3 simple economic models (micro)

Study notes

1。Design of Contracts: Risk Absorption in Subcontracting (principle agency model)

Risk absorption in Japanese subcontracting: A microeconometric study of the automobile industry

The design of contracts: Evidence from Japanese subcontracting

Aggregation and Linearity in the Provision of Intertemporal Incentives

 

2。The fraud of full refund if not satisfied (principle agency model)

“全额退款”骗局的一点分析 (a problem of Hidden Action)

“模型参数:

1. 有两个参与者:委托人P和代理人A。
2. 代理人A可以选择努力(“包成功”,成本为c)或者不努力(什么都不做,成本为0)。
3. 当代理人A选择努力时,以概率1事件成功;选择不努力时,以概率p事件成功。
4. 事件成功给委托人P的收益是U,事件不成功给委托人P的收益是0。
5. 委托人无法观察到代理人A是否努力,只能观察到事件是否成功,因此委托人只能根据事件是否成功给予报酬:当事件成功时,委托人支付给代理人R,事件不成功时,支付r。
6. 委托人和代理人都是风险中性的,即代理人的效用函数是报酬减去成本,委托人的效用函数是事件收益减去报酬。
7. 代理人如果不接受委托,其收益是0(即Outside Option)。

因为我们希望设计报酬机制使得代理人去努力,因此委托人面临的问题是:

\max_{R,r} \{U-R\}
s.t. R-c \ge pR+(1-p)r
R-c \ge 0

注意到r只出现在约束中, 且我们希望R越小越好,因此

R = c
pR+(1-p)r\le 0 \Leftrightarrow r \le -\frac{pc}{1-p} <0

也就是说,一个使委托人效用最大化激励相容的机制应该满足:

1. R=c,也就是说,当事件成功时,报酬应当达到代理人所需付出的成本。

2. r<0,也就是说,当事件不成功时,不仅要全额退款,还要倒贴补偿。

反之,如果我们令r=0,那么约束条件就变成

R-c\ge pR \Leftrightarrow R \ge \frac{c}{1-p}>c

也就是说,如果在事件不成功时我们只要求全额退款,那么在事件成功时我们需要付出高于代理人的成本的报酬,才能让代理人愿意“努力”。”

(首先在这里我们可以有个简单结论,要激励agency的话,我们可以故意提供让他觉得p很低或者c很低的信息,来做诱导。)

但是这里要多讨论一些问题。因为你拿一个现实情境套的话会有不一致的地方。

a)在公式里U是不影响的R的,而事实情况往往是U越大R的收费往往会越高。这里的关键我猜是不是应该是由于Principle是观察不到c的,所以虽然的确是由agency来开价principal可以还价,定价权主要还是在agency手上,R是U的一个函数。

b)类似的,按照最后的约束p越低,pR越低,需要的R就越低,但是在一些案例里,p越低可能代表需求更高端,U更高,导致R收费增高。

c)其实这个问题本来就不是只能讲骗局而是普遍存在。更加符合现实的是假设Agency努力只能让p增加成p’,而且Principal无法观测到p’的话,然后p’又是c的一个函数(边际递减),Principle的函数是max(p’U-R), Agency的函数是max{p'(c)R(U)-c, pR(U)}。

 

“进一步地,让我们考虑一个更现实的设定:

市场上有两类代理人,其成本分别是C和c(成本为c的所占比例为q),且C>U>c,换言之,委托人永远不会找成本为C的这类代理人;此外,委托人无法观察到代理人的成本,而是由代理人自己报告。

这样一来,我们的模型就既有Hidden Action,而且也有Hidden Information。但是由于我们已经知道委托人永远不会找成本为C的代理人,所以所有代理人都会汇报自己成本为c。

接下来:

(1)我们显然不可能让所有代理人都努力,因为我们支付不起成本为C的代理人的报酬;

(2)如果我们支付的报酬使得所有代理人都不努力,那我们应当索性不支付报酬;

(3)除开这两种情况,我们可以让成本高的那部分代理人选择Outside Option,来解决Hidden Information的问题。剩下来的就是成本低的那部分代理人,我们希望这些代理人选择“努力”。

这同样意味着pR+(1-p)r< 0 \Leftrightarrow r < -\frac{pc}{1-p} <0(注意这里都是严格的不等号),也就是说,当事件不成功时,不仅要全额退款,而且要倒贴补偿。

注意,在Hidden Action问题中,这一要求来自于(激励相容下的)效用最大化(注意不是来自激励相容),而在加入Hidden Information之后,这一要求直接来自于Screening的需要。”

这一部分我想去学下知识完整一下模型再回来想。

 

3。A strategic model on restaurants allowing smocking or not (game theory model)

飲食店による禁煙・喫煙ルール選択の戦略的分析

・プレーヤー:2 つの飲食店 A と B
・戦略:「禁煙(N)」と「喫煙(S)」。それぞれのタイプの店をxs, xnとおく。
・利得:獲得できる消費者(の割合)
・喫煙慣習:喫煙者(愛煙家、s とおく)または非喫煙者(嫌煙家、n とおく)
・個々の消費者の選好は「喫煙慣習」と「店に対する好み」の 2 つの要因によって決まるとする。「店に対する好み」は、同質財(第 2 節)と異質財(第 3 節)の 2 通りの環境を考える。

*同質財のケース :

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ξ: 喫煙者が店を出て喫煙所で一服するため(あるいは食事中に喫煙を我慢すること) のコスト
δ: 非喫煙者が受動喫煙から受ける被害
→ 喫煙者は禁煙店にも入る一方で、非喫煙者は喫煙可の店を利用しない

・喫煙者の割合を1 − p、非喫煙者の割合をpとおく(pは外生的なパラメータ)。各消費者はたかだか 1 単位の財を消費する。各店舗が同時に S か N かを決定する同時手番ゲームは次の利得表:

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・p>1/2, N が支配戦略となり、(N, N)が唯一のナッシュ均衡となる。消費者余剰はv-(1-p)ξ。
・1/3<p<1/2,支配戦略はなく、ナッシュ均衡は(N, S)、(S, N)の 2 つとなる。消費者余剰はv。
・p<1/3, S が支配戦略となり、(S, S)が唯一のナッシュ均衡となる。禁煙者が消費しないことから、生産者余剰は(上の 2 つのケースより)下がる。消費者余剰はv-pδ。

これらの結果を踏まえると、より一般的なモデルを考えたとしても、選好が同質的な場合には禁煙店と喫煙店が混在しているような市場が厚生上は望ましい、ということが予想される。逆に、その状況において、強制的にすべての店舗を「禁煙」もしくは「喫煙可」に変え てしまうと、厚生上の損失が生じるため望ましくない。

*異質財のケース :

・消費者の店舗に対する 好みは異質で、A を好む消費者(a)、B を好む消費者(b)、無差別な消費者(g)の 3 タイプ が、それぞれ(θ/2, θ/2, 1-θ)の割合で混在していると仮定する。

・以下では、自分の好みの店からは-v、そうでない店はv_だけ効用を受け取ると考える。
・消費者 g がリスク中立的であれば、v=1/2(-v+v_)となる。その地域の飲食店情報に詳しくない観光客タイプの消費者は、この g とみなせるだろう。

スクリーンショット 2017-05-31 22.32.02

・タイプ g は、喫煙者であれば禁煙店にも入るものの、非喫煙者は喫煙店には入らない。
・タイ プ a と b について、喫煙者は、自分の好みの店が禁煙で好みでない店が喫煙可であるとき (コストεが大きくないため)前者を選ぶとする。

スクリーンショット 2017-05-31 22.41.22

プレーヤーである飲食店の最適反応は、前節で求めた同質財のケースと全く同じとなり、パ ラメータθに依存しないことが分かる。しかし、それぞれの均衡における消費者余剰は前節とは異なる。

スクリーンショット 2017-05-31 22.45.01スクリーンショット 2017-05-31 22.46.30

以上を整理すると、異質財の場合には、「禁煙」「喫煙可」という異なる戦略を飲食店が選 ぶような非対称均衡は(消費者にとって)もはやファースト・ベストとはならない。なぜな ら、消費者の好みの店がその人のタイプに合った禁煙・喫煙ルールを選んでいない、という ミスマッチが起きてしまうからだ。特に、喫煙者が店内での喫煙を控えるコストεよりも非喫煙者が受動喫煙から受ける被害δの方が大きいという仮定を踏まえると、非喫煙者のミ スマッチによって生じる余剰損失は深刻なものとなり得る。

喫煙者は好みの店で店内喫煙を我慢するという形で、最適な財(好みの店かつ店内喫煙) の密接な代替財が常に選択肢として与えられているのに対して、非喫煙者は選択の自由が大 きく制限されている、とも言えるだろう。

これらの結果を踏まえると、より一般的なモデルを考えたとしても、選好が異質的な場合 には、禁煙店と喫煙店が混在しているような市場や、ほとんどの店が喫煙店であるような市 場は消費者の厚生上望ましくない、ということが予想される。このとき、そうした状況にお いて、εがδよりも十分に小さいのであれば、強制的にすべての店舗を「禁煙」に変えること は、(少なくとも総余剰最大化の観点からは)正当化される。

 

 

しかし、私からみると、このモデルとそこあら導いた結論は極めて現実ではない。なぜかというと、日本の喫煙者数は約2割と対し、中小飲食店の80%90%は喫煙可である。なぜそういうモデルと矛盾する現実が起こるのか、その理由は仮設の非現実性にあると思う。

a) ストラテジーを選ぶコストは違う。喫煙可の店は黙って何もしなくて十分の場合、禁煙の店は喫煙者を自ら阻止しなねない。もし前者の責任者は喫煙者、後者は店。ありうるのトラブルや直感的に客を追い払うというリスクとマイナスは実際大きかもしれない。

b) 非喫煙は喫煙可の店にいかない選択はそう簡単にできない。店入る前喫煙者がいるかどうるわからない、店に入っでも聞きづらい即時去ることができない、同行者に喫煙者いる場合の我慢、すごく行きたい店などいろんなとこによって、負の外部性を我慢さぜるを得ないとなった。

c) 店がpの数値対する判断が正しいではない。日本の中小飲食店特に居酒屋ような店は客の大半は喫煙するという認識は最近の全面禁煙に対する店側の反対からもよくわかるが、これは居酒屋のタバコと酒の文化がすでに形成されたの影響である。タバコと酒飲みすぎのうるさい人がマイナスの外部性を生じ、潜在的他の消費者を排除し独自の均衡になった。実際ユロバーの一部もともと反対する店は全面禁煙後逆に売り上げをあげた理由でもあると思う。

具体的なモデルはまた考えできでないが、事実から導いた結論は喫煙者は消費者全体の割合の少ない一部しかないの場合でも、喫煙者は全体の環境を汚染し、大半の店は喫煙可という暗黙のルールに従わさぜるを得ないの状況に陥る。

 

Update 2017/06/02

我觉得正统经济学出身的同学在建模时容易忽略两件事:

1 尊重现实。思考理论和实际的差异,然后修正模型。这里并不说要过分刻意拟近,而是从中找出假设带来的问题。

2 思考研究对象作为一个整体的系统情况。只有在一个干净简单的系统环境下,建模才会有意义。

当然建模的好处在这里也是显而易见的,建模可以帮助理清思路,找出最优解(虽然可能没有意义),构建回归方程供统计分析,但是最最重要的还是有时候能帮助超越直觉思维。

Signaling

Signaling in Wikipedia:

In contract theory, signaling is the idea that one party (termed the agent) credibly conveys some information about itself to another party (the principal). Signalling took root in the idea of asymmetric information, which says that in some economic transactions, inequalities in access to information upset the normal market for the exchange of goods and services.

In his seminal 1973 article, Michael Spence proposed that two parties could get around the problem of asymmetric information by having one party send a signal that would reveal some piece of relevant information to the other party. That party would then interpret the signal and adjust her purchasing behaviour accordingly—usually by offering a higher price than if she had not received the signal.

For example, in Michael Spence’s job-market signalling model, (potential) employees send a signal about their ability level to the employer by acquiring education credentials. The informational value of the credential comes from the fact that the employer believes the credential is positively correlated with having greater ability and difficult for low ability employees to obtain. Thus the credential enables the employer to reliably distinguish low ability workers from high ability workers.

There are, of course, many problems that these parties would immediately run into.

  • How much time, energy, or money should the sender (agent) spend on sending the signal?
  • How can the receiver (the principal, who is usually the buyer in the transaction) trust the signal to be an honest declaration of information?
  • Assuming there is a signalling equilibrium under which the sender signals honestly and the receiver trusts that information, under what circumstances will that equilibrium break down?

*Job Market Signaling, Michael Spence, The Quarterly Journal of Economics, Vol. 87, No. 3. (Aug., 1973), pp. 355-374.

 

Lecture notes on Signalling:

Signaling

Market Signaling — Theory and Evidence

Information Economics: tools developed in game theory to analyse the effect of informational asymmetries in the models of: 1) adverse selection; 2) signaling; 3) screening

 

The debate on college and signaling:

Economists: Drop the Signaling Fad

Educational Signaling: A Fad Whose Time Has Come

A follow-up on college and signaling

What Does Education Signal? Answering Arnold’s Challenge

COLLEGE: CAPITAL OR SIGNAL?

 

Others:

Econ theory as signaling?

(to be continue)

 

 

 

USD/JPY views 2017/05

首先研究一个基础问题,为什么日元是避险货币?

日本的基础货币供给正在并仍注定将大幅增加,且日本的国内机构投资者早已成为了日元债券的抛售方,并且正在增持外币资产以求提高收益,央行就不得不接盘债券,所以实际上日本央行已经丧失了对货币供给的控制能力,而一个无限增加的货币加上国内投资者的资产转移,怎么结果会是避险升值,而不是贬值呢?

“日本长期货币超发、经济萎靡、债务高企、国债收益率接近0甚至负数,无论如何看上去不像个优秀的“避险天堂”。”(虽说“IMF在2012年的研究发现,避险货币们有着三大共同特点:低利率、该国外币资产头寸庞大,国内金融市场流动性好。”)

以下两篇文章的解释似乎可以参考

1。日元“避险升值”属性的根源在哪?大家可能都理解错了

一个解释是日本国内投资者在遇到海外风险事件时(VIX飙升),会将外币资产抛售/或减慢购买外币资产的速度,造成对日元汇价的推升。根据IMF的研究,如果发生此类现象,应该通过日本的国际收支平衡表(Balance of Payments)体现出这些资金流动,但事实上,在几次大型“避险趋势”出现的时候,并没有观察到私人部门有大量资金回流日本,这点和瑞士的情况不同。所以这种流行的理论解释日元升值是有问题的。

第二种日元在风险面前升值的解释是:金融市场在面对风险事件出现波动时,是对未来货币政策的走向的反应。这个听着就不太靠谱。

第三种解释是:其实在风险面前,日本投资者确实调整了海外头寸,但这种调整在国际收支平衡表中反映不出来,因为其中不少交易是以金融衍生品(远期、互换、期货、期权)形式完成的。(或者说更多是对头寸进行再平衡,而非减持)

在遇到风险事件时,包括日本的出口商、海外分公司,或者持有海外资产的投资者,甚至投机者都会参与到日元升值这一或许是“自我实现”的过程中来。相反的是,日本进口商和背负美元债务的企业则无需进行汇率对冲。

总结来说
“日元确实有在风险事件后升值的趋势,但是升值的逻辑和其它避险货币不同,尤其是跟瑞士法郎。日元的“避险升值”没有伴随跨境资本流动,并且也和货币政策的市场预期无关。证据显示,日元的升高跟日本离岸资产的仓位调整有关,通过衍生品去完成做多日元的工作。很难说日元升值和头寸调整哪个在先哪个灾后,有可能两者是个自我实现的循环。

2。宏观交易入门:日元避险货币之 宝宝心里苦但宝宝不说

很多分析试图从基本面解释日元的避险属性,为此找出大量的理由,比如日元的外汇储备和国际贸易顺差等等,但如果顺着基本面,抬杠人士总能找出反例,比如挪威的人均储备和顺差更加亮眼,但挪威克朗在风险事件面前就比日元镇静的多。。。决定Price Action的是形形色色的参与者手中的头寸,只有通过观察市场参与者的行为,才能找到避险属性形成的原因。在这个方面,Botman, Filho & Lam (2013),提供了一个很好的视角,解释日元避险属性的形成。

概括一点说,日元避险属性,是日本跨境证券投资头寸天然形成的。自从上世纪90年代日元进入零利率时代以后,日本积累起了大量的日元流动性,然而日本经济进入了漫长的资产负债表衰退,企业没有举债意愿,大批资金无处可去,加之资金确实低廉,降低了投机成本,所以日本从金融机构到个人投资者(鼎鼎大名的渡边太太们),都开始大规模投资海外证券市场。这样对银行交易渠道和流动性形成了很大依赖性,也形成了银行的风险敞口和资本占用。

其一,在外汇风险管理方面,金融机构如银行和保险等普遍管理的比较严格,因此往往需要大量使用FX Swap/Forward等工具对冲外汇敞口。这些工具主要是银行提供的,因此巨额的对外投资形成了巨大的FX Swap/Forward市场。其二,对个人投资者如渡边太太们,不管她们是否愿意承担外汇风险,由于她们往往不是在外国金融机构开证券投资户,而是购买日本银行业设计的理财产品例如Quanto等,所以银行也需要利用衍生品对冲

。。。一个巨大的整体跨境证券投资头寸。日元货币政策越宽松,这个头寸越大。其通道,就是日元FX Swap/Forward等外汇衍生品市场,which很不幸的处在对流动性最敏感的地方。所以每次Flight to Quality,日本投资者都会面临FX Swap成本升高,投资收益率下降,甚至追加保证金的窘境。如果是一个高杠杆的Carry Trade投机者,有可能不得不平仓,那么他出售外币头寸并买回日元以偿还信贷的行为,将推动日元升值。

然而为什么这个现象独见于日元(美元和欧元都经历了0利率和负利率,丹麦克朗甚至早在2012年就进入负利率了)?为什么交易量巨大的日元外汇市场,竟然吸收不了一小批Carry Trade资金流?为什么Carry Trade建仓的时候不见日元大幅度贬值?

虽然同为重要的国际化货币,但是日元的国际化,其实是做的相当差,约有1/3的日元交易,是在日本之外完成的。如果是日本资金投资海外债券和股票,欧美金融机构的能量还要大。如果欧美金融机构对日本资金流发言权太大,就会形成两个现象。

其一,日本投资者资金量大、过于集中而且单一的僵化行为模式,使之成为欧美资金融机构理想的Front Run对象。而一旦Front Run日本投资者的资金流成为一个所有玩家口口相传的模式之后,反身性会促使所有玩家(包括认定日元基本面上没有看涨的理由的)都或多或少的调整自己的头寸,试图分一杯羹,或者避免被误伤。其二,究竟什么是风险事件,欧美金融机构说了算。

所以,日元的避险特性,应该说是反身性在交易中的自我实现,与基本面并没有特别关系。反身性一旦形成就有很强的韧性,除非原有市场结构被破坏,否则将持续很久。比如2009年以后美元也进入了零利率,USDJPY Carry Trade的能量已经大幅度下降,但是日元的避险货币特性并未弱化,反而在安倍经济中进一步加强,因为玩家们判断日本投资者对外证券投资将只增不减,对银行渠道的依赖更强。

 

然后是近期USD/JPY观点,赤裸裸地打了我之前的脸,不过考虑自己的头寸这种脸我表示还是想被多打几次尽管地打狠狠地打

先来看下之前被打脸的大摩

美/日虐我千百遍,我待美/日如初恋!大摩:继续做多!

美国劳动市场的紧张程度,薪资上行压力正在显现,这料将助于未来几个季度的通胀交易。而日本近来经济数据也向好,大摩预计再通胀将在下半年回归,在这种情况下,日元很可能走软。(日本新财年的开始碰上了全球市场波动较大,日资继续抛售外国资产。未来通胀预期和风险偏好的上升,料将使得日资恢复购买外国资产,使得日元走软。而日本保险公司近来持有外国资产的外汇对冲比率较高。由于美联储加息进程使得对冲成本上升,意味着新财年无法继续对冲。)

而日元的上行空间受限于日本央行收益率曲线控制策略。日本央行行长黑田东彦已经确认,将继续保持当前的资产购买速度不变,表明日本央行下周的政策会议不会有变化。因此将在USDJPY任何一次下跌的时候买入。

扫损后才一周便坐不住了,大摩再挂单做空日元!

 

再总结一下大摩看多USDJPY的理由是:美国短端利率仍有上行空间,美元对冲成本(即做空成本)将越来越高,日本企业减少对冲行为将导致美元对日元走强。此外日本央行将持续进行宽松。而市场低估了美国未来利率路径,2004~2006的情景将重现:美国进入快速加息通道,商业银行活跃起来,货币乘数升高,而日元作为“融资货币”将贬值。此外,日本央行也无法接受强势日元的存在。

险资据说的确在根据美元/日元汇率走势逢低买入,扩大无货币对冲的海外债券持有规模,降低日债投资份额。
日本险企正全线倒向外债,并预计新财年日元将持续走贬,2018年3月末美日汇率上看115-120。为了回避去年下半年以来持续走高的对冲成本,险企还将寻求投资非国债类信用产品,以及进行无对冲的外债投资。”

a)九家险企当中有五家表示要缩减日债敞口,而没有一家表示要主动增加日债敞口,哪怕虽然随着全球通胀前景转好,日本央行推出收益率曲线控制政策,日债收益率自去年七月以来有所好转。”(日本险企普遍认为认为新财年10年期日本国债收益率上涨空间有限,普遍预计日债10年期收益率将落于-0.10%至+0.20%区间,考虑到实际薪资下跌核心消费者物价涨速较预期缓慢,日本央行加息可能性渺茫。而野村预计日本央行将会减少短期日债的购买规模,长期日债购买规模也会有所减少,以帮助提高收益率。
b)若美国10年期国债收益率保持在2.2%左右水平,对冲成本升至1.5%左右,将对有对冲的美国国债投资造成不良影响。有两家险企已经明确计划将削减有对冲的外债投资额。
c)为了避开对冲成本的障碍,日本险企有两条路可选:要么承担信用风险,对海外非国债类信用产品和无对冲外债的投资,要么承担汇率风险。(汇率风险方面,有业内人员表示,若美元汇率短期回落,美元/日元处于110下方,就会考虑进行无对冲的美债投资。也有险企称将在日元升值时,逐步积累无对冲外债敞口。)
d)在险企预测美元相对日元走强的情况下,倒向外债确实是为其提供稳定收益的投资逻辑;但若汇率走势与险企预期出现分歧,险企的投资行为也会偏离目前的投资计划,增加外汇对冲或减持海外债券,因此关注险企的汇率预期至关重要。

但是仍要值得留心的是,去年12月至今年3月,日本银行业净卖出外债才是大头。需要继续观察。(所以上文关于避险货币的论点会不会已经过时了呢?

人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか

近日発売した玄田有史先生の本をはじめとして、この問題についていろんな意見を調べてみた:
(本は買ってないので、ネット上のレビューと関連文章を載せる)

「これだけ人手不足と言われていて、春闘でも4年連続で有額のベースアップが実現しているのに、マクロの数字を見るかぎり賃金上昇がはかばかしくない」

玄田先生が編集した本では「労働需給」「行動」 「制度」 「規制」「正規雇用」「能力開発」「年齢」の七つの切り口のどれか(複数もあり)を中心に展開、もちょっと簡単にまとめると

「労働需給の構造」(労働需給/正規雇用/能力開発):

「実はミクロでは総じて賃金は上がっている(非正規比率の上昇や内転効果で上がっていないだけ)」
「実は人手不足ではない(不足しているのは低賃金の人手/高年齢者や女性にはまだ供給余力がある」
「非正規比率上昇などにより人的資本形成に遅れ」
「人材育成力の低下による「分厚い中間層」の崩壊が原因なんだと説きます。企業から見たら、人手不足だけれど本当に欲しい人材がいないからだと。」
「国際競争部門の動向が非国際競争部門にも波及」

「賃金の調整は時間がかかるもの」「現実にはおそらくこれらの要因が複合的に絡み合って現状があるのでしょうが、個人の当面の感想としては経験的に賃金に限らず雇用関連の調整には時間がかかるという実感はあり、(留保賃金が比較的高い)団塊ジュニアのボリュームゾーンにまだ供給余力が若干残っているのではないかと思っているので賃金が大きく上げるにはもう少し時間がかかるかな」

「賃金硬直性」(制度/規制):

「所定賃金は人員過剰時に下げにくい分人手不足にも上げにくい」
上方硬直性:景気が悪くなっても賃金が下がらない現象を下方硬直性と呼ぶならば、景気がよくなっても賃金が上がらない現象は上方硬直性ですね。
→ 下方硬直性:過去の不況期に賃下げに苦慮した企業ほど、景気回復期に賃上げを控える傾向にある可能性、すなわち「名目賃金の上方硬直性」は「名目賃金の下方硬直性」によってもたらされている可能性があることを指摘する。

また非正規雇用を含む一定的に日本特有な社会現象

「日本の非正規雇用が身分制が強く、生活保障の必要性が正社員との格差の正当化理由だったのに、能力という別の正当化ロジックで都合のよい使い分けがされてきた」[1]

「事実認識として結構衝撃的なのは、第4章(黒田)が示す、就職氷河期世代が見事に低賃金のまま今に至ってきているというデータでしょう。
2010年から2015年にきま給の変化を学歴別年齢階層別に見ると、高卒と高専短大卒で35-39歳層、大学大学院卒で35-39歳層ととりわけ40-45歳層でぐっと落ち込んでいるのです。これはつまり上のコーホートよりも低賃金になったということで、就職氷河期世代が被った「傷痕」効果は極めて大きなものであったことが分かります。」

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また玄田先生が参加した厚生労働省の2015年7月24日 第6回雇用政策研究会にもこのテーマ、特に正規/非正規雇用について議論されたようだ:

○橋本委員:。。。以前にこの研究会で、人手不足なのになぜ賃金が上がらないのかという議論があったことを思い出しました。。。この点について、日本の場合は賃金格差の問題が、職種の問題と正規・非正規の格差とが複合しているところが特徴で、その問題について、非正規労働者を正社員にキャリアアップを支援するべきだ。。。非正社員について「人的資本蓄積の減少やそれに伴う生産性の低下、企業収益の減少・消費の停滞といった経済の悪循環につながりかねない」と書かれていて、この人的資源の最大化ということで、正社員化を促すべきだということも書かれているわけですが、ここを読んで、そうすれば全てその問題が解決するのだろうかという素朴な疑問を感じました。。。。労働者の過不足状況のグラフがありますが、ここでパートタイムの不足感が強いというところで、卸売、小売業、飲食業等が挙げられていますし、この図表とも今の論点は関係するかと思っております。つまり、パートの正社員化を進めても、もともとその仕事でパートしかない仕事というのもあると思うので、その問題を扱わなくていいのかどうかということが疑問としてありました。

。。。私が勉強しているドイツでは、正規と非正規の格差というのはほとんど問題にならないのは先生方も御存じのところなのですが、やはり賃金格差の拡大というのが大きな問題になっており、それが低賃金職種の拡大の問題なので、それに対する対策としては最低賃金の引上げが考えられているのかと思うのですが、その問題を報告書を読んで感じました。

。。。私自身は長時間労働を抑制するのはとても重要だし、現状において過重労働の問題がこれだけ深刻になっていますので、今、長時間労働をやめさせようというときに、そのための方策として業務量も見直していくべきだという点を指摘すべきではないかと思いますので、ここはむしろ重要なところなのではないかと感じました。

○中井雇用政策課長 。。。賃金がなぜ上がらなかったのかという話については、例えば 6 ページの辺りに分析結果を引用しながら、この間、賃金と生産性で乖離は見られた指摘をさせていただいたり、 22 ページの辺りでも「賃金の改善について」ということで、動きをいろいろと書かせていただき、なかなか解がこれだと言い切る自信のない。。。

○玄田委員 。。。2 月に発表された暫定版、速報版を見ると、正社員よりは正社員以外のほうが賃金は伸びている感じ、男性よりは女性のほうが賃金は伸びている感じ、全般的には中高年女性の正社員以外の賃金が伸びている感じはします。職種までは細かいところは見えていない、規模別には余り特徴がない感じがします。。。

それと併せて、人手不足なのだけれども、 60 代以上の特に男性の賃金が下がっているのは、そこは就業率の拡大のところと関係しているので、その部分に関して言えば、若干供給圧力の大きさが賃金の引き下げ圧力になっているし、就業者の高齢化ということになると全体への賃金の引き下げ効果も大きいから、それがとても大きいように見えます。

もう 1 つは、黒田さんには少し言ったことがありますが、賃金が下がって見えるのは、第 2 次ベビーブーマーが非常に賃金の伸びに苦しんでいるように見えます。つまり、就職氷河期世代で入って、長時間労働を経験し、場合によっては十分な教育訓練を受けなかった結果として、 40 代に入っても余り賃金が伸びていないとすれば、それは冒頭に座長がおっしゃったような、一時的な問題ではなく、そういう不況とか長時間労働とか、いろいろなことが重なってしまった、ある意味ではとても申し訳ない世代に対して、賃金が伸びないということが大きいとするならば、それは本当にこれからの世代に対して我々が何を考えていかなければいけないかという、とても大事なメッセージに見えるので。。。

○樋口座長 。。。もう 1 つ、正規と非正規の問題における賃金格差の問題については、この間の OECD のレポートで、やはり日本は個人単位で見たときの賃金格差は非常に大きいが、世帯で考えると、安定している夫と非正規の妻とが結婚しているカップルにおいては非常に差が小さい。ただ、単独世帯が片方で増えてきている中で、従来とは違った動きというのが起こっているのではないかということで、世帯単位の貧困の問題と、低賃金の問題というのが必ずしも一致しないというのが、日本の特徴だというような記述があると思うのです。

ここで考えていくのは、労働市場の問題としてということだから、当然世帯の所得格差の問題というのもあるけれども、どうしても個々人についての賃金の問題が、これだけ大きな差があっていいのかという。。。

他の記事:

1。なぜ賃金は上がらない?/人手不足倒産の原因

世の中には、人手不足と低賃金が両立してしまう分野がある。介護や警備、海運などだ。 なぜ労働の供給が足りないのに価格(=賃金)が上がらないかといえば、労働市場は「自由な市場」ではなく、需要と供給による価格調整のメカニズムが働かないからだ。

a)会計の観点からいえば、人件費を支えられるほどの売上を確保できない、つまり生産性が低すぎる会社だから、人手不足で倒産する。「人手不足なら賃金を上げればいい」と無邪気に言うが、人件費を商品の価格に転嫁できるとは限らない。売上を伸ばす余地がなく、経費削減の余地もないという生産性の低い事業は、賃金水準が高騰すると人手不足を解消できなくなり、事業を継続できなくなる。

b)賃金に下方硬直性がある理由は、だいたい3つぐらいある。団体交渉(労働組合)、法規制(最低賃金労働基準法など)、デフレだ(賃金が下がれば、労働者の購買力も減り、物価水準が下がってしまう)。しかし、これは現代の日本人の肌感覚ではあまり説得力を感じられないと思う。というのも、バブル崩壊以降、日本人労働者の名目賃金は減り続けているからだ。サラリーマンの平均年収は1997年の467万円をピークに下がり続け、現在では415万円だ非正規雇用が増加したことを考えれば、労働者全体の収入はもっと減っていてもおかしくない。

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c)「生産性の低い企業」が現れる理由の一つは産業の長期均衡。どんな産業も、勃興した直後はブルーオーシャンだ。あまり費用をかけずにジャブジャブと儲かる。ところが新規参入が増えるにつれてレッドオーシャンと化していき、生産性が低くなる。とくに、損益分岐点の売上数量がごく小さく、その生産技術を誰でも使うことができて、なおかつ新規参入と退出が自由な分野は、やがて「産業の長期均衡」に到達してしまう。超過利潤がゼロになってしまう。賃金水準や石油価格が上がった際に、コストの増加を利益で吸収できなくなる。債務を積み上げて何とかしのぐことになり、最終的には倒産する。人手不足による倒産は、根本的には石油価格の高騰による倒産とそれほど違いはないと思う。第二次大戦後の日本の「二眼レフカメラ」は勃興した段階では多大な超過利潤を出せたが、新規参入が増えるにつれて次第に価格が下がり、最終的には超過利潤がゼロになる産業の典型的な例ではないだろうか。また最近では、ソーシャルゲーム業界が「産業の長期均衡」に似た現象を経験している。

おそらく介護や警備、牛丼チェーン、引っ越し業などの分野は、長期均衡に近づいている業界なのではないか。競争の激化により利益が薄くなり、人件費を引き上げることができない水準まで生産性が悪化しているのだろう。海運については事情に暗いのでよく分からないが、似たような状況が生じているのかもしれない。

(「生産性が高くなる」というのは、経済史の観点から見れば、労働を資本(=機械)に置き換えることとほぼ同義だ。)[2]

2。市場の「脱ブラック化」が、「人手不足」を解消させる

政府は人手不足の状況を改善するために、少子高齢化が問題の背景に存在しているという認識の下「外国人労働者を増やす」と同時に「一人当たりの生産性を上げる」技術開発の取り組みを進めようとしています。しかし、今、日本で起こっている「人手不足」問題は、ただ単に「少子高齢化」が原因なのではなく、長く続いたデフレからの「脱却」プロセスにおける必然的帰結なのです。

(ステップ1)デフレで過当競争が生ずる 
1998年後、それまでのインフレから一転してデフレになり、それ以後、各企業の業績は悪化、賃金は低下していきます
(ステップ2)過当競争が「ブラック企業」を生み出した
「過当競争」下では、各企業は「生き残り」をかけ、「倒産するよりはマシ」とばかりに、対価(価格)には見合わない「過剰サービス」を提供するなったのです。そのシワは全て労働者に行きます。労働者は皆「仕事が無いよりはマシ」とばかりに、安い給料で過剰労働サービスを提供するようになっていきます。
(ステップ3)20年デフレが、あらゆる市場を「ブラック・マーケット」化させた
「ブラック企業」は労働者にとっては最悪ですが、消費者・顧客にとってみれば「良質のサービスや商品を安くて売ってくれる企業」。つまり、ブラック企業は高い「競争力」を持っているのです。
結果、現代の労働者は皆、(サービス残業等の形で)労働時間が長いわりに給料は安く、結果、「実際上の労働単価」が下がってしまうことになっていきます。
(ステップ4)ブラック・マーケットはわずかな需要増にも対応できない
デフレが産み出した「過剰サービスを供給するブラック・マーケット」は、現有人員をフル稼働させて、ようやく成立している「限界ぎりぎり」のマーケット。ですから、「これ以上の需要に対応する」ことができません、という「構造的欠陥」を抱えています。したがって、ブラック・マーケットでは、需要が僅かでも増えれば、瞬く間に「人手不足」

そしてそのための処方箋としては、「各企業の『過剰サービス』を消滅させる事」(=企業の脱ブラック化)が必要であり、そしてそれを実現するために「各企業の『過剰サービス』を解消するため(=企業の脱ブラック化)の構造政策(規制強化や様々な行政指導等)」が求められています。

そうすれば、労働者に「余裕」が生まれ、その「余裕」を使って「需要増」に対応することが可能となり、人手不足状況は消滅するのです。しかも、こうすれば一人当たりの労働者が生み出す供給量(つまり生産性)も増進すると同時に、賃金も増進します。

3。お前らの賃金は上がらないのに「完全雇用」で人手不足の日本

“春闘を見るに、経済状況を反映してまずまずの戦果であり、一方で大手と零細・中堅の間での格差の是正や、働き方改革の流れの中で残業代の支払いや時間制限なども徐々に盛り込まれて、日本の労働環境も少しずつ変わってきているのかな、という感じでしょうか。労働組合もここが頑張りどころと言えます。ようやく非正規労働者の賃上げ率が正規雇用を上回って、格差是正というか正規と非正規の垣根をどう取っ払うかが肝になってきているのでしょう。

しかしながら、実際に統計を見てみると2月の完全失業率は2.8%、有効求人倍率も1995年ごろの水準に迫る勢いで人手不足が深刻化しています。コンマ何%で賃上げ云々と言っている場合ではないぐらいに働き手が必要とされているのに、思った以上に雇用の安定はまだ実現できておらず、働く時間は減らす方向へ動いています。さらに、労働人口も年間50万人ずつ減っていく中で、24時間営業を取りやめざるを得なくなるファミリーレストランなどの外食産業も増えてきました。先日取り上げたようにヤマト運輸ほか運送業も人手不足の割に賃金が大きく上げられる状況ではありません(「お客様は神様ではなくなり、戦後は終わった」)。本来なら、がっつり賃金が上がってきてもおかしくない水準であることには間違いありません。

働く女性を増やしたり、健康な高齢者にも働いてもらわなければならないわけですけど、16年10月の社会保険関連の法改正で制度変更があったわけですよ。それは、従業員501人以上の企業では、週20時間以上働くアルバイトやパートなどの短時間労働者も健康保険や厚生年金保険に入れてください、ということになったわけです。そうなったら週20時間以上働く長期バイトさんよりも、週15時間ぐらい入ってくれる主婦のパートさんを複数雇ったほうが企業としては良いという話になってしまうわけですね。また、健康上何があるか分からないシルバー雇用も、フルで働いてもらってうっかり倒れられて企業が医療費負担を強いられるよりは、嘱託で雇用して長くない労働時間で安く仕事をフォローしてもらおう、という流れになるのでしょう。平均賃金の伸び悩みの原因は、この女性や高齢者の労働市場流入で平均が押し下げられている部分が強くあります。保険料負担は企業にとってだるい。その分、パートさんの時給が上がれば良いのでしょうけど、賃金は上がらないのです。

つまりは、人手不足の日本は文字通り「完全雇用」なんだけど、人口も減っているので総需要が減少してて言われているほど売り上げは上がらない、という残念なスパイラルが発生しているとも言えるわけですよ。これから名目GDPが何%も増えるなんてアベノミクスを信じるのは大本営発表を聞いて太平洋戦争に勝っていると思い込んでしまう臣民のようなものです。安倍政権が能無しというよりは、できること全部やったって人口減少局面の日本が猛烈な経済成長するなんてシナリオになるわけがないじゃないですか、という話です。

上場企業の利益水準や経営内容を見ていても、傾向は何となく分かります。2016年は2年ぶりに上場企業の倒産は起きなかったけど、設備投資したり雇用を増やしたりするような前向きなお金の使い方よりは、いまある設備や資産をもっと有効に使おうという方向にシフトしている状態です。ドーンと賃金を上げようとするにしても、社会保障の受け皿を公的にしっかり用意したうえで、もう少し機動的に人を雇用したり解雇したりできる仕組みがないと厳しいのでしょう。”

[1]

「日本の非正規雇用が身分制が強く、生活保障の必要性が正社員との格差の正当化理由だったのに、能力という別の正当化ロジックで都合のよい使い分けがされてきた

実際のところ、非正規という身分を搾取しなければ、政府が小さく社会保障の貧しい日本では正社員の生活保障ができないですよね。この状況でおいそれと非正規の賃金を上げようとはしないでしょう。

日本がこんなに停滞しているのは、家父長制と身分制という類型の間で中途半端な状況に陥っているせいでしょう。家父長制は必ずしも上位者の恣意的支配を意味しない。むしろ共同体の仲間全体のための支配であり、仲間に対する庇護義務を負う。日本型雇用におけるメンバーシップ制はそのようなものだ。ただそのメンバーシップは成年男性にのみ開かれたものであり、フェミニズムから見ればホモソーシャルな支配だ。これに対して欧米は階級社会であって身分制原理が強い。

高度成長が終焉し、日本型雇用が崩壊過程に入ると、正社員の生活保障を維持するために身分制原理によって搾取する対象が必要になった。それが非正規雇用の増大という現象につながった。家父長制的な生活保障を維持するために身分制的要素を取り入れるというグロテスクな形になっている。

この状況から抜け出すには政府規模を拡大させて国が直接生活保障を行うしかない。しかし90年代以降新自由主義が台頭し、小さな政府路線という真逆の方向に動いた。これでは身分に基づく搾取を強化せざるをえない。その犠牲になったのが氷河期世代でしょう。

確かに高度成長が終焉して日本型雇用は維持できなくなり、そこからの脱却は必要だった。しかし小さな政府・構造改革という路線はむしろ事態をこじらせ、社会の停滞を招いただけだった。

この状況を打破するために必要な政府規模の拡大は、しかし家父長制を衰退させ、身分制的要素を強めることになるでしょう。それは欧米や戦前の日本のような階級社会化であり、抵抗は大きいでしょう。」

[2]

“そもそも「生産性が高くなる」というのは、歴史的に見れば、労働を資本(=機械)に置き換えることとほぼ同義だ。機械の使用が少なく、労働の使用が多い社会ほど貧しい。反対に、労働者1人に対する機械の使用量が多い社会ほど豊かだ。

現代では労働者1人あたりの資本(=機械)の使用を増やすことで、労働者の数を節約できるようになった。現代のトラック運転手は、たった数人で18世紀末の労働者3000人以上の仕事ができる。だから18世紀末の労働者よりも高額の報酬を受け取ることができるし、豊かな生活を営むことができるのだ。

「機械に仕事を奪われる」と考える人もいるだろう。その考えは、半分は正しい。革新的な技術の導入によって、短期的には失業に追い込まれる人が出てしまう。たとえば、かつて沖仲仕という仕事があった。港で輸送船の荷物の積み替えをする人々たちだ。ところが貨物コンテナの発明により、彼らの数は激減した。コンテナをクレーンで吊って移動させられるようになったので、砂糖の袋を1つひとつ運ぶ必要がなくなったからだ[9]。彼らの作っていたコミュニティも、文化も、丸ごと消えてしまったという。

しかし「機械に仕事を奪われる」という発想は、半分は間違っている。革新的な技術は、長期的には新たな産業と雇用を作るからだ。大型トラックが発明されたことで、荷物を肩に運ぶ労働者はいなくなった。代わりに巨大な自動車工場や、自動車整備士、そして現代的な物流産業が生まれた。トラックの運転手も、彼らの勤怠管理をしている事務のおばさんも、18世紀末には存在しなかった職業だ。

繰り返しになるが、労働者1人あたりの資本(=機械)の使用が多い社会ほど豊かだ。貧しい社会では、それが逆になる。1950年代のインドのように安価に使える労働力が膨大にあれば、経営者たちは機械の利用を増やそうとしない。資本を投下するよりも、労働力を使ったほうが安上がりだからだ。

18世紀末に始まった産業革命以降、私たちは持続的な経済発展を経験してきた。その背後には、人件費と技術革新の正のフィードバック・ループがあった。教育水準の上昇や少子化により労働者の賃金が上がると、経営者には労働を減らして資本(=機械)の利用を増やすというインセンティヴが生まれる。それが技術革新と、新規産業の発展、そしてさらなる人件費の高騰をもたらし、ますます資本の利用を増やすインセンティヴが強くなる。このループが200年以上続いた結果、私たちは現在のような豊かな生活を手に入れた。このループは今でも回り続けている。”

2017/5/30 update

有効求人倍率、バブル期超え 4月1.48倍

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Japan looks to solve puzzle of slow wage growth

“The theory, laid out by several BoJ policy board members in recent minutes of their meetings, is that after decades of operating in a sluggish economy, companies are wasteful in their use of labour and have a lot of pent-up ability to raise output per worker. By abandoning less productive work, they can avoid paying more for staff. One example is retail.”

I totally disagree with this theory, which basically says that as part of employments in Japan have long been doing nothing but wasting time in their office, the firms thus are able to avoiding paying more by driving them away back home. If this holds true, why do they at first need more people?

Yes, Japan has ample room to raise production per worker. But if Japanese firms could accomplish this, why the hell do they have the lost 20 decades. An extreme issue of over-worked women’s suicide changes the rigid system way little than people outside Japan think.

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これだけ深刻な人手不足なのに、いつまでも賃金が上がらない理由

“よく賃金が上がらないのは、非正規雇用が増えたからだといわれる。しかし、正社員と正社員以外にわけて賃金の動きをみても、両者とも人手不足の割に、顕著な増加はみられない。

そもそも本当に人手不足なら、もっと非正規から正規に切り替えられる人が増えて、それによって賃金が上がってもよさそうなものだ。しかし、そのような正規化の動きの広がりを耳にすることも、あまりない。”

“だから、賃金が下げられない硬直性があると、今が人手不足でも将来また不況になることをおそれる企業ほど、おいそれとは賃金を上げられないのだ。働き手も、給料が下がりさえしなければよいので、多少の不平はあっても、それほど賃金が上がることには執着しない。

実際、企業データを用いた分析からは、過去に月給の賃下げを行わなかった企業ほど、今回も賃上げをしない傾向がみられると指摘されている。賃下げが出来ない場合、企業は、将来の賃金調整の余地を残すため賃上げに慎重なることも、理論的な分析から主張された。

働き手は月給が下がることはかなり嫌うのだが、ボーナスの増減はそうでもないようだ。人手が足りなくなったり、業務量が増えたときには、企業は月給アップに代わってボーナスをたくさん支払う。”

しかしこの下方硬直性の論説には二つの疑点があります、1)なぜ日本が顕著;2)あくまで理論、企業は本当に将来の不況を考えたのか。日本の賃金の硬直性には別の理由もありうる。

“加えて多かったのは、過去にない「高齢化」の進行。年功的に上がる賃金や、生え抜きの長期雇用の傾向は、以前ほどには日本の企業でみられなくなったという声も多い。年々増え続ける積み上げ型の賃金制度を企業は採用しなくなり、かわりに一定の範囲内で増減するゾーン型の賃金制度に変更する場合がみられる。

おおざっぱにいえば、バブル入社世代までは、日本的雇用システムとよばれた年功賃金や終身雇用の恩恵にあずかることも多かった。そんな恩恵世代の男性が、2000年代後半以降、高齢者となり、徐々に定年退職を迎えるようになる。年功賃金が変化してきたといっても、それでも正社員である彼らの賃金は、若い社員に比べれば、圧倒的に高い。定年によって、高い賃金を得ていた人が、統計のなかから一気に退場していくのだ。当然、平均でみた賃金には、強い下方圧力がかかっていく。

さらに定年で辞めた人たちの多くは、そのまま引退することを選ばない。定年後も嘱託などのかたちで会社に残り続けるか、別の会社で別の仕事に就くことになる。共通するのは、そんな高齢者は、きまって非正規雇用になるということだ。

賃金が上がらないのは、非正規雇用が増えたからだという人もいるが、どこで増えたかといえば、実は高齢者の間で増えた。しかも団塊の世代を含む60代の非正規雇用が、一気かつ大量に増えたのだ。”

“人手不足は、20代などの若い働き手について、特に深刻だ。少子化による人口減少の影響を考えると、若者の賃金は、もっと増えてもよかった。

しかし、若者の背後には、低賃金の大量の高齢者が、潜在的な競争相手として存在している。政府は労働力人口の減少に対処するために、一億総活躍社会という看板も同時に掲げ、女性や高齢者の労働参加を促そうとしている。皮肉なことに、高齢者の労働参加が続く限り、非正規雇用の賃金はなかなか上がらない。”

“氷河期世代は、新卒時の就職活動のときだけでなく、その後の職業人生でも、以前の世代に比べて多くの困難を経験してきた。”

確かに年功賃金や終身雇用の恩恵にあずかる男性の定年退職は統計上の影響が大きい、また女性や高齢者の労働参加は若者の賃金の上昇を阻止するのも事実だが、私個人の観察によると正社員になった若者の賃金が上昇したとは言い難い。したがって、日本的雇用システムは一体どれくらい変わったのは問題点である。むしろ、年功賃金や終身雇用はまた大きく起用するからこそ、若者の賃金は人手不足があっても従来のルールにしたがって市場需要に対する柔軟な調整ができなくなったから上がらない状況に落ちいたのではないか。氷河期世代の状況もまさにこの制度の頑固さを示しているのではないか。

 

2017/06/04 update

添加一个国际对比视角来看日本问题。

When can women have it all

关于工作近几十年有那么两大趋势:

1工作时间越来越长,加班越来越多。(Kuhn&Lozano, 2008)
2 工作时间长短对收入的影响越来越大。(Cortes&Pan, 2007)

背后的原因可能是尽管技术进步增加了社会总体的岗位数量,但增加的岗位主要是在高收入和低收入这两段(Gregory、Salomons&Zieharn,2016)。这种从纺锤型社会,向哑铃型社会的过渡,是要加剧大家的竞争的。(也有社交网络对机会成本的发现的影响

而高收入的岗位增加会导致企业调整工作的其它条件提高利润。最明显的一点就是时间安排。一个是实际工作时间的延长,一个是工作时间灵活化,一个是响应时间的缩短。所以现在的工作变得更有“竞争性”了。(Goldin 2014,Cortes&Pan 2017)

这种全球的情况和日本似乎是很不一样的。虽然手头没去找直接证据,但是我们不难联想出由于日本的薪酬和人员晋升制度,纺锤到哑铃的路径的上端被限制了,高端职位并没有被灵活给予高收入,而下端的临时雇佣大力发展,从而从整体上限制了工资的提升。从产业上,这可能降低日本的高端人力资本密集型产业如投行软件等的国际竞争力。

 

 

初学经济学建模

因为是经济史的学生,原先对现代经济学的数学建模+统计验证的这一套不太熟。最近在重新看Japanese Subcontracting这个70、80年代热门的现实的经济问题,原先之前从historical imperative来看待这个系统的变化,包括Fujimoto的系统进化论,都是更偏向一种descriptive的逻辑构建,也就是历史叙述,而Dyers的transaction cost理论则是包含一致理论的(部分)动态解释,论证仍然是靠数据的点对点论证。

但是Asanuma的论文则是用Seiichi Kawasaki的一个prinicple-agent的理论模型(源自Holmstrom&Milgrom的一篇著名文章Aggregation and linearity in the provision of intertemporal incentives)来配合他从多年的field study中感知到的数据的代表性来做一个纯静态的微观数据(firm level)的验证。说实话其实是一个很简单的模型,变量少,参数少,结构简陋,但是却让我这个初学者感受到的数学自洽的美好。但是初次的感慨之后,不禁反过来推敲各种假设的靠谱性。

比如:1) optimal contract is linear in end-of-period accumulated production costs. 2) the principal cannot observe the realization of the random cost changing, thus cannot deduce the subcontractor’s effort from his observation of the total cost. 3) take the quantity ordered to be exogenous. 4) profit and cost are linearly related.

或许从Asanuma的实证经验来看这些assumption都是可以接受的,但是我的怀疑在阅读过程中如影随形无法散去。risk吸收的程度真的用利润和成本的各自variance比就可以表示了吗。最后的回归是risk吸收程度与成本的波动+risk aversion的指标+moral hazard的指标,仔细想想理论建模的架构给了一个统计相关的非经验架构,帮助限定逻辑的范围,但理论的极限也受制于此。更加,由于风险偏好和道德风险都是不得不用经验指标来填充,不由地使得原本非经验架构的模型有了苟且之处。另外,作为经济史的学生,不免会感觉到静态模型的不足,比如过分乐观地一般化,已经缺乏背景。

关于经济学数学建模这个问题,网上争论不少,这里引一个知乎上我个人比较赞同的答案:

“数学化的经济理论优势在于逻辑严密、减少内生性错误、有效利用数据、降低使用门槛,它使得人类认识经济活动、社会问题前所未有的深刻起来。同时,经济学数学化是一种必然的趋势,表现就是学者这个专业阶层会自发的学习、使用数学工具。认清楚所谓经济学帝国主义背后的机制也很有趣。

首先必须要定义什么是“数学化”?我觉得抓两组数据来线性回归那不叫数学化。线性统计模型是列举、比较统计数据的延伸(比较数据可以看做是一个简单的对dummy variable的回归),而即使是文科生把持一切的旧时代经济学里也是很常见到比较统计数据的。

数学化指的是:先建立理论数学模型,再由理论模型推导出合适的统计学模型,再由实际数据检验统计学模型所依赖的假设。所以起始的出发点是理论模型,而不是统计学模型。这种方法为什么流行起来?和旧时代“论理式”的逻辑推导经济学相比,它的优势在哪里?

要回答这两个问题,先要明确所谓“学术工作”的目的是什么。一个“学术工作”目的,除了帮助作者养家糊口外,最重要的是表达、论证作者的某种“想法”。作者必然关心怎样才能让人信服的论证某种“想法”。

论证某种想法,有三种模式。

1 提出想法,然后糊弄人一般的在逻辑上说明其自洽,并寻找例证证明这种想法。
2 提出想法,然后建立统计学模型,通过大量数据来验证这种想法。
3 提出想法,然后按照想法数学建模,再将数学模型转化为统计学模型进行研究。(这也就是我说的“数学化”)

方法1,我将其称作“政治宣传”。其扯淡之处在于,a) 言语的逻辑陷阱太多,被作者坑是必然的。左传读起来深刻入理,其实多是作者微言大义在作怪。b) 人类永远无法穷尽 例子。所以所谓的例子,只是一个很小的sample。c) 你并不知道例子背后的机制是什么,可能有更为复杂的原因。例子本质上只是随机过程的巧合,然后又巧合的被你观测到。d) 作者往往只会挑对自己有利的例子。

方法2略微靠谱一点,因为你至少有比方法1多得多的信息,而且还是量化的(可比较的)信息。但不幸的是,统计学模型很难帮助我们正确确立因果关系,而因果关系(或者说:机制)这才是你的”想法”中的核心内容。统计学的欺骗性,最常见的就是所谓“内生性”/“选择性”问题。这是说,你能观察到的现象是经过人们选择后的结果,你根本不知道在选择前的一些 物理上的 规律。

比如,我们社区有两家医院,医院A和医院B。怎么看两家医院哪家医院医术高呢?一个办法,统计两家医院的死亡率。A医院20%,B医院40%。B医院死亡概率更大,那么下次当地卫生部门应该给A医院发红包。

这个推导扯淡的地方在于,病人在进医院前是会”选择”的。也许,我们这儿人都知道B医院好医生多,快死的、有重症的病人都往这个医院里面拉,自然B医院死亡率更高。所以,你观察到的数据都是经过人类社会博弈后的二手结果。要搞清楚真正的因果关系,必须要直接猜测、解释背后的机制。通过建立机制,能让我们知道我们还需要什么样的数据。

真正能帮助我们减少(而不是克服)内生性问题的方法,是对机制进行数学建模。这种建模,就是经济学的理论模型,它本质上起得是约束统计学模型的作用。

综上可见,数学化跟旧时代方法相比,有巨大的优势。通过数学的精确、逻辑的完美,规避了言语论证的模糊和陷阱;约束统计模型、减少内生性错误;而随着现代统计事业的发展,统计数据越来越多,这种方法又能尽可能利用统计数据。

现在来说说数学化的弊端。

所谓让经济学成了“少数人”捣鼓数学工具骗广大无知文青的说法完全扯淡。且不说现在每年出产的phd数目就完爆旧时代经济学家总量,我倒觉得数学化降低了经济学门槛,因为数学化是一种“标准化”的手段,这让有基础的人受过训练就能从事这门学问。

首先,我觉得数学化最大的弊端是让经济学能研究的问题变窄了。

如果好好学过数学建模就明白,数学模型是 一种非常非常受到限制的工具。这是因为作为一个研究者,手头能控制的变量、函数、变换的个数是有限的,人类能理解的数学模式在上帝看来是极其愚蠢而简单的。所以每个建模者都明白,建模不是为了完全复述发生的事情,而是在极其简单的假设、推导的情况下,保留现实中那么一点点真谛。一个简单的模型才是好模型。这倒并不是说简化问题的假设本身不好,而是说,学者会规避那些可能导致模型复杂化的“想法”

第二,是数学化的过程中,人类损失、遗忘了很多旧时代经济学家非常深刻的想法。基本上现在训练出来的经济学家,都极少会再去阅读1970年之前的文章(除非研究经济史啊),更别提书了。

最后回到为什么经济学数学化变成了今天的帝国主义。直接原因是绝大多数学者们都在自发学习、使用这种数学化范式(这不是废话吗。)。上面的论述已经说明这种范式的巨大优势(逻辑严密、减少内生性错误、有效利用数据、降低使用门槛),但是这不够,如果仍然有一大群死脑筋的学者坚守阵地(如austrian school,张五常)那也不至于到今天这般模样。

这里说说体制问题。现代的学术圈,是非常自由化的:学者能自由选择研究的问题。学者通过“建树”来获得职位、金钱报酬和权力。针对一个问题,数学建模其实是一个较为困难的学问。但是学者可以先射出箭再画靶子。通过学习、发明某种数学模型,然后知道这个模型可以解决一类的问题,创造多篇paper。由于其过程的严密、规范化,peer review比较好过些。而如果直接从问题入手,像旧时代一样研究、搜集资料、推理,那很可能耗时长、做出来别人已经想出来的东西、做出来让人无法信服的东西。这种失败的概率极大。一旦大多数经济学学者都加入了数学阵营,由于peer review制度的存在,旧时代经济学家生存会更为困难。这大概是你能观察到这种趋势的原因。”

我认为以上看法是大致没有什么大偏颇的,只有认知上的略微不同之处。关键是,数学建模对机制的建模虽然有规避了言语论证的模糊和陷阱以及约束统计模型、减少内生性错误的好处,但是也约束了研究思考机制的本身。不只是上文说的变量、函数、变换的个数的有限,而是过简化对思维和观察可能会有很大的禁锢。数学建模的最底层基础仍是观察,而之后使用各种数学工具进行演化,但是一个完美自洽的高级模型或许并不帮助你安慰自己在观察上是完美无差的。事实上我曾经讨论过我认为经济学的观察基础的靠谱程度要远远低于物理学和数学。而另一方面在简化这个问题上事实上的话其实是反过来,简化是有限的,经济学者做的加法远远多于减法,但是模型上的加法又太容易让人在偏离现实的道路上越走越远。而回头却变得早已不再现实。

而在鄙视链的最底层,社科同学们强调统计计量分析未必严格优于案例分析:“这个应该说因具体研究内容而异。对于一些研究课题来说,做几个详细的规范的质性分析比跑个回归信息量大很多,社会学都有讨论如何做一个规范科学的案例分析,但经济学似乎毫不关心,尽管其研究范围如此之广(几乎逮着个问题一有机会就跑回归)”。更有甚者,精确而逻辑完美的数学未必就严格优于模糊而陷阱的言语论证。

凯恩斯:“把经济分析体系符号化的伪数学方法的一个重大错误是,他们明白地假定其中因素之间完全相互独立。当这个假设无法被接受时,数学方法的说服力和威信便荡然无存。然而,在普通论述中,当我们不是在盲目应付,而是始终知道我们正在做什么,知道词语的意思是什么的时候,我们可以“靠我们的头脑”保留一些必要的条件和限定,并在将来做出必要的调整。这是不可能靠几页复杂的偏微分方程运算做到的,因为这些保留条件都被假设掉了。近来的“数理”经济学大多是胡编乱造,像其所依据的初始假设一样不精确。在一堆自命不凡和无用的符号中,它使作者看不见现实世界的复杂性和相依性。”

萨伊:“依靠简化和随意压制,未能把这些问题系统地和清楚地变成分析语言,没有去除其本质上的复杂性,而是从本质上改变了问题的条件,结果适得其反。”

门格尔:“以如下陈述为例:(1)一种物品价格越高,与之相应的需求越小(或至少不会更大)。(2)如果用p记这种物品的价格,用q记对它的需求,那么,q=f(p),dq/dp=f'(p)<0.

认为公式(2)比语句(1)更为精确或“更为数学化”的人完全误解了……2和1的唯一区别是:2仅限于可微分的函数,从而其曲线有切线;陈述1更一般,但它同样精确:1和2具有同样的数学精确性。”

杨小凯:“纯粹使用文字语言逻辑的理论往往存在不说明假定的现象,逻辑分析师可能出现与假定矛盾的违背。文字语言的表达经常出现表达错位和逻辑混乱。经济学发展至今,在社会科学种占据了如此重要的位置的原因,恰恰是因为(数学)形式化的作用。也就是说,容易在课堂讲授,容易给出习题和标准答案,容易为后来者理解减少歧义并在此基础上继续研究,容易为其他学者发现漏洞提出改进结论。

(数学)形式化的有点恰恰在于便于发现理论缺点。语言文字的逻辑容易形成自我封闭的理论形式:产生歧义、拒绝批评、混乱争论、自成真理、无法检验、发展缓慢、难以创新。”

的确,相比去打猎这个目的,现代经济学家似乎太过于在意如何升级他们的武器一些了。

 

Update 2017/5/16
How should theory and evidence relate to each other?
Can’t we all just get along?, Econometrics edition

社会学方法论

看到友邻两则言论。

“社会科学的方法论仅是现象学还不准确。应该是现象学和模态逻辑。奥派所谓的方法论主观主义和唯名论,其实是现象学的本质直观,但边际主义则涉及模态实在论。”

“历史学研究不要再用量化统计,或者什么历史周期循环之类的神棍方法论了。。社会科学的研究思维、工具应该是模态逻辑、反事实(counterfactual),这比物理学的退相干理论要早发现很多,但应用”

反事实

Counterfactual Theories of Causation

“传统的因果分析往往假定研究者已经控制了解释因变量的重要因素,并且没有遗漏重要自变项。但是通常研究使用的数据经常无法满足这一假定,或是所观察的对象并非是随机发生,因而经常会产生内生性或样本选择偏误的问题,造成因果分析的不准确和偏差,甚至是错误。反事实分析的优点是能明确的找出传统回 归分析无法充分掌握的不同样本群在基准线上的差异或是因果效果的异质性,进而进行准确的因果分析。
倾向分数配对法(Propensity Score Matching,PSM),内生转换模型(endogenous switching regression model)这两个反事实分析的最主要方法。”

“在经济史研究中,有一种“反事实假设”方法。这种方法是由美国经济史学家福格尔首创的。一般的经济史教科书都断言,美国19世纪经济增长与铁路密切相关,就是说,如果没有铁路,美国经济增长就不会有那么快。福格尔提出一个“假如没有铁路”的假设,对19世纪的美国经济史进行计量研究,他的最后结论是:在其他条件不变的情况下,1890年美国国民生产总值也不会比实际产值低3%以上。这种假设可谓是一种“大胆假设”,但这种假设并不是作为经济史研究前提的假设,而是一种“描述性假设”,与经济学和经济史学的实证方法并不直接相关。尽管如此,美国主流经济史学也不赞成这种“反事实假设”,认为这种方法用于分析历史的长期变化,“会歪曲历史变革的复杂性”。

1964年,新经济史学派创始人之一,当时罗切斯特大学教授罗伯特·福格尔(Robert W.Fogel,1926—)发表了他的著作《铁路与美国的经济增长》,吹响了经济史学革命的号角。在书中他运用所谓反事实度量法,对以往经济学家和历史学家几乎一致公认的论断一一大规模铁路投资是19世纪美国经济快速增长最重要的因素之一——提出了挑战。根据他的计算,在1890年,如果美国全国的马车和帆船运输完全让位于铁路,所能增加的国民收入只抵当时美国年国民产值的4—5%,对美国此后的经济增长,只有微末影响。这也就是说,即便当时美国根本不建筑铁路,它的经济增长速度也不过略微放慢一点而已。

此前,约瑟夫•熊彼特和沃尔特•罗斯托一致断言,现代经济增长和发展应归因于某些重大的发现。福格尔对此假设进行了极其严密的检验并否定了它。他认为,是很多技术变革的合力,而不是少数几项重大的创新,决定了经济发展。我们感觉到大规模的交通运输系统对发展有决定性的影响一说凭直觉好像是有道理的。福格尔设计了一种假说的解释法,一种所谓的反事实的历史编纂法:他拿实际存在的情况与一种假设的趋势进行了比较,以评价修铁路的重要性。他发现它们对于解释经济发展并非绝对必需,它们对GDP的增长的影响不到3%。经济史的其他著作中几乎没有一种给人留下这样一种印象。运用反事实论证和成本——效益分析的结果,他也成了一位经济史方法论的创新者。”

 

模态逻辑

modal logic

模态逻辑是命题演算和一阶逻辑的扩充,扩充主要在两个方面:
1)语构方面:扩了两个模态连接词□(必然)和◇(可能)
2)语义方面:相较于命题和一阶逻辑的塔斯基语义,使用了克里普克语义

对两个模态连接词的不同解释有着不同的意义,如真理论模态逻辑、认识论模态逻辑、道义论模态逻辑以及时序逻辑、经验论模态逻辑等。

如果真要通俗地解释模态逻辑的作用的话,请看下面这句话

“大约孔乙己的确死了”

用克里普克语义解释就是

“存在一个从当前可能世界可到达的可能世界,在这个可能世界可到达的所有可能世界中,孔乙己死了”。

 

理解Fine说复杂很复杂,说简单呢,就这么开始。如下两句话都为真:

  1. 必然地,如果苏格拉底存在,那么1+1=2。
  2. 必然地,如果苏格拉底存在,那么{苏格拉底}存在。

{苏格拉底}是一个只包含苏格拉底这个对象的集合。

一、Fine是如何论证前人的想法,即本质概念可以建立在模态上,是不足信服的?

本质概念建立在模态上,有很多不同的策略。最简单的策略如下(注意,其实没多少人真正接受这个粗糙的简单版本):

  • F是某个体a的本质的一部分,是因为如下的模态事实:必然地,如果a存在,那么 a is F。

“是因为”包含“当且仅当”,但更强。因为题主谈“还原”,我个人认为当且仅当不够强。

由1,我们得到:being such that 1+1=2是苏格拉底的本质的一部分。being such that 1+1=2 是个性质,汉语比较难表达。你可以认为它不是个性质,但需要论证。

由2,我们得到:是{苏格拉底}的唯一元素是苏格拉底的本质的一部分。

然而Fine认为这俩都不对。因为Fine认为,一个个体的本质,是让这个个体成为它自己的东西。也就是说,苏格拉底的本质,不管怎么定义,至少是那些让苏格拉底是苏格拉底的东西,让它成为它自己的才是它的本质。然而,是不是1+1=2,是不是另一个集合的唯一元素,都跟苏格拉底是不是苏格拉底没有关系。

所以本质是一个比模态更强的概念。

二、Fine是如何论证他的想法,即应该让模态建立在本质概念之上,是能让人信服的?

上面说了。是不是让人信服,这个我也不敢说啊。我也在想啊。

三、Fine或后人是否具体地构造了这种还原?如果有,那么长什么样子?

这个问题是无法在知乎回答的。而且对类似问题的任何知乎回答基本上都是只能信一半的。我个人的观点是这种还原是很难的,因为很多模态句子不是关于个体的,也就无关essence。比如,“必然地,存在一个比0大比1000小的数”。当然这个也没法扯远了说。你可以看看Correia 2012年的一篇论文叫on the reduction of necessity to essence

 

现象学

phenomenology

如何入门现象学和存在主义?