得のプロセスと並行 == 生産技術の移植定着が、作業現場の労働力の技能水準に依存(技術形成熟練問題)→ 民間造船所は20世紀後直接管理体制への移行

2。適正技術と生産組織

製糸業と鉱山業の適正技術:初発のモデル導入と異なる1900年代からの大規模経営
- 諏訪の機械製糸経営の技術導入が、固定設備の直輸入ではなく、設備投資額を極力抑えつつ、機械製糸による品質と生産性工場を図った => 資本コストを節約し、日本の資源賦存の下でも経済性を発揮しうる方向へ移植技術を適正化
- 1890年代以降、日本最大の石炭生産地へ成長する九州石炭業は移転された技術を簡易化されつつ適用され、これによって直接移転より小型で安価で、資本コスト節約に資する

規模拡大の理論:
- 機械製糸経営の大規模化は、大量斉一の製品供給要請への対応、アメリカ市場への適応の中で生み出されてきた
- 炭鉱業の大規模化は、機械設備の高度化大型化など規模の経済性という経営の資本集約的な性格 ← しかし事業展開のプロセスの中で進展、個人鉱業家の資本蓄積
=>> 大規模な経営体の成立が生産現場の機械化を必要ではいなかった → 労働力の動員と管理:
- 製糸は労働者の努力水準を維持(労働成果に基づく賃金制がもたらした競争は全体生産性の向上と賃金総額の抑えを両立させ)
- 鉱山労働では、生産現場を経営側が把握しきれない、労働成果と労働投入を関連づけ難しい → 労務管理システム、炭鉱の親分など、会社の委任によって指揮管理 → 情報非対称を背景し中間利益の発生 → しかし労務管理の直轄化しよとしても、排することは難しい:作業現場を熟知し、熟練の技能を有する + 保証人、生活と困窮を保護救済という社会的な機能 =>> 適正技術の導入+間接管理システムの結びつくは明治期の鉱山業発展の基盤

3。分散型生産組織と産地集積

分散型生産組織の展開:

産業技術の移植→資本設備 + 資源賦存や市場の特性への適応の必要性 => 大規模経営的な産業発展

技術的な基盤 [ 新原料(機械製紡績糸・化学染料)の導入 + 在来手織機の改良 ]  => 在来織物業の発展? (条件に応じて製品と販路の多様性が見られ)

e.g. 1. 綿織物:
1890年以降:A] 在来綿織物業:輸入綿糸から国産の機械制綿糸へ原料供給源を切り替え、拡大する国内市場を販路として生産を伸ばし、各地で多様な綿織物が開発生産され、特に先染めされ着尺用木綿で、有力な生産地が形成され / B] 綿糸紡績会社が綿布生産を手掛ける兼営織布が生産された綿布は粗布が多く、国内市場向け販売の挫折の結果、1900年代に朝鮮中国への輸出が主な販路となった

e.g. 2. 絹織物:
A] 先染めの絹織物生産は、高級品の頂点の京都西陣から、群馬桐生、栃木足利など、近世以来の有力生産地が地位を維持 / B] 平織りの羽二重は、新興の石川県、福井県がアメリカを中心に急速に輸出を伸ばし / C] 絹綿交織物が、足利や先染め木綿の生産地尾西、入間などで開発生産がなされ、需要の増大によって、国内織物市場の高度化が見られ

+ 1880年以降:織物業生産者の多くが賃織←それを編成し、織物を作り上げる織元 (1870年まで仲買商が買い集め、集散地の問屋商人に売りさばくという買入制 → 織元へ転換) = 問屋制(putting-out system) = 近代工業の形成に先たつ工業 = proto工業の典型的な生産組織 → 規模向上、品質向上、市場情報の流通を担う、incentiveを作り、長期継続的な取引関係を構築 => 管理生産問題を解決

問屋制的な生産組織 → 非農業地域の大都市でも広がる:
メリヤス産業:大阪東京に立地し、有力な輸出向け消費財として台頭 → 初発の段階:輸入新鋭機械を設置した機械制工場(技術移転) → 間も無く経営的に行き詰まり → 明治中後期の生産増大:中小零細業者の簇生(製造問屋制生産組織)← 製造工程が細分化され、独立製造業者が担当 + 製造問屋が原料供給、工程組織管理、仕上げ、(卸売問屋や輸出商へ)出荷を担当 (プラシやボタン生産などもこの生産方式)

産地形成と集積:

生産現場の零細性 → 分散型生産組織 ← 生産現場と関係業者の比較的狭い地域への集中立地:
織元の経営:産地織物業:地域の核の町場←原料製品商人+染色業者+金融機関+同業組合+実業教育機関 #生産の地理的集中 産地形成
織元により力織機の導入:[問屋制家内工業→機械制工場] ← 安価な力織機の国産化(主に織物生産地の近傍で進み)→ 資本財↓参入も容易 → 中小規模工場の簇生

機械制工業化 <= 産地を基盤とする産業発展 => 続く

中小経営:[a]近世来の技術基盤の上に展開:陶磁業 + [b]技術移転が関与:機械製造や金属加工 => 用途と価格水準で必ずしも適合でない→国内製造者の販路開拓の余地 => 1] 需要地に近接する地方都市部にこれら中小機械経営が立地 + 2] 大都市部に、中古や国産低級機械、規模の異なる注文に応じ、中小工場の簇生:e.g. 東京の本所・深川(江戸以来金属加工雑工業の前史)+京橋・芝(兵工場、芝浦製作所など大規模の存在)← 緊密的な取引関係+産地、多数の事業主体が地理的に近接→補助的産業の発達+熟練労働市場の形成+情報の伝播共有など外部性(marshall)

複層的な産業発展 => 対応する多様な資本財生産者

4。生産組織としての地主制

農業発展と技術:

地主制の形成:

小作契約と農業生産:

 

◆  中林真幸「日本経済の長い近代化」序章、終章

序章 「取引の統治と諸市場の逐次的な拡大」

終章 「共同体と市場、市場と企業」

 

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